できる子ができない子と同じ教育を受けなければならないのは悪平等だという意見があります。できる子の意欲と能力を失わせないように、飛び級でも早期卒業でもさせてどんどん先へ行かせろ、というわけです。
戦後民主主義的な均一的教育を受けながら、ちっとも不満を感じなかったのは、もちろん私ができる子ではなかったからですが、どんどん先に行く人に道を空けながら勉強するのってドーヨ、とも考えるのです。
こんなことを考えていたのは、地下鉄の有楽町駅のホーム上でした。東京国際フォーラムとビックカメラの地下入口前に出られるエスカレーターに乗ろうとする人たちでホームは大混雑。にもかかわらず、そのエスカレーターには上から下まで各段とも片側に一人ずつしか乗っていなかったのです。
ご存じのように近頃の東京では、左側はエスカレーターの動力にのみすがって階上に上ろうとする人。右側は動力に体力を付加することでより早く階上に上ろうとする人が使用するという暗黙の了解ができています。土曜の午後の有楽町には体力自慢も、一刻を争うビジネスマンもいないので、こんな現象が生じたのでしょう。
このようなときには片側を空けずに一段二人ずつ乗る方が、全員が早く階上に上がれるのではないかと疑問が生じました。流体力学上はどのような結論になるのか存じませんが、急ぐ人を優先し過ぎると急がない人たちが割を食う、ということはあり得るなあと混雑に揉まれながら考えたのでした。〈kimi〉