部分=(1)着目する全体の中を分けて考えた一つ。全体の中の一カ所。「この―を直せばよくなる」(2)〔数〕全体の中に含まれているもの。全体それ自身も部分の一つと見る。特に全体それ自身を含まない場合には真部分という。(広辞苑第6版より)
難しい説明ですね。読んでもすんなり頭に入ってきません。数学的と言うべきか論理学的というべきか・・・。しかし「部分」というのは、日常的に極めて頻繁に使う単語です。よく使うどころか、「部分」という単語を使わないと、話ができない人たちさえ存在します。
「それは私どもといたしましては、お話できない部分と申しますか、やっぱりその、申し上げては差し障りがある部分もあるだろうと言うような部分がございまして、経営の方からも控えるようにという指示を受けている部分というのがあるわけなんです」
なんて、わけのわからない言い訳を記者にしている広報部長さんが、ほら、いるでしょう。
一番目の「部分」は、「ところ」と言い換えることができますが、ピントがぼけていることに変りはありません。ずばり「情報」と言ってしまえば明確になるはずなんですが、それではあまりにもストレート過ぎるということで「部分」を使ったのでしょう。
二番目の「部分」は文脈から考えると「可能性」という単語が浮かびます。「差し障りがある」と言いきってしまう勇気はない。「差し障りがある可能性がある」でも「どのような可能性ですか」と突っ込まれそうだ。「部分」を使って、その上にさらに「あるだろう」と二重のソフトフォーカスをかけたというわけです。
三番目は「すべてが差し障りがあるというわけではないんですけど、一部分でも差し障りがあるとまずいので」ということを示唆しているようです。
四番目はとても変な表現です。どんな指示を受けたのかよくわかりません。わからないように「部分」という言葉を意図的に使っている。もしかするすると、上からの指示なんてなかったのかもしれません。
「部分」という表現が実に使い勝手がよく、実にあいまいで、実にうさんくさいことがこれでご理解いただけたでしょうか。少なくとも広報担当者が頻用すべき言葉ではありません。〈kimi〉