理想的社員

東芝の「不正会計」に関する第三者委員会の報告を読みながら、四半世紀前に入社した会社のことを思い出しました。
その会社は当時、毎年の決算発表時に過大な業績予想を発表することで市場に知られていました。実現不能な数字ですから年度内に下方修正せざるを得ず、ウソつき会社という有り難くないニックネームまでつけられてしまいました。
当時の社内の状況はどうであったかと言えば、強いカリスマ性を持つ経営者が「来年はこのくらいはできるじゃろう」と数字を示すのに対して役員以下、誰一人として異議をはさむことができませんでした。「無理でしょう」などと言えば、「オマエはやる気がないのか」と左遷、降格、退社を覚悟しなければなりません。
しかし、できないものはできません。期が進むにしたがって実態が数字に表れ、下方修正せざるを得なくなります。いまから思えば、よくぞ粉飾決算に手を染めなかったものだと変な感心をしてしまいました。表面化することはもとより社内で噂さえありませんでした。まだまだ、かわいいウソつきだったようです。
そういう経験をしていると東芝社内の雰囲気がなんとなく想像できます。社員の胸にわだかまるあのくら~い気持。考えるのもいやになります。
芥川龍之介の『侏儒の言葉』に「兵卒」という項があります。
「理想的兵卒は苟(いやし)くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。即ち理想的兵卒はまず理性を失わなければならぬ。

理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。即ち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ。」
〈kimi〉