突然堅いものが落ちてきて、私の手に当たって床に転がりました。今朝の電車の中の出来事です。
強い痛みを感じて見上げると、前に立っている30代の男性が軽く会釈をしました。網棚に乗せたトートバッグから携帯電話が転がり出たようです。「痛いよ」と訴えると、再びかすかに頭を下げて「すいません」。口の中でモゴモゴと言いました。あまり腹も立たなかったのですが、当たったところに小さな内出血を起こって紫色に変色し始めました。「ほら、色が変わって来た」と静かに指摘したにもかかわらず、男は何の反応も示しません。
やがて次の駅に電車が到着しました。男は棚のトートバッグをつかんで下車して行きました。行方を目で追ったら、階段へは向かわず待ち合い室へ入って行きました。
「被害者」の前に立っているのはどうにも居心地が悪く、一電車遅らせることにしたのだと見ました。
「あっ、大丈夫ですか。ゴメンナサイ。おケガはありませんか。申し訳ありません。駅員さんを呼びましょうか」と、少々大げさなほどに心配してくれる人もいます。それもときにはしつこく感じられたりするのですが、きちっと謝ってさえくれれば、「ああ、いいですよ。大したことありません」と私も応じたでしょう。それなら一電車遅らせる必要もなかったはずです。
謝り慣れていない人にとって、謝るという行為はとても難しいことであるようです。
これは企業も同じことです。謝り慣れていない企業は、電力会社を例に挙げるまでもなく、謝るのがヘタクソです。ある医療機器会社の人は、たびたび製品の不具合が発生するので、すっかり謝罪に慣れてしまったと言っていました。どちらがよいとも言えませんが、しっかり謝れば社会の怒りがいくらかは和らぐ可能性があります。少なくとも、その企業に対する見方は大きく変わり、その被害者や社会の対応にも変化が生ずるだろうとは思うのですが。〈kimi〉
これが翌日の状態。痛みはありません。