昨晩のことです。前を走る軽トラックの荷台に何やら横文字が書かれています。こちらのヘッドライトにときたま浮き上がるその文字を、どうせ土建屋さんの社名だろうくらいに考えて、気に留めることもありませんでした。
その軽トラックが信号で止まったとき、突然その横文字がくっきりと目に飛び込んできました。
cogito, ergo sum
ありふれたゴシック体で、ごく普通の白い軽トラックの荷台に書かれた「われ思う、故に我あり」。
これは一体何なのでしょう。軽トラックの所有者はどんな人? 何のためにこの哲学的な命題をラテン語で書いたのか? そんな社名の会社が存在するのか? 疑問が次々にわき起こってきます。夜道のことで運転している人が男性か女性かも判別できません。
デカルトのもくろみ通り、さまざまな懐疑を残しつつ軽トラックは、次の交差点を反対の方角へと曲がって行きました。〈kimi〉
移動としての歩行について
この1ヶ月ほど、新幹線で東京と関西を何回か往復しました。車内で本も読みますが、私は車窓からぼんやり外の景色を眺めるが好きです。見慣れた景色ながら、その都度新しい発見もあって、飽きることがありません。
で、昨日のことなんですが、あることに気づきました。道を歩いている人がいないんです。田畑の中を通る田舎道にも、市街地の国道にもクルマはたくさん走っているものの、歩いている人の姿を見かけません。たまに見かけるのは、校庭で野球の練習をしている生徒だったり、河川敷での催しに集まっている地域住民だったり、作業場で働いている人たちだったり、農作業をしているおじさんだったりです。日曜日の午前中ということもあるのでしょうが、人口密度の高い日本でどうしてこんなに歩いている人が少ないのか、とても不思議に思いました。
工場や公園など、一定範囲内での短い移動を除いて、日本人はもうA点からB点への移動には、滅多に歩行という手段を用いなくなってしまったのではないでしょうか。
「いや、私は一駅手前から歩いている」とおっしゃる方も、その目的は移動ではなくて、メタボ解消のためですよね。いずれ人間の歩く機能は退化してしまうのかもしれません。そこで、先回りしてその現象にネーミングしておくことにしました。「廃用性退化」っていかがでしょう。〈kimi〉
成功事例と企業理念
危機管理広報の成功事例と言えば、昔もいまもジョンソン&ジョンソン社の「タイレノール事件」が引き合いに出されます。あれは1982年のこと。すでに30年になんなんとしています。「いまさらタイレノール事件でもないでしょう」という発言を先週末の日本広報学会で耳にしました。誠にその通り。もっとフレッシュな事例を集めて広報にたずさわる人たちが共有できれば、それに越したことはありません。
しかし、タイレノール事件の事例がこれほどまでに共有されるようになったのには、それなりの理由がありそうです。私が注目するのは、
1.トップによる強いリーダーシップ
2.積極的な情報公開
3.コストを顧みない素早い製品回収
の3点です。ひと言で言ってしまえば「すぐれたガバナンス」ということになりますが、これらの3点に集約できることが、その後のモデルケースとなり得た要因であると考えています。
このケースの成功要因として、しばしば同社がOur Credoというよき企業理念を持っていたからだと言われます。しかし、それはいかがなものでしょうか。やはりすぐれたトップのすぐれたリーダーシップに帰せられるのではないか、今日の新聞を読みながら、改めてそう思ったところです。〈kimi〉