広報に関連するレクチャーをする機会が年に何回かあります。とくに今年はご依頼をたくさんいただき、その準備に追われています。
レクチャーも長年経験を積むにつれ、いくつかのコツや禁じ手が身についてきます。
最も重要と考えているのは、時間厳守です。90分という時間が与えられたら90分ピッタリで終了する。終了時間を過ぎると、受講者の集中がぷっつり途切れるのが明らかにわかります。準備してきた内容を残してしまったとしても、制限時間を過ぎたら聞き手が聞く耳を持たなくなってしまうのですから、それ以上いくらしゃべっても無意味というものです。
かと言って、「時間が来ましたので、途中ですがここで打ち切ります」というのでは受講者に失礼です。全部しゃべってしまおうと、早口ですっ飛ばしてしまうのも同様です。
時間を過ぎても悠然と話し続けるエライ先生などもってのほか。何を考えているのだろうと呆れてしまいます。主催者にとっても大迷惑になってしまいます。
レクチャーしながら時間をコントロールするのは一つの技術ですが、そもそも準備段階で時間がはみ出すほどのコンテンツを盛り込まないのが鉄則でしょう。
余談ですが、レクチャーの質を判断する一つの目安にしていることがあります。
字釈とでも言うのでしょうか。たとえば、
「癌とは『やまいだれ』に『品物の山』と書きます。いろいろな悪い生活習慣が山のようになると発症する病気です」
みたいな講釈です。漢字は表意文字とか表語文字と呼ばれるように、それぞれ意味を持っていますし、その語源も白川静氏の「字統」などを引けばすぐにわかることです。ところが、漢字の講釈師たちの話には牽強付会が少なくありません。思いつくままにいくつか例を挙げると、
「食は人が良くなると書きます。それだけ食事というものは大切です」
「辛いは十回起ち上がると書きますが、最後の一回を起ち上がると幸せになります」
「吐という字は口偏に±と書きます。マイナスと取り除くと叶になります」
講義のテクニックと思ってやっておられるのでしょうが、無意味もいいところ。詐欺みたいなものです。こういう話をしたことは一度もありませんし、これが始まったら、すぐに講演会場を後にすることにしております。〈kimi〉