お作法

IMG_1867アポイントまで時間があったので、途中下車して古いカフェで時間調整することにしました。軽い朝食はとっていたのですが、「名物」という500円のモーニングセットを注文しました。「卵は半熟にしますか?」と聞かれたので、はいと答えたのですが・・・。
まず、突き当たったのは剥いた卵のカラをどこに捨てるかという問題。迷った末に小さなトレー上に捨てることにしました。次に迷ったのは、半熟にもいろいろあるという大問題。白身の堅さは店によってマチマチです。見れば卵用のスプーンもついている。これはやわらかいぞと推定して、慎重にカラを剥き始めたのですが、これが意外にも堅い。これならスプーンは必要あるまいと、齧りついたのが大失敗です。中の黄身はとろとろで、テーブルの上と下にこぼれ落ちてしまいました。
失敗の要因はこの店のお作法に疎かったことにあります。お作法に慣れている常連さんなら、半熟の堅さも十分ご存じのはず。
これは私たちが新しいお客様の仕事をするときと似ています。お客様にとっては当たり前のお作法でも、私どものにはうかがい知れないことがしばしばです。だからと言って、「こちら様のお作法はどのようなものでしょうか」といちいち問うわけにもまいりません。いくつかの失敗を重ねながら、少しずつお作法を学ばねばならないのがつらいところです。

Abita

ドイツ在住の日本人Hara ShokoさんとPaul Brennerさんが制作したFukushimaをテーマにしたショートアニメ。ブラジルで開かれた原子力がテーマの映画祭、「International Uranium Film Festival 2013」ではベストアニメーション賞を受賞したそうです。そのほかいくつかの国際賞を受賞したにもかかわらず日本ではほとんど報道されていないそうです。2年以上前のことなので、すでにご存じの方も多いのでしょうが、Facebookの「友達」から教えていただいて昨日初めて知りました。

命短し売上こそ命

ヘルスケア関係の業界ではここ数年何かと社会的な問題が起こっています。さまざまな企業とお付き合いをしていると、「なるほどなあ」と思うことがあります。
不祥事のほぼすべては「売上こそわが命」といった企業風土から生まれていることは間違いありません。営利企業である以上、売上と利益にこだわるのは当然です。しかし、それだけでは社会とのよい関係を維持継続させることはできません。
ところが、一部の企業では売上に責任を持たされているマーケティング部門の力が極めて強く、企業全体をマネジメントすべき経営の力が弱いように見えます。ときとして、経営者自身がマーケティング部長と化していたりもします。そういう企業に、クライシスの芽が育っているように思えてなりません。

社長とお天道さま

どこの会社でも社長はエラい。エラいから、社長のおっしゃることは「絶対」である。だから社員は必死になって社長命令に従おうとする。
これは日本に限らず万国共通のようです。そうでなければガバナンスに問題が生じます。それは確かではありますが、社長が「お天道さまの運行を止めろ」とおっしゃったとしても、それはできない相談であります。かわいそうなのは、社長とお天道さまの板挟みになった社員です。
その社員のお気持は重々理解できるのではありますが、お天道さまでなくても、できないものはできないのであります。というような事例がこのところ続いております。

なぜ休まないのか?

Facebookへのシェアで知ったのですが、朝日新聞のapitalに内科医の酒井氏が、「風邪でも絶対休めないあなたへ」というCMのコピー(正確には『風邪でも、絶対に休めない あなたへ』)に異論を述べておられました。
おっしゃる通り、風邪をひいたら家で寝ている方がよい(健常者の場合)わけで、無理に会社に出て来たら治りは遅れるし他人にはうつすしで、よいことは何もありません。それなのに、どうして出社するのか。会社側の無理解ということはあるにしても、同僚や上司に迷惑をかけたくないという、極めて日本人的な心情が働いているように思えます。風邪やインフルエンザをうつす可能性は必ずしも100%ではないのに対し、仕事が遅れたり、カバーする人の負担が増えるのは100%。このあたりが休まない理由かなとも思います。

これ以上は書けません

企業に勤めていたとき、煩わしいなあと思った部署が2つありました。一つは監査部、二つ目は購買部。
内部監査は、おかしなことをやっていなければそれほど怖れる必要はありません。しかし、監査部長がまともな常識を持っていれば、という前提つきです。どういうわけか企業というものは、少々性格に偏りがあって、とても営業職は任せられないというような人物をその職に置くことが多いようです。そのために必要以上に神経を使わせられることになります。
購買部からは、「もっと値切れもっと値切れ」、あるいは「そんなものは必要ない必要ない」と言われ続けて、「いやこの価格には正当な理由があります」とか、「こういう目的のためにぜひ必要なのです」と説明して認めてもらうのが面倒くさくてまいりました。
弊社のような立場になると、顧客企業の監査部とおつき合いができるようではおしまいですが、購買部には何かとお世話になります。で、その購買部さんのことですが・・・おっと、これ以上は書けません(T_T)。

CCオンチ

電子メールが日本に普及してすでに30年近くになるでしょう。ビジネスの世界ではE-mailがなければ仕事にならないほどに定着しましたが、いまに至ってもCCの使い方をご存じない方が少なくありません。
一番多いケースは、こちらからCCをつけて送信しているのに、その返信にCCをつけて来ないというケースです。必要があるからCCをつけて関係者に回しているのに、そこのところを理解していないらしい。
その昔、社内文書はペラペラの紙の下にカーボン紙を敷いて、複写をとりながら作成されたものです。日本の場合は、その複写を記録として手もとに保管し、原本は上司などに回覧して読んだ人がハンコを押すというシステムだったかと記憶します。欧米ではペラペラ紙までは同じですが、複写を何枚もとって上司以外の関係者にも回していた。だからカーボンコピーのCCで、それがE-mailにつながっているわけですが、日本企業で育った人にはその文化がまだ完全に定着していないと見えます。とくに一定年齢以上の方に多いのですが、比較的若い方にも見られます。
こんなことを書いているのも、今日まさにそういう例に遭遇したからです。

という

ライターさんが書かれた原稿の最終チェック。自分のことを差し置いてエラそうなことは言えませんが、職業的な書き手でも、その人特有の言い回しとか語法があるものです。今日の原稿で気になったのは「という」の頻出です。
たとえば「○○を学ぶという場です」は「○○を学ぶ場です」でいいじゃないですか。「一緒につくり上げていくということに意識を集中しました」は「一緒につくり上げていくことに意識を集中しました」の方がすっきりします。それが気になるのは自分もやりがちだからなのですが、書き癖「というもの」は意識しないと修正「というもの」ができませんね。

意外に行けるかも

クライアントさんとプレスセミナーの検討を2時間ばかり。企業側の伝えたいことが必ずしもメディア側の関心をひくものでないことがしばしばあります。今日も初めは〈これは難しいなあ〉と思ったのですが、よくよく詳しいお話を聞いてみると〈意外に行けるかも〉と思い始めました。
内容を十分に理解しないうちに予見を持つのは危険だなあとつくづく思ったのでした。

3時間30分の講義でした

さる政府系団体で午後から3時間30分のセミナーを担当。一般事務や営業的な仕事をしておられる中堅職員の方々を対象に、広報の話をしてほしいというのが研修部のご要望です。
広報を実際に担当している方々を対象とした講義なら、受講者のみなさんの共感を感じながら話を進めることができるのですが、そうは行きません。広報の手法とかメディアの使い方などをいくら面白く話しても、別世界のことのように捉えられてしまうだけです。そこで作文をしていただいたり、グループディスカッションをしていただいたり、発表をしていただいたりして3時間30分を務めました。ああ、疲れました。