毎朝の通勤電車でしばしば隣り合わせる初老の男性はいつも熱心に新聞を読んでいます。日常的な光景ですから、特段に気にとめることもありませんでした。
ある日、何気なくその男性が読んでいる紙面に目を移しました。その瞬間、クラッと眩暈のようなものを感じました。軽い見当識障害のようでもあり、既視感にとらわれたようでもある。自分がどこにいるのかわからないような気分、と言ったらよいでしょうか。
10秒か20秒ほどかかってようやくわかりました。彼が読んでいるのは今日の新聞ではない、ということが。
それは2日前の夕刊でした。発行当日に読んだ記事の記憶と、その朝の最新の新聞を読んだ記憶との間で整合をとるのに、私の脳が少々手間取ったのでしょう。初めから古い新聞であると認識していれば、そのような不思議な感覚を体験をすることもなかったはずです。
そのむかし、「今日の出来事」というTVニュースがありました。新聞記事やニュースはまさに今日の出来事を伝えていますが、その多くは報道の時点で終結してしまったのではなく、その後も刻々と事態が変化しています。翌日の新聞にはその続報が掲載されています。私たちは現在進行形で報道された出来事の動きや変化をとらえているのでしょう。数日前の新聞の見出しをそれと知らずに認識した私の脳は、進んでいるはずの事態が逆戻りしていることで混乱してしまった、というのが私の推測です。
過去の記事を読むことにも意義がありますが、新聞の本質はやはり「新しい」ということなんでしょうね。〈kimi〉