できないヤツほどバタバタする

若いとき、ちょっとした大仕事をやり終えたので、ものすごく大変で苦労しましたと上司に言ったら叱られてしまいました。誰でも苦労して仕事をしているのだから、そんな程度で大騒ぎするなということでした。できる人ならそれほどのこともない仕事だったのかもしれません。未熟な故にバタバタしてしまったということだったのでしょう。そのときは、よくわかりませんでしたが。
その後、できない人ほどバタバタ大騒ぎして、その割には大した成績が挙げられない。できる人は涼しい顔して仕事をしていながら、よい成果を挙げるということが実感としてわかってきました。仕事はクールにやりたいものです。

否定されるとねえ

お話をした後で、なんとなくよい気分になる場合とイヤな気分が残る場合がいますね。もちろん叱られたり、無理な注文を押しつけられたりすればイヤな気分になりますが、平和にお話したときの後味のようなものに違いがあります。
それにはさまざまな要素がからんでいると思うのですが、相手の方が受容的な受け答えをする方か否定的な受け答えをする方かという点が大きく影響しているように思います。日常の会話では意識することはありませんが、よくよく注意して観察していると、「へえ」とか「なるほどねえ」とか「そっかあ」と受ける人と、とっさに拒絶したり反論したり言い訳を言ったりする人がいることに気づきます。否定されることは、たとえ最後には受け入れられたとしても気分のよいものではありません。
肯定しているつもりで「いやねえ」などと相づちを打つ女性がおられますが、あれも感じのよいものではありません。「イヤよイヤよもヨイのうち」などと怪しからぬことを昔の人は言っていましたが、もちろんそれとは異なる意味でです。

実に危うい

危機広報に関する講演の準備を始めています。企業でクレーム対応をしておられる方々が対象なので、危機に際しては広報担当者が重要な役割を果たすということを強調しようと思っています。
危機に臨んでは、全社的な対策本部を立ち上げるのが鉄則で、その中に広報の責任者や担当者が加わるのはいまは常識になっていると思っていたのですが、その面では先進的であるはずの製薬や医療機器の企業でも広報担当者が蚊帳の外に置かれている例があるようです。実に危ういと思うのですが・・・。

ガバナンスの問題でしょう

豊洲の市場用に建設した建物(回りくどい表現だなあ^^;)の地下に溜まった水は地下水で、その水は飲めるのだそうです。それなら問題ないじゃないかといったコメントがネットで盛んです。そういう人たちは、この問題は科学的に考えなければならないと主張します。
それは違いますよね。より重要な問題はガバナンスです。政治学的には文民統制の問題です。国会でどんな議論をしていようとお構いなく自衛隊ではICBMと核弾頭を導入してしまった、というのと同じことですよ、これは。この際、そこのところをしっかり確立してもらいたい。その上でなら、市場が豊洲に移転してもしなくても大した問題ではないような気がします。

生徒が先生?

たまたま再放送していたNHK「総合診療医ドクターG」という番組を見ました。患者の症状を劇中劇で見せて3人の研修医が診断を下し、それを経験豊富な医師が先生となって正しい診断へと導くというもの。少々専門的すぎるような気もしないではありませんが、一般の人たちにとってブラックボックス化している診断学を公開するという意義はあると思います。それはともかくとして、違和感を覚えたのは、先生役の医師が研修医に対して「○○先生」と呼ぶことです。医師免許を持っている同士は先生と呼ぶという長い業界の慣習によるものですが、生徒に向かって「先生」呼ぶのはやはりおかしい。
先日、読売新聞医療部におられた方のお話を聞く機会がありました。同紙の看板コラム「医療ルネッサンス」では、スタート以来、医師も患者さんも「さん」づけにしているとのこと。一つの見識だと思います。

ここにおられたか!

ときどき朝の半蔵門駅で電車を降りるど派手なお姿のオバチャンを目撃します。お生まれは戦後とお見受けします。厚化粧(都知事の10倍は厚い!)で、目の周囲は長いつけまつげともども真っ黒です。電車のシートからかかとの高いパンプスを履いた足がぶらぶらするほど小柄ながら、濃いめのピンクと黒を基調としたお洋服は極端なミニスカートです。
このオバチャン、どこかでお会いしたことのある方だなあと思いながら、ずっと思い出せませんでした。
先日、近くの蕎麦屋に入ったら、そこにおられました。元気にお客さんから注文をとっていました。ど派手なお姿の上に白い上っ張りを着ておられるから、すっかりお見逸れしてしまったわけです。人を服装で判断してはいけないと申します。これもその一例でしょうか。いや、ちょっと違うな(^○^)。

ゴミと排せつ

いま横浜市の文化センターを利用して開催されているイベントに参加しております。300席のホールや音楽練習室、ギャラリーなどを備えた立派な施設で、駅にほぼ直結しているという足場のよさも抜群。係の人たちも親切です。
しかし、この施設にはゴミ箱が一つもありません。ゴミはすべて持ち帰れ、ということのようです。外部からゴミを持ち込まれるのを防止するためもあるのでしょう。それはそれで理解はするのですが、社会的存在としての人間は何かの活動をすれば必然的にゴミを発生させるものです。生理的存在としての人間は必然的に排せつするもので、それへの対応としてはきれいなトイレが用意されていて、外部からトイレだけを使わせていただくことも可能です。
利用料金を払って使用しているのに、ゴミ処理を拒否するというのは、どうにも合点が行きません。

ビンボウとタボウ


NHKが取材した貧困女子高生に対するバッシングが、国会議員も巻き込んで話題になっています。このNHKのニュースをたまたま見ていました。正直なところ、自分がイメージしている「貧困」よりはマシだなあと感じました。若い女性の貧困と言えば、樋口一葉の生活などを連想してしまいますが、時代は違っているのです。
世の中には、「忙しい、忙しい」と言っている人がたくさんいます。しかし、その忙しさの中身には大差があります。本当に分単位で次から次に仕事をこなさなければならない立場の人もいれば、1週間に800程度の原稿を1本書かなければならないから忙しいと言っている人もいます。忙しさは、その人の価値観によります。「金がない、金がない」と言っている人も同じようなものです。
しかし「貧困」は、そのような個々の感じ方とは別次元の話です。人間貧困指数というのは国や地域ごとに出される指数ですが、個々の世帯に関して現在の一般的な生活水準に照らして、ある閾値以下は貧困であると、誰もが納得出来る指数はないものでしょうか。

キョロキョロおじさん

ときどき朝の電車で一緒になるおじさんがいます。風体から想像するところ、会社を定年退職して、いまは不定期に仕事をしているといった雰囲気です。このおじさんがどうも気になって仕方ありません。なにがって、その挙動がです。
ホームで電車を待っているとき、いまは多くの人がスマホをのぞき込んでいます。わずかな人が本を読んでいる。それ以外の人はおとなしく下を向いたり前を見たりしています。しかしそのおじさんは、団栗眼なのですが、その目玉であちこちを見ます。キョロキョロしています。他人の顔もまじまじと見ます。遠くからも見ます。まことに不躾です。だからときどき目が合います。それがどうにも気に入りません。
人のふり見て我がふり直せと言います。自分はどうしているのかな、と思い返しました。そしたらやっぱりあちこちキョロキョロしていました。おじさんの方も同じように私が気になっているのかもしれません。なにか不気味な関係です(^O^)。

テクニカルな要素も大切ですが

相変わらず企業の不祥事は続いていますし、有名人や芸能人の犯罪やら不倫やらの報道も尽きることがありません。
広報コンサルタントの延長線上に、そのようなクライシスでのアドバイスを専門にしている方々がおられます。謝罪会見には5秒以上アタマを下げろ、高級腕時計ははずせ、などという指導をしておられる方々です。
先日、そのような仕事をしておられる方からいただいたメルマガに、強姦の容疑で逮捕された芸能人の母親の記者会見が成功だったと書かれていました。立ったまま記者会見に臨んだのがよかったとか。「まあそうかもな」とは思うのですが、なんとなく違和感も感じました。危機に臨んでは、このようなテクニカルで細かい要素も非常に大切で、弊社でもご依頼を受ければ同様のコンサルティングを行いますが、本質はどこか違うところにあるような気もするのです。それがここだと明確に説明できないところがもどかしいのですが・・・。