いま東北の被災地がどのような状態であるのか、テレビや新聞で報道されてはいるものの、東京にいては本当のところがわかりません。避難所には十分物資が届いているのかどうか・・・。一方で、支援物資として送られてきた大量の古着の処理に困っているという報道もあります。
そんな折り、避難所ではお箸がなくて困っているという話が飛び込んできました。又聞きの又聞きなので間違っているかもしれませんが、こういうことらしい。
避難所には割り箸はある。しかし数が足りない。そこで割り箸を洗って使っている。本来割り箸はシングルユースなので、何回も使っていると汚れてくる。また、日本の家庭では箸は個人使用。一人一人決まったものを使うのが習慣です。そういうことで、避難所におられるみなさんは箸がなくて困っているというわけです。意外なものでご不自由されているんですね。
そこでココノッツでは、この連休に石巻に支援に向かうグループにお箸を託すことにしました。
100均で仕入れた箸で恐縮ですが、お役に立てばうれしいです。〈kimi〉
広報パーソンに何ができるか
東日本大震災の被災地には多くのボランティアが訪れているようです。がれきの撤去を手伝う人、避難所でカレーをつくる人、被災者の心のケアをする臨床心理士、歌手、タレント、スポーツ選手、被災者のの話を聞くボランティアもいるそうです。体力のある人はそれだけで役に立つでしょうし、医師やコメディカルなどの資格を持っている人は歓迎されるでしょう。人気者はその人が現れるだけで喜んでもらえます。
それでは広報を仕事にしている人には何ができるのでしょう。たとえば私に何ができるかと考えたら、途方に暮れてしまいました。体力にはまったく自信がありません。現地のご迷惑になるばかりです。役立ちそうな資格や特技もありません。壁新聞つくりのお手伝いくらいはできそうですが、壁新聞は被災した地方紙の記者さんがすでにやっておられると聞きました。そんなわけで、何か手を貸したいと思いつつも歯がゆい思いをしております。
企業の広報担当者だったら何ができるでしょう。その専門性を活かそうと思うなら、やはりコミュニケーションで役に立ちたいものです。
企業がしなければならないことは、言うまでもなく本業をできるだけ早く軌道に乗せることです。復旧状況を取引先ばかりでなく、株主、投資家、顧客など社会全体に知らせ、情報を共有する。これは、現下の社会・経済状況においては非常に重要な企業活動と言えるでしょう。東証の適時開示情報閲覧サービス(TDnet)には、多くの上場企業から震災による影響や被害の復旧状況が開示されています。上場企業でなくても、これは必要なことと考えられます。広報やIRの担当者でなければできない震災対応業務の一つかもしれません。〈kimi〉
これでよいとは思いませんが
私は菅直人という人に一度も会ったことがありません。ましてや腹を割って話したこともない。メディアを通して、その行動の一端については70年代から伝え聞いてはおりますが、実際にどんな人物なのかはまるで判断がつきません。
その首相に対する批判がメディアで高まっています。とくにいくつかの新聞は、その一挙手一投足についてことごとく批判を展開しています。どんな思惑があるのか知りませんが(うすうすはわかっておりますよ、もちろん)、そこまで書かれるのですから、菅首相もお世辞にもうまくはやれてはいないのでしょう。
しかし、だからと言って他の誰かが政権を担えばうまくやれるのかと言えば、決してそうとも言えません。誰がやっても五十歩百歩。画期的に事態が改善するなんてことは望めません。日本が緊急事態に直面しているこんなときに政局を混乱させてはかえってマイナスでもあります。
それよりも気になるのは素朴な「強いリーダー待望論」が高まっていることです。強力なリーダーが一人であれこれ指示を出せば、物事の進行が多少は速くなるかもしれません。しかし、それに従って誤った指示を出す確率も高まります。さらに問題なのは、一つの価値観ですべてを決定してしまうことです。それによって不幸になる人たちが必ず出て来ます。多くの場合、幸福になる人たちより不幸になる人たちの方が多くなることは、過去の歴史からも明らかではありませんか。
現政権を支持しているわけではありませんが、妙な独裁者が登場するよりはよほどマシではないか、と考えつつ今後の成り行きを心配しております。〈kimi〉
新聞紙は役に立つ
すでに旧聞に属しますが、福島第一原発2号機のピットと呼ばれる溝から高濃度に放射能汚染された水が海に流れ出ていることがわかりました。結局は水ガラスを使って流出を止めることに成功したようですが、最初に試みたのはピットにセメントを流し込むことでした。それで効果が見られず、次に試みたのは吸水性ポリマーとおが屑と新聞紙を詰めることでした。
その作業が報じられているとき、テレビである新聞人が「新聞がお役に立ってよかった」と発言しているのを耳にしました。
ちょっと待ってください。新聞を役に立てようとしているのではなくて、新聞紙を役立てようとしているんでしょ、と思わず突っ込みたくなりました。新聞紙は、寒い避難所でも防寒具の代りに役立ったかもしれません。日本では新聞紙は津々浦々まで配達されているので、こういう事態ではいろいろと応用範囲が広い。書かれている記事はほぼ1日でその価値を失ってしまうにもかかわらず、紙の方はその後にも利用価値がある。それはそうですが、その新聞人の暢気な発言を聞いて、なにか新聞の将来を暗示しているような憂鬱な気分になってしまいました。〈kimi〉
どうして日本人は兵站を軽視するのか
被災地のみなさんにはまだ必要な物資が十分届けられていないようです。もどかしい限りです。やむを得ない事情もあるのでしょうが、たてまえ主義や形式主義や官僚主義によって物事が進まないということもきっとあるに違いありません。それを考えると腹立たしい限りです。
そんな中で、福島第一原発で作業に当たっている人たちの食事が1日2回で雑魚寝状態であると、数日前に報じられていました。その後、改善されているでしょうか。
腹が減っては戦ができぬと昔から言われています。当たり前のことです。しかし、目の前に任務や仕事があると寝食を忘れてそれに取り組むことが善であるという観念が日本人からはどうしても抜けないようです。それが日中・太平洋戦争での兵站軽視につながっていて、いまの福島第一原発にまでつながっていると考えると、これはもう日本人の宿痾としか考えられません。長期戦では、マンパワーが途切れることなく最大限に発揮できるようにすることこそが勝利への最重要課題でしょう。
先日ご紹介した『広報の基本』は産業編集センター刊「企業広報ブック」シリーズの第一巻ですが、その第六巻は危機管理広報に長い経験をお持ちの田中正博さんによる『クライシス・コミュニケーション』です。その中で田中さんは、クライシス発生時の備えとして次のように書いておられます。
「対策本部には常時、いろいろな社内の要人が出入りする一方、常時、在席しなければならない経営陣、管理職、担当者がいます。こうした人たちのために飲料と食事、あるいはドリンク剤は欠かせません。人数が多くなれば意外と多量の飲食料が必要になります。それを保管するための冷蔵庫が必要です。とりわけ、食事は重要です。長期対応に備え、食事は簡単な弁当では済みません。モラール(士気)に影響します。多少、値がはってもおいしい仕出し弁当にしておくことが肝要です」
これを読んで、「なんだつまらないことを書いている」と思った人は直ちに対策本部から出て行っていただきたい。私はこの指摘に大いに共感いたしました。〈kimi〉