なってみなければわからない

そうなってみなければわからない、ということは、そうなってみなければわからないものなのでしょう。
最近、JRや東京メトロの駅でトイレに入ろうとすると、「右側が男性トイレです。左側に5メートル進むと女性トイレです」といったアナウンスが流れています。これが視覚障害者のためのものであることは容易に気がつきますが、それが、対象とする人たちにとって、どれほど必要なものなのか、健常人にはなかなか理解できません。
友人に、ある企業で広報部長をなさっていた方がおられます。退職されてから、眼の難病にかかり、最近は白杖を持って外出されるようになりました。
その方によれば、女性トイレに入ってしまうことはしばしばあることなのだそうです。とくに白杖を持っていないときは、ヘンなオジサンと間違えられるので、このアナウンスはとてもありがたいとおっしゃいます。なってみなければわからないものです。
先日、この方と横浜の町を歩いていました。突然の大雨は通り過ぎたものの、まだポツポツと雨粒が落ちていました。夜道はとくに見えにくいそうなので、「ここに段差がありますよ」とか「左へ曲がりましょう」などと横から声をかけていたのですが、突然背中から怒鳴られました。
「狭い歩道を横に広がって歩いているんじゃねえよ!」
みると短パンにモジャモジャ頭のオトコが乳母車を押しています。子どもが雨に濡れないように先を急いでいるのでしょう。道を譲ったものの少々腹が立ったので、「目の見えない人が歩いているんだ。白い杖が見えないのか」と言い返しました。オトコは振り返りましたが、状況がよく呑み込めないふうでした。数メートル遅れて歩いていた奥さんが追いついて、「目が見えないんだってさあ」とオトコに伝えましたが、それっきり。乳母車を押して去って行きました。
「こういうことはよくあること。そういうときは、心の中で『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』と唱えているんです」
友人は、静かにつぶやきました。  〈kimi〉

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