スピーチを磨きましょう

企業やPRエージェンシーがこの1年間に行った広報活動を発表し、それを審査して表彰しようという催しが先日開かれました。
他社がどのような広報活動を展開しているのかを学ぶよい機会でもありますし、そのプレゼンテーションにも興味があります。お手並み拝見、というよりも勉強させていただこうという下心、いや殊勝な心で見学させていただきました。
審査委員ではないので発表された広報活動の中身についての感想は控えさせていただきますが、さすがにPRエージェンシー各社のパワーポイントの出来はすばらしく、プロの仕事だとすっかり感心してしまいました。
広報を仕事にしている人にとって、プレゼンテーションとても重要です。とくに広告代理店やPRエージェンシーにおいては、その出来不出来は直接業績に影響します。弊社もプレゼンテーションの資料づくりには頭を悩ますとともに最大の努力を払っているところであります。
しかし、少し違和感も感じました。スピーチのお粗末さです。ほとんどの発表者が原稿を読んでいました。棒読みとまでは申しませんが、単に読み上げているだけなのです。プレゼンテーションにおけるスピーチになっていません。これには正直がっかりしてしまいました。
企業の広報担当者やPRエージェンシーの担当者は、プレゼンテーションの専門家であるべきだ、というのが自分を棚に上げての持論です。プレゼンテーションの成否は、パワーポイントの出来もさることながら、プレゼンターのスピーチに負うところが大きいのは言うまでもありません。しかし、日本人が最も苦手にしているところがまさにそこなのです。
パワーポイントのスライドのレベルを上げるのは、デザイナーの力も借りれば比較的容易かもしれませんが、スピーチに関してはおいそれとは上手にはなれません。トレーニングあるのみです。メディアトレーニングなどを業務にしているPRエージェンシーのみなさんも、自身のトレーニングにまで手が回っていないのでしょう。それではいけない、と自戒を含めて思ったのでありました。〈kimi〉

年賀状の季節

そろそろ年賀状の用意をしなくてはならない季節になりました。会社から出す年賀状のデザインについては、デザイナー経験のある社員がいま頭を悩ましていますが、個人の年賀状に関してはいまのところな~んにもアイデアなし。まあ、そのうちなんか思い浮かぶだろうと暢気に構えております。
私、年賀状を大切にする方です。小学校を卒業してから一度も会ったことのない「友人」と半世紀にわたり年賀状の交換を続けています。毎年、元旦の朝にお互いの無事を確認し合うだけのことですが、賀詞の横に書かれた短い文章から、質屋の一人息子だった彼が大銀行を無事に勤め上げ、その後小出版社へ籍を移したことを知りました。
大学時代の友人で、これも卒業以来、年賀状の交換だけだった男と京都で再開したのが2年前。お互いの仕事を語り合ううちに、これは互いに協力できそうだと考えました。そして今年、彼の協力を得て一仕事を成し遂げることができました。
この季節は、同時に欠礼のお葉書をいただく季節でもあります。今年も何枚かのお葉書が届きました。ご両親やご兄弟のご不幸に混じって、昔の同僚が亡くなったことを伝える奥様からの葉書も頂戴し、しばらく遠くを見つめてしまいました。社内結婚をしたその奥様が20代前半だった頃の溌刺とした姿、その彼女との結婚が決まって心底嬉しそうな同僚の表情。一枚の葉書から記憶が次々に浮かび上がってきました。
それもこれも、年賀状という習慣がなければあり得ないコミュニケーション、人間関係です。
定年退職すると同時に年賀状をやめてしまう人もおられます。宮仕えから完全に足を洗って、これからは別の人生を送ろうという決意なのかもしれません。それはそれで一つの考えです。しかし、惰性で出す年賀状、義理で出す年賀状、下心で出す年賀状・・・それでもいいじゃありませんか、1年に一度のことなんですから、と私は考えております。さあ、今年はどんな年賀状を出そうかな。〈kimi〉