最先端はお好き?

その後、STAP細胞の論文への疑問やら韓国のフェリーの沈没やら、大きな事件が立て続けに起こったので、例の偽作曲家の話題は週刊誌やワイドショーからすっかり消えてしまいました。人の噂も七十五日。今頃、偽作曲家はシメシメと思っていることでしょう。
そんなことを思い出したのは、今朝の電車の中で、モーツアルトの弦楽四重奏曲を聴いていたからです。
モーツアルトばかりでなく、私たちが好んで聴くクラシック音楽はバッハ、ヘンデル、ベートーベン、ブラームスなど、17世紀から20世紀初めまでのいわゆる調性音楽です。コンサートでも演奏される音楽のほとんどが調性音楽です。そして、偽作曲家がゴースト作曲家から供給を受けていた音楽もまた調性音楽でした。それでCDがたくさん売れました。もちろん作曲家の耳に障害があるなどという修飾が大いに影響したわけですが、これが無調の現代音楽だったら、ほとんど売れなかったはずです。
新聞や雑誌からの情報によれば、ゴースト作曲家氏も本名で発表しているのは無調の現代曲だそうです。しかし、それは売れていない。
現代作曲家によるとんがった音楽は、誰がどう擁護しようが、そのほとんどが聴いていて面白いものではありません。まるでわからない。数学や理論物理学の最先端の講義を聞いているようなものです。何事によらず最先端を目指すことは大切です。しかし、最先端の部分は誰もが楽しめるものではありません。そこで多くの人たちは、現代クラシック曲には見向きもせず、もっぱらポップスやロックを聴くようになってしまったのだと思います。だって、その方が楽しいもの。
STAP細胞も、その研究を本当に理解できる人は限られます。私たちはわかったようなつもりになっているだけで、実はな~んにもわかっていないのです。そんな難しい話より、もっとわかりやすくて原初的な感性に訴えかける話題の方が楽しいに決まっています。そこで、何回STAP細胞ができたのかとか、ノートの冊数がどうとか、小保方さんが美人だとか洋服のブランドがどうだとか、そんな方面につい関心が向いてしまうのでしょう。〈kimi〉

誰も住まない町の列車が来ない駅

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福島県南相馬市の小高地区は福島第一原発から20km圏内にある。現在住民はこの地区で夜を過ごすことができない。つまり住めない。昼までも町ではほとんど人影を見ない。パトカーだけが巡回している。常磐線は不通のまま。列車も乗客もいない小高駅は何事もなかったように存在していた。駅の自転車置き場には、帰還できない所有者をあの日から待ちつづけている自転車が並んでいた。2014年3月31日撮影。医学ジャーナリスト協会第2回被災地取材ツアーに参加して。

南三陸町佐藤町長のお話

日本医学ジャーナリスト協会が昨年に続いて企画した東日本大震災被災地への取材ツアー(3月30~31日)に参加しました。被災地の復興がどこまで進んでいるのか、原発事故の影響は住民の健康や意識にどのような影響を及ぼしているのか等々、現地の方々からお話をうかがおうという企画です。気仙沼市、南三陸町、石巻市、女川町、仙台市(宮城県庁)、相馬市、南相馬市と3県7市町を駆け巡り、首長をはじめ地元開業医の先生、被災地の復興に尽力されている経営者や市民、「語り部」として活動しておられる方など10名以上のみなさんから直接お話を聞くことができました。
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印象に残るお話をたくさんうかがいましたが、その中の一つです。
死者625名、行方不明者199名を出した南三陸町の佐藤仁町長。町長ご自身も防災対策庁舎の屋上のアンテナにつかまって九死に一生を得ました。その佐藤町長は震災の直前、たまたま阪神淡路大震災の経験者の講演を聞いていて、そこで心に残っていたことが二つあったそうです。
一つは職員の食事を確保する必要性。
これはたしかに日本人がおろそかにしがちなポイントです。兵站(戦場の後方にあって、兵器・食糧などの管理・補給に当たること=明鏡国語辞典)は旧日本軍の最大の問題点でもありました。いまの企業においても業務の遂行にばかり熱心で社員の体力や健康への配慮を欠いたことによる悲劇が繰り返されています。
この3月に文庫本になったばかりの「河北新報のいちばん長い日--震災下の地元紙」にも、震災直後に「おにぎり班」を組織して、食料や燃料が入手できない状況下で震災報道に当たる記者たちを支えたエピソードが紹介されています。
二つ目はメディア対応の重要性。
佐藤町長は毎日自ら記者会見してメディアの取材を受けていたそうです。これはトップがするべきことだ、と町長は強調しておられました。トップが取材に応じるからテレビも新聞も取材に集まる。メディアへの露出が増える。その結果として全国的に注目され、援助額が他の被災地よりも大きくなったそうです。確かにテレビニュースや新聞でのインタビューで何度も町長のお顔とお名前を拝見したことを覚えています。
広報の基本をあらためて認識させられたお話でした。〈kimi〉