圧迫ストッキングは必要だけど

その電話は突然でした。
「震災避難所での二次的な健康被害を防ぐ企画だ」というのですが、話を聞けば聞くほど頭の中が混乱してよくわかりません。いろいろ質問をしてようやくわかったのは、その電話の主が圧迫ストッキングの輸入元であるということです。その圧迫ストッキングを避難所に送りませんか、ということらしい。
とくにご高齢の方は避難所で長時間毛布にくるまってじっとしておられることが多いようです。そこで心配なのがエコノミー症候群。その予防には、静脈を強く圧迫する弾性ストッキングが有効であろうということは、2007年の中越沖地震のときにクローズアップされ、よく知られるようになりました。今回の地震でも、発売元の一つであるテルモが寄贈することをすでに発表しています。
これはなかなかよい企画ではないかと思いました。そこでさらに話を聞いてみると・・・
被災地で生活する方々へ支援物資を送りたいと考える企業がその輸入元にお金を払う。すると輸入元が日赤に圧迫ストッキングを寄贈する、というのです。
これって、なにか変じゃありませんか? 要するに、その会社の圧迫ストッキングを買ってほしいということなんです。ご丁寧にも自社サイトに申し込み書まで掲載しています。
被災者を食い物にして商売をしようとしている。これでは社会貢献の衣を着たオオカミです。おためごかし。火事場泥棒、いや震災地泥棒の一種と言ってもよいでしょう。いまも怒りが収まりません。〈kimi〉

社会との良好な関係を築く『広報の基本』

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こんなときにタイミングがよいのか悪いのか。ココノッツの企業サイトのトップページ“What’s New”でもご紹介しましたが、さる3月18日に、「社会との良好な関係を築く 広報の基本」(産業編集センター刊、定価1,360円税込) を上梓しました。その『あとがき』から数行を引用いたします。
「一流企業と呼ばれる一部の大企業で広報活動が活発に行われているのは間違いありません。マーケティングと連動した商品広報もにぎやかに進められています。ネット広報も盛んです。にもかかわらず、予期せぬクライシスに見舞われると、それまでは自信満々に展開していた広報活動や情報開示に対する企業姿勢がどこかに隠れてしまい、稚拙なコミュニケーションで世界中から非難を浴びてしまう。そのような「一流企業」の姿を私たちはしばしば目にします。企業の本質の部分に、広報はまだ根付いていないのではないでしょうか。」
もちろん今回の大震災の起こるはるか以前に書いたものです。〈kimi〉

結論を先に言いなさい!

こういう複合危機状況の中では、書きたいことは山ほどあれど、書くべきことと、いま書いてはならないことが複雑にからみあっています。危機を脱しようとすべての人が努力していると信じたい。そのようなときに、揶揄したり批判したりすることは慎みたいという気持が働きます。つまりはブログが書きにくい。
政府、役所、企業などの記者会見がこのように連日テレビ中継されるなんてことは、極めてまれなことです。危機管理広報の実例を毎日勉強させられているようなものです。
書きにくいけど、気がついたことをいま一つだけ書いておきます。
緊急記者会見では結論を先に述べるべきです。
国民のすべてが、いまどうなっているのかを知りたい。何をやって、どうなっているのかを知りたい。それをまずアナウンスすべきです。そのあとで、「というのは・・・」と背景説明をしてほしい。テレビ中継されている記者会見で、報道資料の説明など後回しにすべきです。そんな単純なことがどうしてわからないのか。そのことに毎日イラだっています。〈kimi〉

カンニングについて

大学入試のカンニング事件もヤマを越したらしく、すっかり報道が少なくなりました。少々やりすぎたか、とメディアの側も反省したのかもしれません。携帯を使ったという点、ネットの質問サイトを利用したという点、それらが新しかった、つまり”ニュース”だったというだけのことで、よくよく考えたらただのカンニング過ぎないということになったのでしょう。
その大騒ぎ報道を見たり読んだりしながら、学生時代に耳にした話を思い出しました。うろ覚えですが、こういう話だったと記憶しています。
文化大革命当時の中国でのことです。一人の紅衛兵がカンニングをして捕まりました。すると、毛沢東はこう言いました。
「カンニングをしたっていいじゃないか。それでその子は知識を一つ身につけたのだから」
この話に当時の私はえらく感心してしまいました。これは見事な「発想の転換」ではないか。物事を別の角度から見る面白さを、この逸話で学んでしまったのです。
誤解をしていただきたくないのですが、私は毛沢東主義者でもカンニングの擁護者でもありません。カンニングに成功したこともありません。カンニングで知識が増えるかどうかに関しても、大いに疑問を抱いております。
しかし、カンニングという行為は、どこか窃盗や傷害といった犯罪とは異なる面があるのかもしれない、とも思うのであります。〈kimi〉