昨日、筑紫哲也さんの訃報に接しました。日経はお座なりだったけれど、他紙の朝刊には、その死を悼む記事が大きく掲載されています。
リベラルという一言で片付けてしまってはいけないのでしょうが、いまの日本の風潮の中で珍しくレフトの守りについていた人、それでいながら大きな影響力を維持していたジャーナリストだったと思います。
筑紫さんは昭和10年生まれ。ということは終戦時には10歳です。小学校(当時は国民学校)で小国民として忠君愛国の教育を受けていたのに、敗戦によって平和国家日本と180度価値観が変わった体験をしている世代です。それまで使ってきた教科書に墨を塗るという経験もしたでしょう。
いま、その世代の人たちの中に、戦前の価値観を声高に懐かしんだり評価する人たちが少なくありません。
本土で育った昭和10年生まれの人たちの中には、空襲から逃げ回ったりご家族を亡くされたりした方もおられると思いますが、本当の戦争、つまり戦地へ赴いたり戦闘を体験したりするには年が足りませんでした。銃後で美化された軍国教育を受けていたはずです。教科書に墨を塗らされたとしても、それまでに醸成されてきた価値観を否定するだけの理性を持つにも少し幼過ぎました。それがいまになって、戦前の価値観への素朴な美化につながっているような気がしてなりません。
昭和10年生まれには現在の日本経団連会長や前日銀総裁など、財界や経済界でいまだに活躍されておられる方々が多数おられます。そして、筑紫哲也さんもその世代の一人だったことに、ある種の感慨を覚えます。
孤高のレフト、という表現が筑紫さんにはふさわしい。それは少々さびしくもあり恐ろしくもあるのですが。