朝、半蔵門駅の階段で、前を行くご婦人に目が止まりました。このご婦人、渋いお着物をお召しになっているのですが、その背中にアディダスのデイパックを背負っています。和服にデイパック。明らかにミスマッチですが、デイパックの色をコートの色にぴたり合わせています。「確信犯」なんですね。これはよい被写体を見つけたと、地上に出てからご婦人をやり過ごして、カメラを向けました。
シャッターを切ろうとしたら、カメラの設定ダイヤルがずれていました。慌てて直している間に、ご婦人はスタスタと歩み去り、残念ながら失敗作となりました。
このところ常にデジカメを持ち歩いて、シャッターチャンスを狙っているのですが、なかなかよい場面に出会いません。
先日は路地を歩いていたら、庭でお嫁さんがお舅さんの頭を刈っているところに出くわしました。近頃珍しいとてもよい光景でしたが、ついにシャッターを切る勇気が出ませんでした。肖像権に注意しなければならない昨今、ヘタクソなアマチュアカメラマンに撮影のお許しをいただけるかどうか自信が持てませんでした。そんなこんなであきらめたんですが、後の後悔先に立たず。とっても残念でした。
日暮里・舎人ライナー
日暮里・舎人ライナーというのに初めて乗ってみました。開通は今年の3月30日。すでに7ヶ月経っていますが、一度乗ってみたいと常々思ってました。鉄道マニアではありませんけど、一応「男の子」なので乗り物は好きな方です。それにも増して新しもの好きなんです。
日暮里駅の路線図を見ると、終点は見沼代親水公園となっています。東京の西側で生まれ育ったもので、このあたりの地理はさっぱりわかりません。終点がどんなところかイメージもわきませんが、とにかく終点まで行ってみることにしました。乗ってみると、意外にスピードを出します。多摩モノレールよりずっと速い。乗り心地は、鉄路を走る電車とは明らかに違います。なにか軽自動車みたいに安っぽくて、それほど心地よいとも言えません。ゆりかもめの乗り心地に似ています。
この日暮里・舎人ライナーは東京都交通局の経営。つまり都営地下鉄や都バスや都電荒川線と同じ都営なんです。しかし多額の出資をしている多摩モノレールは都営ではなくて、ゆりかもめも都営ではありません。事情はあるのでしょうが、なにかおかしいですね。
約20分で見沼代親水公園駅に到着。見回しても、どこに公園があるのかさっぱりわかりません。駅前には飲食店もなし。はるか向こうに吉野屋がただ一軒見えるだけです。お腹も減っていたので早々にもと来たルートを引き返すことにしました。
このライナーは自動運転で運転手がいません。帰りの席は一番前。途中の駅で乗り込んで来た子どもたちがうらやましそうでしたね、ははは。
帰り道、根津のあたりをぶらぶら歩いていたら、お寺の本堂を犬が守っているのに出会いました。
須賀敦子のエッセイ
もう半月ほど前になりますが、知り合いの大学教授からのメールに、奥様から雑誌を買ってくるように頼まれたとありました。生協で購入すれば一割引なので大学に寄ったついでに、ということだったようです。その雑誌とは今月号の「芸術新潮」。そう言えば新聞の広告を見て、私も買おうと思っていたところでした。今月号は須賀敦子の特集です。私は須賀の読者ではありませんが、その文章への評価が高いことは知っていました。以前このブログに書いた辰濃和男の『文章のみがき方』にもすぐれた比喩の使い手として取り上げられています。
そうこうしているうちに、この弊社のサイトのお世話をしていただいているMさんもまた須賀の愛読者であることがわかりました。没後10年で、あらためて注目されているようです。
購入した「芸術新潮」。例によって写真がすばらしい。イタリアへ須賀の足跡を追った記者の文章も侮れないレベルです。そしてなによりも引用されている須賀敦子の断片の数々。
彼女が紡ぎ出すことばは音楽のようです。心地よいリズムはもちろん、旋律さえ感じさせます。思わず朗読したくなる、と言えば理解しやすいでしょうか。『声に出して読みたい日本語』など、この文章の前には全く無用のものです。
というわけで、さっそく河出文庫の『須賀敦子全集』を買って読み出したのでした。私もこの半月ですっかり愛読者になってしまいました。美しい文章は、こころを洗ってくれます。
昨日・今日・明日館
昨日の午後は女義太夫を聴きに行きました。演目は「菅原伝授手習鑑-寺子屋の段」。歌舞伎や文楽で義太夫は何度か聴いていますが、女義太夫というのは初めてです。誘われなければ聴く機会などありそうもないので、物は試しと出かけました。初体験のことだし、女義太夫に関しては「こんなものかなあ」という程度の感想ですが、その会場というのが池袋の明日館講堂でした。羽仁吉一・もと子夫妻がつくった自由学園の建物です。ここも初めてです。
池袋駅の西口を出ると「ふくろ祭」とかいうカーニバルのような催しで大騒ぎ。その喧騒を離れて、地図を頼りに静かな路地を進むと、婦人の友社がありました。「こんな奥深いところに」との感慨を抱きつつ、その角を曲がるとライトの設計による国の重要文化財「明日館」(写真)が見えて来ました。昨日は、結婚式に使われているとかで中には入れず。期待していたのに残念。
さて、今日の朝日新聞朝刊です。その婦人の友社が全面広告を出しています。昨日見た社屋を思い出しつつ、この出版不況下にあの地味な出版社がどうして?と意外の感を受けましたが、編集長さんの大きな写真の下の小さな経歴欄を見たら自由学園卒とあるではありませんか。社屋が学校の近くだから入社したのかなあと、実はそのときまで知りませんでした。婦人の友社って、羽仁夫妻がつくった雑誌社だったんですね。長く広報をやっているのに知らないことはたくさんあるものです。昨日の今日でちょっとびっくり。
ついでながら羽仁夫妻の娘が評論家で婦人運動家の羽仁説子。その亭主が、全共闘時代に一時期読まれた「都市の論理」の著者である羽仁五郎。その息子が映画監督の羽仁進で、その別れた女房が左幸子で、その娘が羽仁未央。と、このくらいは知っていたのですが。
青空
電車はなぜ遅れるのか
朝食を食べながらテレビを見ていたら、「京王線が開通した」というテロップが流れました。ということは、それまでは不通であったということ。大幅な遅れを覚悟しなければなりません。インターネットで確認したら、「人身事故の影響で15分以上の遅延」ということがわかりました。
最寄り駅は、幸いにも京王線と小田急線が使えます。駅で迷いました。遅れていてもいつもと同様に京王線を使うべきか、振替輸送のキップをもらって小田急に回るべきか。暫し考えた末に小田急に決めました。京王線の電車にたまたま乗れたとしても、途中の本線との合流で動かなくなってしまうリスクが高いと判断したのです。そういう経験を何度かしています。
小田急線の新百合ヶ丘駅に着くと「快速特急」と接続しました。これは下北沢まで停まることなく一気に行きます。シメシメ。思わず自らの判断力の正しさにうっとりとしてしまいました。
さて、乗り込んだ快速特急。3つ先の生田駅までは一気に走りました。そこから急にスピードが落ちてノロノロ運転に。やがて車内アナウンスがありました。「この電車は新百合ヶ丘駅を3分遅れで発車いたしましたが、新宿駅付近で雨と混雑の影響で電車が詰まっております。新宿駅到着が15分ほど遅れておりますので、この電車も大幅に遅れることが見込まれます」
かくして代々木上原駅に20分遅れで到着。自らの判断力を呪うことになってしまいました。
小田急線は、せっかく代々木上原で東京メトロ千代田線と乗り入れているんですから、もう少しそちらに電車を回せばよさそうなものなんですが、それを嫌がって(いるかどうかは確認しておりませんが)、ほとんどの電車を新宿駅行きにするから日常的に詰まってしまうんだろうと推測しております。ある朝、「今日は幸いダイヤ通りに運行しております」という車内アナウンスがあったと利用者から聞きました。
小田急線に限らずどうして朝の電車は雨が降ると遅れるのでしょう。その原因を分析したという話を聞いたことがありません。風が吹いて桶屋が儲かるようなものでしょうか。混雑するから遅れるという説明も釈然としません。毎朝混雑するのがわかっているのなら、その混雑を織り込んだダイヤが作れそうなものです。作れないなら作れない理由を開示すべきです。要するに鉄道各社はこの点について説明責任を十分果たしていないことになります。
沿線情報や自社クレジットカードの勧誘にはあれほど熱心なのに、なぜなのでしょう。きっと開示できないわけがあるに違いない、と勘ぐられる前にぜひ十分な説明をしていただきたいものです。
ちなみに「ただいま実施しております複々線工事が完成した暁には・・・」といった逃げは許しませんよ。「首都圏への人工の集中が・・・」という言い訳も許しません。地下鉄との乗り入れやダイヤの改正のたびに「混雑の緩和」、「遅れの解消」と言ってきたではないですか。それでも一向に改善されない。どこかが間違っているんじゃないですか、電車屋さん。
発行体も発言を
このところ続けざまに、IRに関する勉強会やセミナーへのスピーカーとしての出席依頼をいただきました。
現役のIR担当者は話にくいようだから実務を卒業したばかりの人間を探そう、というコンセプトに私が見事に当てはまってしまったようです。
現役のみなさんがお断りになる最大の理由は、会社が認めないということではないでしょうか。できるだけボロを出さないようにIRをやっているのに、そんな場に引き出されてポロっと露見してしまったら大変。出席しても明らかな利益が見込めず、リスクだけ負うのでは間尺に合わないとお考えになるのだろうと想像します。それも理解できないではありませんが、少々情けない気もします。
私はバリバリの現役のときから、いろいろなIR関係の集まりやセミナーでお話をしてきました。企業秘密はもちろん、勤め先の生々しい裏話などもできません。いくら面白くても経営者や社員の名誉に関わる話もできません。そこがちょっぴり残念ではあったのですが、そんなことを話さなくても、事業会社(発行体)のIR担当者としての経験や考え方を率直に申し上げるのは、それなりに価値があると信じておりました。
証券市場のプレーヤーとしては投資家、証券会社、そして発行体があり、それらを支えるものとして取引所や監視機関や行政、さらに法曹界などがあるわけですが、この数年次々に導入されて来たさまざまなルールの制定過程では、発行体の声が一番小さいと感じられてなりませんでした。発行体における不祥事が次々に明るみに出て、大きな声でものが言えなくなったということもあるのでしょうが、それなら証券会社だってファンドだって同じこと。問題は、一般に発行体のIR担当者における専門性が、他に比較して浅いというところにあるような気がします。
私とて胸を張って専門性をウンヌンできる立場にはありませんが、IRの第一線で日々アナリストや投資家のみなさまと丁々発止をやっていれば、それなりに言いたいことは出てきます。それだけでも発言する意味があると考えておりました。現状のような状態が続けば、発行体にとってさらに負担が増えるような気がします。もっともっと発言をされたらいかがでしょうか、と現役の方々にはお勧めしたいところです。
さて、私がそのIRの現場を離れて約半年。10年以上もやってきたことですから、そう簡単には忘れはしませんが、生々しさはだいぶ薄れてきました。どんなお話をしたらよいか、フィルムを巻き戻して(この比喩はもう古い)、ここはじっくり考えなければなりません。企業を離れたからと言って、うかつな裏話ができないのは、いまも変りはありませんが。