波打つ硝子

東大病院へ行くには有名な赤門ではなくて、本富士警察署の横の龍岡門から入るのが便利。病院行きのバスもそこを出入りしています。その龍岡門の前に一軒の古めかしいお煎餅屋さんを見つけました。
私、塩煎餅が大好きです。それもスーパーで売っている袋詰めではなくて、煎餅屋で売っている煎餅が好きなんです。好きが高じて「浅草・谷根千の煎餅」というサイトまでつくったことがあります。このサイトは5年間ほど、ほとんど更新をしていないので、すっかり情報が古くなってしまいました。近々取りつぶすつもりでおります。
そんな煎餅好きですから、店を見つけたら買わずに帰るわけには行きません。いまにもモゲてしまいそうな真鍮のノブを回し、上下でワナワナとたわむガラス戸を開けて店に入りました。奥に声をかけると、「はい」と小さな声が聞こえて老主人が出てきました。
煎餅30枚を包んでもらいながら
「おたくは古いんですか?」
と思わず出てしまった質問に、老主人の答えは、
「そこから斜めに窓硝子をみてくださいよ」
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これこそ迷回答にして、類い希なる名回答と言わなくてはなりません。
「ああ、波打ってますね。これは戦前の硝子ですね」と私。
「ここらへんは戦災でみんな焼けちゃったので、戦後間もなくなんですがね」
いまの板ガラスが極めて平滑です。斜めから見ても波打つなんてことはありません。しかし、昔は生産技術が未熟だったので、庶民の家に使うガラスはかすかに波打つのが当たり前だったのです。
老主人は、私の年格好をを見て、「硝子を見ろ」と言ったのでしょうか。硝子を見ただけで、答えがわかる人はある年代以上に限られます。
「あの頃は、硝子ビンにも泡が入っていましたね」と私。
「ほら、ここいらのビンにも泡が入っているでしょう」と老主人。
この店では、小さいあられの類はアルミの蓋のついたビンに入れて売っています。昭和40年代まで、こういう入れ物に飴やお菓子を入れて、量り売りをしているお店が多かったんです。
「この蓋もアルミだとわからない人が多いんですよ」
まさか。でも、そうかもしれないな、と思い直しました。
「江戸あられ 竹仙」というお煎餅屋さんです。これからもずっと商売を続けてほしいものです。〈kimi〉

この季節

インフルエンザの季節がようやく過ぎようとしています。と思ったらスギ花粉がもうやって来ました。なんともうとましき季節ではありますが、そのようなこの季節に、私はうるわしき一つの真理を発見したのでした。
毎日、通勤電車の中で、この真理を補強すべき傍証の数々を発見しております。ひょっとすると世界的発見かもしれません。
その真理とは「この季節には美人が増える」というものです。
インフルエンザや花粉症の予防のために、この季節にはマスクをしている人がぐっと増えます。マスクをしていると、目から上だけが衆目に晒されることになります。その眉毛とまつ毛と目との三点セットにおいて、実に美しい方が多いのです。そう思いませんか。
ある日の電車の中で見つけた女性など、名人の筆を思わせる整った眉、ナチュラルな長いまつ毛とくっきりしたアイライン、黒眼がちの憂いに満ちた眼差し。実に美しい。すっかり魅せられてしまいました。彼女が降りる駅までずっとお付き合いしたいと思ったくらいです。こんなことを書くとスケベオヤジそのもののようですが、美しいものは断固美しいのです。もちろんストーカーに間違われそうなことはせず、清く正しく後ろ髪を引かれる思いで、途中下車いたしました。
これは一体どういうことでしょうか。顔を構成している主な構造物には、上からオデコ、眉、まつ毛、目、鼻、口、唇、歯、アゴがありますが、目から上の構造物だけを見せると美人に見える確率が高くなる。ということは、鼻から下の構造物を晒すと「それなり」になりがち、ということにもなります。
ここでフェミニストやセクハラ撲滅運動に従事しておられるみなさまに、一言エクスキューズして置く必要がありそうです。私は決して誰が美人で、誰が「それなり」といった特定の方のことを申し上げているのではございません。あくまでも真理の追求が目的であります。
話を戻します。
美人か「それなり」かという人生を左右する大問題については、オデコ、眉、まつ毛、目よりも、鼻、口、歯、アゴにより大きな責任がある、ということになります。
なぜそうなるのか? 一つの仮説は、目から上の構造物は動きが少ないということです。それに比して、鼻から下の構造物は可動性が高い。動くとボロを出しやすいのかもしれません。
もう一つの仮説は、上に比べて下の方が可塑性が高いというものです。つまり、いろんな形が可能になるということです。いろんな形がつくれると、それだけ失敗確率が高くなると考えられます。
例えば歯です。出っ歯、受け口、乱ぐい、虫喰い、変色などなど、形がさまざまで、それが上がったり下がったり、むき出しになったり、隠れたり。ここに唇という可動性と可塑性にとくに優れた構造物がからむのですから、これらを用いて美を表現するのは極めて困難になります。
そこへ行くと目は、多少の大小、上がり下がり、一重二重等々はあるものの、大きく形態が変わることは少ないと言えるでしょう。動きと言えば、開けるか閉めるかしかありません。これは失敗のリスクが少ない。
と、こんなロジックをもって、マスクの季節には美人が増える、という真理の追求をしてみました。
もちろん例外も少なくありません。また、この真理は男性にはまったく当てはまらないようです。その理由はいまのところ定かではありません。〈kimi〉

ビミョー

「ビミョー」と若い世代の方がおっしゃるのは非常にビミョーでありまして、「微妙」の本来の意味からは微妙にずれているようでもあります
広辞苑第六版によれば、「微妙」は「(1)美しさや味わいが何ともいえずすぐれているさま。みょう。(2)細かい所に複雑な意味や味が含まれていて、何とも言い表しようのないさま。こうと断定できないさま」。
ビミョー」はもっぱら(2)の「こうと断定できないさま」に近い意味で使われているみたいです

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さてこの写真。
モルタルは長年風雨にさらされると、あちこちにヒビ割れが入ってきます。そこから水が浸入すると建物を腐らせる恐れがあります。早めに補修しておくに越したことはありません。とは言っても、全面的に塗り直すとなると手間も費用もかかります。そこでヒビの部分にだけに上塗りをするということになる。いずれ全面的に塗り直すとして、当面はこれで建物への影響を防止できる。その間の見てくれは我慢しようと、ま、そんなところだろうと、この壁を見て考えました。
さて、この壁をもう少し引いた場所から撮ったのが下の写真です。
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この位置から見ると意匠、つまりデザインの臭いがしないでもない。このマダラ模様を黒くすると、Gatewayというパソコンメーカーのパッケージに似ています。明らかに人為的なものを感じますが、デザインのように見せかけた上塗りであるという線も捨てがたい。実にビミョーなのであります。〈kimi〉