この年で?

にわかに思い立って、アスレチッククラブに入会しました。
この年で?と高校の同級生に訝しがられましたが、そうです、この年にしてなのです。
一昨年の暮れから自宅で軽い筋トレを始めました。体力の衰えを自覚したということもありますが、健康診断のたびにドクターから「なんだかんだ」とご注意を受けるからでもあります。「なんだかんだ」は言われるものの治療はなしです。それほどではない。その代わり運動をしなさいとしつこく忠告されます。
ブルワーカーⅡという筋トレ道具、何十年か前、PLAYBOY誌などに広告が出ていました。これを使えば誰でもムキムキのキン肉マン(当時はマッチョという単語は使われていなかったはず)になれると思わせてくれました。しかも秘かに部屋の中でトレーニングできる。実に魅力的です。貧相な肉体の持ち主として、恥ずかしながらムキムキを夢見て購入したものの、ほとんど使わないまま押入の奥に放り込んでいたのを引っ張り出しました。ビニール製のケースには穴が開いていましたが本体は新品同様。説明書もありました。
さらにAmazonに鉄アレイを二つ注文しました。最近の鉄アレイは表面がソフトに加工されていてとても感触がよろしい。これも家捜しをすれば立派なダンベルがあるはずなのですが、探すのが面倒くさい。
この二つの器具を使って、週に4~6回筋トレを行って1年半。力を入れてもふにゃふにゃだった二の腕にささやかながら力こぶができてきました。
となるとさらに負荷を高めたい。もっと重い鉄アレイを購入しようかとも考えましたが、アスレチッククラブのマシンを使った方がより効果的かもと思い至りました。
入会して驚きました。「この年で?」どころではありません。トレーニングに励んでいるのは高齢者ばかりではありませんか。背中が屈曲した高齢のご婦人が静々とエアロバイクに歩み寄り、慎重にセッティングをしてこぎ出します。同年代と思われる男性が猛烈な勢いでランニングマシン上を疾走しています。どこを見回しても若者も壮年もいません。平日だからでしょうか。いやいや、いまや土日でもアスレチッククラブは高齢者で満ちているのだそうです(平日会員だから土日の様子は見たことない)。どおりで入会申込みをするときも、係の女性がごくごくあたりまえに対応してくれたわけです。
知らないところで世の中って変化しているんだなあ。

ロバートさんのルール

昨年の4月から仰せつかっていた分譲住宅管理組合の理事職も今月一杯で任期満了となります。ほっとする前に「総会」というものがあります。理事長=管理者ではないただの並び大名ながら、何もしないでいるわけにも行きません。
管理組合の総会は株式会社の株主総会にあたるもの。執行部たる理事会としては、議案は粛々と可決されなければなりません。ところが株主総会同様、いやそれ以上に何やかやとご意見やらクレームやら自己アピールやらが表明されて紛糾することが少なくありません。にも関わらず今回の議案は13もあるのです。とても1~2時間では終わりそうもありません。
それなら13議案を一括して採決してしまったらどうか、などという意見も出て来ました。
ちょっと待って。それはまずいでしょう、と申し上げて、突然思い出したのがロバートのルールです。オフィスの本棚に英語版があったなあ、と。
ご存じのように米国連邦議会の規則をもとにロバートさんという軍人さんがまとめたもの。民主主義の基本ルールと言われ、どこの会議でも概ねこれに基づいたルールで運営されているはずですが、その存在を知っている人は少ないという不思議なルールです。
それによれば、議案は一つひとつ採決されなければなりません。一括採決なんて乱暴なことをしてはいけません。
ちなみにロバートのルールの日本語訳は絶版で、ネットで調べたら8万円とか10万円の値がついていました。必要とする人は確実にいるということでしょう。民主主義の危機が叫ばれているいま、新訳が出版されるとよいと思うのですが、売れないのかなあ。それこそ民主主義の危機の象徴ですね。

見えていなかった

「見えているようで見えていない。」
二人称の主語を加えると、「キミは見えているようで何も見えていない」と年寄りのお説教になってしまいますが、実際にそういうことってあるんですね。
なんとなく感じてはいたのですが、やはりおかしいと意識したのはほんの数ヶ月前のこと。昼間の明るいリビングでは、自宅のテレビがよく見えないのです。カーテンを引くといくらか改善するものの、コントラストの低い夕方の場面などは何が何だか見分けがつきにくい。自分の目のせいかとも思ったのですが、よくよく画面を観察してみると上部が少し暗く、下の方が明るく見えます。チューナーは内蔵していないものの4K対応というこの液晶テレビを購入して5年あまり。故障するにはちと早すぎます。
しかし、こりゃだめかもしれないと意を決して大型家電店へ向かったのでした。
いや驚きました。実に鮮明。とくに青が鮮やか。見慣れたニュースショーのスタジオが、まったく違った景色に見えます。女性アナウンサーの目の下に灰色のカゲがあるのにも初めて気がつきました。
見えているようで見えていなかった。
近所の歯医者さんの建物の壁を家人は「きたない色だなあ」と思っていたそうです。白内障の手術をしたら、それがきれいなレモンイエローに塗られていることに初めて気づいたと言っていました。
雑誌の編集をしていた友人は、色校正を見て印刷所にあれこれ指示を出していましたが、白内障の手術をしたら・・・そんな雑誌を買わされた方は、見たくても正しい色は見せてもらえなかったことになります。
気づかぬところで、こんなことはいろいろあるのだろうなあ、と思いながら毎日有機ELの画像を眺めております。

第五福竜丸を覚えていますか?

一度は実物や現地を見てみたいと思いながら、いつか長い年月がたってしまうということがあります。江東区の夢の島公園に保存されている第五福竜丸(福龍丸)がその一つでした。
いまや世の中からすっかり忘れられてしまっていますが、米国が南太平洋で盛んに原爆や水爆の実験をやっていた頃、近くの海域で操業していたマグロ漁船の第五福竜丸に放射能を含んだ灰が降りかかり、乗組員が放射線被害を受けました。そのお一人は数ヶ月後に亡くなり日本中が大騒ぎになりました。
と書いても、それは1954年のこと。まだ幼児だったのでリアルタイムでよく理解できたはずもありません。雨に放射能が含まれていて濡れるとハゲるぞなどと真剣に心配していただけです。なのになぜか第五福竜丸が焼津港に帰ってきたシーンなどが記憶に残っています。まだ家にテレビはありません。どうして覚えていたのだろうと思いを巡らせて、思い至ったのはニュース映画です。当時は映画館に行くと、お目当ての映画の前や二本立ての間にニュース映画を上映していたのです。
話を戻すと、第五福竜丸はその後、紆余曲折を経て東京のゴミ捨て場であった「夢の島」にうち捨てられました。それを東京都が展示館を建てて保存しました。1976年のことだそう。美濃部都知事の時代ですね。
50年近く経ちますが、展示館は十分メンテナンスされていて、その日は休日のためか見学者が10人以上いました。小さいお子さんを連れた夫婦なども見かけました。時代は変わっても社会から忘れられても、よくぞこれまでしっかり保存してきたものです。
それにしてもこんな小さな木造船でよく南太平洋まで行ったものだと、それにも驚きました。
実物を見ないとわからないことって、たくさんあるものですね。

寝正月で思ったこと

最近めっきり弱くなったためか、お屠蘇代わりの日本酒の1合あまりでよい気持に酔っ払ってしまいました。三が日にはなんの予定もなく来客もなく、酔眼を空中に漂わせ、ただただ所在なく過ごしていましたが、新年だから何か新しいことが始まるとか、期待するものがあるとか、何かを始めようということもありません。
それは日本が衰退し始めているためか、ロシアが戦争を仕掛けているためか、中国が独断的な政策を推し進めているためか、いやいや単にこちらが年齢を重ねたためなのでしょう。
ぼんやりテレビを見たり新聞を読んだりソーシャルメディアを眺めていたりしていると、心配になるのはメディアの衰退です。
正月のテレビ特別番組は、いつになったらステレオタイプから脱皮するのでしょう。タレントの大騒ぎやら、通常の番組を薄めに薄めて尺を延ばしたスペシャルやら、とても見る気にはなりませんでした。NHKもニュースを含めて徳川家康がらみの企画ばかり。そんなにまでして大河ドラマを見せたいんか。
ステレオタイプの企画や家康がらみのコンテンツを作っている方が独創的な番組を創るよりずっとお手軽なのでしょう。そうして、テレビはますます視聴者を失って行くのでしょう。
元旦の分厚い新聞も毎年同工異曲の企画で読む意欲がわきませんでした。
ソーシャルメディアに投稿する「友達」も年々少なくなって、広告だけがずらずらと表示されます。
できればメディアに批判的なことは申し上げたくありません。しかしメディアが多くの人たちの支持を失ってしまえば、私たちの広報の仕事も成り立ちません。
既存のメディアに頼らない広報の方法を多くの広報のプロたちが模索しています。残念ながらいまのところ、これはという方法論を確立したという話は耳にしていません。
いましばらくメディアにはがんばってもらわなければならないのです。
現状のまま、また1年が経過してしまえば、また「なんだかなあ」とため息をもらしながら、年末を迎えなければならないことになってしまいます。

ある読書家への返信

○○○○○様

メール、ありがとうございました。
お読みになったという山崎努さんの「柔らかな犀の角―山崎努の読書日記」は、たしかに面白そうですね。この夏に連載されていた日経新聞「私の履歴書」もとんでもなく面白かった。彼は天性の文章書きですね。
さて、こちらは先週の金曜日から熱を出しまして、翌日には38度を超えました。これはやられたなと思いましたが、PCR検査が陰性ということでコロナではありませんでした。それでも二日ほど病臥していました。その間に読んでいたのは、最近文庫本になった池井戸潤さんの「ノーサイド・ゲーム」です。
ビジネスマンが低迷するラグビー部の再建を任されるというストーリーと広告にありました。あの作家の小説はどれも面白く、長く会社勤めを経験した人間にはリアリティが半端ないのですが、一方で、読む前になんとなく筋立てが想像できるようでもあり、スルーすることも少なくありませんでした。
ただ、この小説の主人公が君嶋という名前なのです。「島」の字が旧字の「嶋」であるところが、私と異なっていますが、キミシマには違いありません。
実際に読んでみると、半沢直樹の焼き直しみたいなシーンがあったりして、そのあたりは予想通りでした。そこに例によって、主人公が取締役会で対決する場面が出てきます。そして敵対する役員から
「・・・・・、君嶋!」
などと叱責されます。小説中の会話であっても、「キミシマ!」と名指しされるのを読むたびに、自分が怒鳴られたかのようにドキッとしまうのです。キミシマという苗字が比較的少なく、これまで同姓の方と遭遇する機会が少なかったという事情もあります。しかし、かつて勤め先の取締役会で報告などをしたときの情景や緊張が反射的に蘇ってくるようなのです。勤め先の会社では呼び捨てにされることはありませんでしたが、説教のような厳しいご意見をいただいた経験は何度もあります。それがトラウマになって意識の底に沈殿しているようです。
フランスの詩人ギヨーム・アポリネールは、第一次世界大戦の終結を喜ぶ群衆の「くたばれ、ギヨーム!」という叫びを死の床で聞いて、自分が罵倒されていると思い込んでしまったと伝えられています。群衆が叫んでいた「ギヨーム」とは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世のフランス風の呼び名だそうです。
名前って思いのほか自意識と深く結びついているのですね。


┏┏┏ 君島邦雄
┏┏   E-mail: kimishima@guessnokanguri.com
┏    U R L : https://www.guessnokanguri.com

「ございます」の使い方でございますが・・・

お役所独得の言葉遣いについては、これまで多くの識者によって種々論じられていますから、いまさら書く意味もないのですが、どうにも気色悪い言い回しがこのところ気になって仕方ありません。それは、
「ございます」
の使い方です。
辞書によれば「ある」の丁寧語だそうで、日常的にごく普通に使われていますし、使ってもいます。たとえば、
「これはほんの気持です」を「これはほんの気持でございます」と丁寧に言いかえて不自然なことは何もありません。
「いま検討しています」を少し丁寧に「いま検討しております」と言いかえても自然に聞こえます。
ところがですよ、「いま検討してございます」と言うのは、ちょいと気色悪くありませんか?
このような表現は役所にお勤めのみなさんが頻用しておられるようですが、いくら「ございます」が「ある」の丁寧語だからといって、無闇に置き換えてよいというものじゃないと思うのですが、いかがでしょう。
「・・・と認識しております」で十分なのに、「・・・と認識してございます」とか。例を挙げればどんどん出てきます。
役所ばかりではありません。数日前、電力会社による値上げの記者会見をニュースで見ていたら、
「・・・検討させていただきたいというふうに考えてございます」
だって。
お役所気質なんだなあ、やっぱり電力会社は。

「なぜこれをくださるのですか」

学校を出てからずっと会社勤め。自分で会社を興しても会社勤めには違いありません。カッコよく言えば“ビジネス社会で生きて来た”ということになりますが、そういう自覚はありませんでした。
ところが今年、居住地域の活動に引き込まれてしまって、それを思いっきり自覚させられることになりました。
そのモロモロはいずれ書くとして、先日はこどものためのミニ縁日と地域住民の作品展が開催され、作品展の係を命じられました。写真展の経験は何回もあるのでお安い御用です。
店開きをして間もなく、一人の高齢婦人がお越しになりました。そして氏名・住所・電話番号だけが印刷されたシンプルな名刺を差し出されました。こちらは名刺の用意などありません。すると小さなカードを差し出され、ここに住所と名前を書けとおっしゃる。すぐご近所ですから、逃げも隠れもできません。ご要望通りにいたしました。
2、3時間後のこと、その高齢婦人がペットボトルに詰めたお手製のコーヒーを差し入れてくださいました。一口飲んだらその甘いこと甘いこと。
その日の夕方、件の高齢婦人が自宅を訪ねてこられました。お手製の料理を冷凍保存したもの2品お持ちくださったのです。ありがたいことです。なんでも資格をお持ちだとか。何の資格かは聞き漏らしましたが。
何はともあれお気持は誠にありがたいものの・・・。


10月9日付毎日新聞のコラム「松尾貴史のちょっと違和感」にこんな記述を見つけました。
「差し入れといえば『なぜこれをくださるのですか』と聞きたくなる物を持ってこられる人もいる。いや、善意をもらっておいて不平があるわけではないのだけれど、もったいないなあと感じることが、ままあるのだ。
 ファンの方による手作りの食べ物は、いかに心がこもっている物でも、出演者に届けられることはまずない。もちろん、安全上の問題だけれども、たとえ直接『人柄の良さそうな』方に楽屋口などで手渡されても、それを口にするということはない。」

便りがないのは訃報の代り

母校が“Home coming day”をやるそうだ、と当時の同級生がバッグから封書を取り出しました。同窓会ですね。ところが、こちらにはそんな郵便物は届いていません。それもそのはず、そこに同封されていた行方不明者リストに私の名前が記載されていました。
40年間も引っ越しをしておらず、その昔は「総長室」なる名刺を持った紳士が勤め先を訪ねてきて、社内同窓会をつくってほしいと要請されたこともあります。もちろんお断りしましたが、そのときは勤務先まで把握していたのに、いまになって行方不明者とはどうしたことでしょう。どこかで意図的に削除されてしまったか・・・それは考え過ぎでしょうが。
同窓生リストに登録するメリットは何もなさそうですが、「行方不明者」というのも気色が悪いので、同級生に学校への連絡をお願いしました。
このところ昔の友人仲間にご機嫌伺いのメールを出しても、返信が戻ってくる確率がかなり低下しました。年賀状は寄こすのにメールに返信しないのは、ITリテラシーが低い高齢者故かもしれませんが、まったく音沙汰ない人はどうしたのでしょう。これも行方不明のようなもの。シカトでしょうか。礼儀知らずなのでしょうか。それとも・・・。
若い人なら「便りがないのおは無事の知らせ」ですが、高齢者では「便りがないのは訃報の代り」です。冷たいようですが、死んじまったのだろうと考えることにしました。合掌。

台風情報の国粋主義

台風が近づくたびに気になります。
台風の進路予想を伝える報道を見ていると、離島を除く日本本土に「上陸」するかどうかに異常に固執していませんか。台風の上陸とは台風の中心が北海道、本州、九州、四国の海岸に達した場合で、沖縄は台風の上陸とは言わず、通過と言うのだそうです(お天気.com)。これも一種の沖縄差別ですかね。なんだか太平洋戦争末期の状況を思い出してしまいます。沖縄にしてそうなのですから、小笠原諸島や南北大東島は真上に台風の目が来ても「通過」。深刻度が伝わりにくいですよね。
それ以上に理解できないのは、「台風は日本海を進みそうです」となんとなく安心感を漂わせてアナウンスされているテレビ画面を見ると、台湾や韓国が進路の真下にあったります。「台風は大陸方面へ抜けそうです(ホッ)」というのも同様です。
大して雨も降っていない新宿駅南口からの中継などよりも、日本をそれて他国に向かった台風の状況を中継するくらいのことはしてもよいだろうと思います。そのようなところから隣国との共感性も生まれてくるのではないですか。台風ばかりでなく何事も、日本本土に来なければよしという国粋主義はいかがなものかと思います。