なぜ助けないの?

夏の高校野球は埼玉県の代表が初優勝したらしいですね。興味がないので今朝の新聞やテレビニュースで知りました。高校野球に興味がないのは、東京の生まれであること、都立高校の出身者であることが影響しているのかもしれません。その出身校も毎年予選1回戦敗退ですから。
興味がないので最近まで知らなかったのですが、開会式で選手たちが整列しているときに校名のプラカードを持って列の先頭に立っていた女子生徒が突然倒れてしまったということです。ネット動画で確認したところ、係員が駆けつけて、倒れた生徒を列の中に引き込み、観客の目に触れにくいように列外に運び出していました。
高校野球の恩恵を受けている大手メディアは取り上げませんでしたが、ネットでは整列している選手たちがそのまま直立不動を保ち、誰一人として倒れた生徒を助けようとしないことを批判する書き込みが見られました。当然です。選手たちの人間性を疑います。そのように育てた指導者は非難されるべきかと思います。それから、観客に見えないようにコソコソと倒れた生徒を連れ出した係員のやり方にも違和感を覚えます。
学徒出陣の出陣式じゃあるまいし・・・とイヤ~な気分になりました。

喜びの表現

シリアスな記者会見のトレーニングで、笑顔を見せないようにとアドバイスすることがあります。サービス精神が旺盛なのか日本人の特性なのか、つい口元がほころんでしまう方がおられますが、そのような一部の方を除いては、深刻そうな表情を維持するのはそれほど困難なことではありません。
難しいのは喜びを表現する方です。記者会見で大喜びをするケースはめったにありませんが、たまにはお祝いごとや表彰式など、笑顔を必要とすることもあります。もちろん心の底から喜びがわき上がるときの表情は最高ですが、たいしてうれしくもないのにうれしい顔をしなくてはならないときが難しい。訓練を積んだ俳優さんならともかく、一般の方に、メディアトレーニングを行ったくらいでできるものではありません。
最近ミサイルの成功を北朝鮮市民が喜んでいるシーンがテレビに映し出されますが、喜びの仕草を振り付けるのに、かの地の当局者も苦労しているのではないでしょうか。彼らだって「白々しいジェスチャーだよなあ」と気づいているに違いありませんが、他に適当な喜びの表現やアイデアが浮かばないので、バンザイさせたり拍手させたりしているのでしょう。最高指導者の背中に負ぶさって喜んでいる軍幹部の写真もあります。あれは何度か撮り直したのでしょうか。「合図をしましたら、将軍は委員長のお背中に乗ってください。よろしいですか。ではサン、ニー、イチ。はい、撮れました」なんてやっていたとしたら面白いですね。

開けゴマ

自分では新しもの好きだと思っているのですが、どうにもやる気が起こらないものもあります。スマホに向かって音声で指示を出すというやつもその一つです。開けゴマと唱えると岩壁が開くようなものですが、あれって、どういうときにやるんでしょう?
人混みでやると、周囲の人がびっくりしてしまうでしょう。電車の中ではやりにくい。タクシーの中でやったら、「お客さん、なんですか?」と運転手さんに問いかけられてしまいそうです。部屋の中に自分一人でいるときなら不都合はなさそうに思いますが、そのシーンを想像すると、なにかおかしい。
知り合いの経営者に、部下との会議の最中にもスマホに語りかけて調べ物をするという人がいます。「平気ですよ」とおっしゃるのですが、どんなものでしょう? 部下のみなさんも奇異に感じていて口に出せないだけなのではないでしょうか。
音声入力で原稿を書く人もいます。これは便利だろうと思いますが、文章言葉でしゃべることに抵抗があります。
著名な写真家が誤植だらけのブログを毎日書いています。おかしいなあ、と思っていたら、タブレット端末に音声入力をしているのだとわかりました。それは結構ですが、公開して多くの人に読ませるなら、入力後の文章の校正くらいしたらどうだと言いたい。まだ音声入力はそれほど信頼できるレベルには達していないようです。