「等」つながり

私鉄の駅前に何本ものノボリが立っているのに気がつきました。選挙の候補者が演説しているのかと思ったら違いました。ノボリには大きく「自転車等駐車場」と書かれています。
興味深いノボリです。自転車置き場は、自動車置き場と区別するために「駐輪場」と表示されることが多いのですが、なんでここは「駐車場」なんですか? なんで「自転車等」と「等」がついているのかしら。
こんな疑問形で書くまでもありません。ここにはバイクも止められるようになっているんです。だから「駐輪場」ではマズイ。自転車置き場とバイク置き場に共通する用語としては「駐車場」の方が妥当性が高い。しかし、「自転車駐車場」ではバイクをカバーできない。ここはやはり「等」をつけまして「自転車等」で行きましょうよ、と。いや、私が考えたんではありません。区役所のお役人さんが、たぶんそう考えたのではないかと想像したまでです。
霞ヶ関方面で「医薬品等」と表記されることがしばしばあります。一般人の常識では、「薬のようなもの」をイメージするでしょう。ところが、この「等」の中にメガネが含まれることがあると言ったら、かなり違和感を覚えるのではないでしょうか。薬とメガネ。自転車とバイクよりはるかに縁遠い存在です。
薬事法という日常生活に縁の深い法律があります。薬事だから薬のことを決めている法律かと誤解されがちですが、それだけではありません。第1条に「この法律は、医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療機器の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、指定薬物の規制に関する措置を講ずるほか、医療上特にその必要性が高い医薬品及び医療機器の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保健衛生の向上を図ることを目的とする。」とあります。
「医薬品等」というのは「医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療機器」を指しているわけです。メガネは医療機器とされているので、立派に「医薬品等」なのです。
製薬会社など、本丸の医薬品関係者にとっては「等」があろうがなかろうが、どこ吹く風ではありますが、「等」と一字の中にひっくるめられてしまった医療機器の関係者にとっては心中穏やかではいられません。なんでMRIが、人工呼吸器が、ペースメーカーが「医薬品等」なんだ、ということになる。ともに医療に使われるとは言え、薬と医療機器とはかなり異なるものです。違うところがたくさんある。そこで薬事法から切り離して医療機器法をつくれ、という声が近頃強くなって来ました。それを支持する国会議員も現れました。
「自転車等」と「医薬品等」。一見関係なさそうですが、根っこの方ではどこかつながっていそうです。〈kimi〉

目のつけどころ

友人からメールをもらいました。共通の友人であるE君が俳優の阿藤快に似ていると思わないか?という呑気なメールです。なに故、突然そんなことを言い出したのか皆目見当がつきません。おかしな男です。
私はE君が、阿藤快に似ているとは思いません。私が、E君にそっくりだと思っているのは作家の立原正秋と俳優の綿引勝彦です。これはE君自身も認めるところ。しかし立原正秋と綿引勝彦の顔を比べると、これは全く似ていません。
世界的なチェリストのヨーヨー・マに似ている日本人を私は二人知っています。お一人はさるノンバンクの幹部の方、もうお一人は医療機器会社の人事部長さんです。お二人とも、ヨーヨー・マに似ていると言われたことが何回もあるとのことで、自他共に認めるヨーヨー・マ似です。しかし、ノンバンク氏と医療機器会社氏が、もし顔を合わせたら互いに似ているとは認識しないかもしれません。
A≒B、A≒C、B≠Cです。三角形は成り立たず、二辺だけが有効です。A氏とB氏の特徴が一致しているのは顔の上半分。A氏とC氏の似ている部分は下半分だとしたら、B氏とC氏は似ていないくて当然ということなのでしょう。
メールの差出人は、E君のどこかの特徴を阿藤快に見出した。それが私の目のつけどころと異なっているので、私の目にはちっとも似ていないと映ります。
一つの事実に対して、人によって見方が異なることはよくあることです。同じものを見ていながら、それぞれが別の側面を強く認識してしまうと、お互いに他の認識を受け入れがたい。コミュニケーションギャップは、こういうところからも生まれるのでしょう。(文中敬称略)〈kimi〉

ただの道具

軽くて小さいノートパソコンを買いました。これまでは記者会見やセミナーなどでパワーポイントを映すのに、私の個人所有のノートパソコンを使ってきました。いまだ十分に使える性能ではあるものの、dog yearの世界においては少し古めかしくなっていました。
この仕事、休日や夜間に自宅で作業をしたりメールを出したりすることが結構あるのですが、それを1台だけでまかなうのにはリスクがあります。万一トラブルが発生したらお手上げです。そこで予備に10年前のノートパソコンを1台置いていたのですが、スイッチを入れてから立ち上がるまで日が暮れそうだし、負荷の大きい処理をさせると、その間にビデオが1本が見られるし、実用性をほとんど失ってしまいました。
そんなわけでご老体は1000円で売り払い、会社から自分の1台を自宅に戻し、会社で仕事に使うノートパソコンを新規購入という玉突きをしたわけです。
しかしまあ、新しいパソコンというのは世話が焼けますね。パソコンが道具である以上、自分の手になじむようにしなければ使い物になりません。その作業だけで正味2日を要します。ソフトがなければただの箱とはよく言ったもので、あれも買わなければ、あれもインストールしなければ・・・と、パソコンの購入費のほかにソフト代もバカになりません。
この土日、そんなことをしていたおかげで、私が仕事をする上で最低限必要なソフトが判明しました。
1)Word
2)PowerPoint
3)Excel
4)Photoshop
5)Acrobat Pro
米国のソフト屋さんの戦略に乗せられているような気分ではありますが、これらがなければまったく仕事になりません。そのほか日頃愛用している
6)Tunderbird
7)Firefox
も入れたい。IMEも使い慣れたATOKにしたい(これは国産ソフト)。あとはあれば便利というソフトをいくつか。
思い起こせば、こんな作業が楽しかった時代がありました。あの頃のパソコンは魔法の箱でした。それがただの箱、ただの道具となってしまったいまでは、この作業は苦痛以外のなにものでもありませんでした。いまや新しいパソコンを買っても、性能こそ向上しているものの、できることには大した違いがなくなってしまったからです。次に私たちをワクワクさせてくれる道具は一体いつ生まれるのでしょうね。〈kimi〉

何だかわからん

先日、友人の某大学教授が演出する前衛演劇を鑑賞してきました。エンターテイメントを目指さないと演出家自身が公言しているくらいですから、楽しく観劇というわけにはまいりません。話の流れもよくわからず、なぜそこで叫ぶのか、なんでそのような身体の動かし方をするのか等々、脳味噌の中で疑問符が連打されるうちに1時間15分が経過しました。
いわゆる「ゲイジュツ」においては、それを見て、あるいはそれ聴いて、何らかの感応が得られればそれでよい、という誠に身勝手なことがときに称賛されたりします。それも一種のコミュニケーションではありますが、送り手が意図した内容を正確に受け手に伝達するということは、必ずしも目的とされていません。だから、何が何だかわからないうちに芝居が終わってもよろしい、ということになるようです。
広報の世界では、もちろんそれは通用しません。伝えたい内容は、より正確に相手に伝わってほしい。そして理解してほしい、納得してほしいというのが広報です。そのような世界に長年身を置いていると、何だかわからん前衛演劇の世界が新鮮であると同時に、どこか割り切れない気持にもなってきます。
このところ、何だかわからんうちにリコールされたり社長が交代したり、ビジネスの世界でも何だかわからんことは決して少なくないのではありますが。〈kimi〉