新聞一面下にある書籍広告を見ていたら、文章の書き方みたいな本の広告が目につきました。著者は元朝日新聞記者。デジャビュというべきでしょうか。このテの本の著者に、なぜか朝日新聞のOBが多い。「天声人語」の歴代執筆者をはじめとして、名文家として名高い朝日OBは何人か存在していますが、だからと言って、朝日だけに文章が上手な記者が多いとは思えません。夏目漱石は朝日に在籍していました。記者ではなく作家としてですが、その影響が今日にまで及んでいるのでしょうか。
日野啓三や真山仁は讀賣、井上靖と山崎豊子は毎日、司馬遼太郎は産経、高井有一と辺見庸は共同、横山秀夫は上毛新聞といった具合に記者経験を持つ作家は少なくありませんが、朝日出身となるとにわかには思い浮かびません。これもまた不思議な現象です。石川啄木や松本清張も短期間在籍していたものの、啄木は校正係だし、清張は広告部嘱託の図案係だったそうです(どちらもWikipediaによる)。朝日のOBは小説を書かずに文章読本を書く、のでしょうか。
なぜ新聞記者が文章読本を書きたがるのか、ということが前々から疑問でした。上記のように記者上がりの作家は少なくありませんが、新聞記事と小説の文章は言うまでもなく異なります。一方の極に小説があり、その対極にお役所の文書やビジネス文書一般があるとしたら、新聞記事はその中間あたりに位置すると言ってよいでしょう。無味無臭で(胡散臭くはあるが)常套句に満ちたお役所文書でもなく、技巧的で個性的な小説の文章でもなく、平易簡潔で読みやすく、なおかつ少々の心情の吐露も可能な文章。それが新聞記事の文章だとしたら、素人が日記や手紙を書いたり、たまにサークル会誌などの原稿を執筆したりするには適当なお手本とは言えるでしょう。しかし、ベテラン記者に企業間で日常的に交わされているビジネス文書を書けと言っても、辞表くらいは書けるでしょうが、まずうまく行かないだろうと想像します。彼らが書く文章読本は、少なくともビジネス文やプレスリリースの書き方指南ではないのでしょうね。
今日は、こんなことを書こう思って書き出したのではありませんでした。でも長くなりすぎたので、ここでやめておきます。〈kimi〉