それでも取材を受ける

テレビや雑誌の取材を受けたが、自分の発言と異なる主旨の記事となって掲載されたと抗議したり、SNSで嘆いたりする人が少なくありません。もう二度と取材を受けないと息巻く人もいます。とくに医師に多いようです。
企業の優秀な広報担当者は、取材を受けるときは誤った理解をされないように十二分に配慮をしますし、誤解されそうな部分はくどいほど繰り返して説明します。それでもこちらの意図と異なる報道になってしまう可能性は残ります。日常の会話でもミスコミュニケーションはしばしば起こります。その確率をできる限り低くするのが広報の技術というものです。
企業の広報担当者は、間違った報道をされても、もう取材を受けないなどとご気楽に宣言するわけには行きません。誤報されても悪意のある報道をされても、繰り返し繰り返しコミュニケートし、正しい認識を得る努力を続けなければなりません。それが仕事ですから。

嘆く前にやることが・・・

製薬協が京大大学院でやっていた寄付講座「医薬産業政策学」のシンポジウムが先週、丸ビルで行われました。知人に誘われて初めて行ってみたのですが、今年度で寄付講座が終了するために、シンポジウムも今回が最後なのだとか。高額医薬品と財源が今年のテーマでした。
盛りだくさんのプログラム内容はさておき、主催者である教授が最後に発した言葉が誠に印象的でした。「毎年シンポジウムを開いてきたが、参加者は製薬会社の人ばかりで残念だった」。
当たり前です。一部のジャーナリストを除いて、製薬業界以外にシンポジウムの開催を知る人がほとんどいないのですから。
医学系ばかりではありませんが、とかくアカデミアや一部の行政の方々は、イベントを開催することだけにほぼすべてのエネルギーを費やして、参加者を集めるための告知の重要性に気づかないケースが少なくありません。また、告知にはそれなりのコストが必要であることの認識にも乏しい。いくら立派なイベントでも、誰も集まらないのでは効果は望めず、単なるマスターベーションに終わってしまいます。
今回のシンポジウムは、製薬業界の人たちばかりとは言え、ほぼ満席でした。それで十分とは言いませんが、嘆くくらいなら、その前に努力しなければならないことがあったのではないですかね。

カブル

2月25~26日は国立大学の入学試験日なのだそうです。福岡では、ちょうどその日に人気グループの大きなコンサートが予定されていて、受験生の宿が不足しているのだとか。そこで西鉄が自社の寮などの宿泊施設を受験生に提供することにした、というニュースがありました。
コンサートの主催者側も、この季節ですから入試スケジュールとかち合わないように配慮してほしいものですが、諸々の事情でそうも行かなかったのでしょう。
地方都市へ出張しようとすると宿がとれないというケースにはしばしば遭遇します。調べてみると医学系の学会が予定されていたりします。その学会に関係していないこちらにとっては大いに迷惑なのですが、これもやむを得ないとあきらめるほかありません。
私たちの仕事では、メディアイベントが他社とカブルという事態にしばしば見舞われます。似たようなメディアイベントが重なると、出席してくださるジャーナリストが分散してしまい、お互いによいことはありません。しかし、日時の決定は主催する企業様のご都合によることが多いので選択の余地がほとんどありません。他社の動向も調べてはいるのですが、同じようなタイミングで案内が出るので避けようがないのが現実です。これを回避するよいアイデアがあればなあ、と考えるのですが、なかなか思いつかないのであります。

民主主義で選ばれた封建君主

種々の矛盾を抱えながらも自由主義、民主主義を建前としてきたアメリカ合衆国が、その制度のもとで選んだのが、大統領を中世封建君主と勘違いしている人物だったとは・・・もうマンガですね。
しかし、民主主義がこういう事態を引き起こす仕組みでもあることを、世界中が再認識させられたのではないでしょうか。これが、あらためて自由主義、民主主義、市民社会の原点を見直すきっかけになれば、それはそれで悪くないかな、などと楽天的にも考えてはいるのですが、それでも世界中の多くの人たち不愉快に感じているのと同じように、不愉快です。その不愉快な気分が社会をどう変化させて行くのか・・・不安ながらも興味津々です。