盲導犬を連れた目の不自由な方がホームから転落したという痛ましいニュースがありました。ご本人はもちろんお気の毒ですが、盲導犬もまたどんな気持で事故を見ていたのでしょうか。そんなことが妙に気になります。
友人にも初老期から目が不自由になった方がいます。ときどきご一緒に外出します。慣れた道筋はお一人でもスイスイと歩きますが、馴染みのない場所には戸惑うようです。「はい、ここから階段。ここから踊り場。次は右です。少し左へ寄ります」などと生の音声ガイドをしながら目的地まで誘導しますが、本当に「不自由」なことだと思います。
その友人も新宿の私鉄のホームで柱に激突してお岩さんのようになったことがあります。その私鉄駅はなにか歩きにくく、別の私鉄駅の方が歩きやすいと言っていました。障害者にだけにわかる違いがあるようです。
ブランドバラバラ
必要があってこのところ「ブランド」について勉強し直しています。手持ちの書籍を読み直し、ネットも検索して再認識したことは、少なくとも日本ではブランドの概念が十分定まっていないということです。実際に解釈はバラバラ、説明もいろいろなのです。共通しているのは、D.A.アーカーの引き写しの部分だけだと言ってよいでしょう。
こんなことを言うと大学の先生あたりから馬鹿にされてしまいそうですが、そもそもアーカー先生の記述がわかりにくい。原著は読んでいないので翻訳の責任かもしれませんが、あの書き方ではすんなり理解できません。だからみんな勝手に解釈している。たとえば「取引のテコ」という表現。だれも日本人にわかりやすいように説明できていません。
こんな混乱した状況のままブランドを語っていては、日本企業のブランドエクイティを確立するのは難しいのではないかと危惧してしまいます。
いりません
友人が、最近読み返した古雑誌の中のエッセイが面白かったから、読んでいなかったら今度会うときに持ってくるとメールで知らせてきました。
友人は善意から言っているのでしょう。それを疑う余地はありません。しかし、こちらも読みたい本や雑誌は山ほどあって、それがなかなか消化しきれません。星の数ほどあるエッセイの一つを私が読んでいる可能性など極めて小さく、また読んで見れば面白いのだろうとは思いますが、なにか押しつけられているようで気が重い。そろそろ蔵書やら過去の趣味道具やらを処分しなければならない年齢にもなってきました。しかし、友人から頂戴したものとなると、おいそれと処分もできかねます。
そういうわけで、その古雑誌をお持ちいただくのをきっぱりお断りしたのでありました。断るのもよい気分ではありません。だから、私も友人知人に本を差し上げることはほんとんどいたしません。
オリンピックと古い日本
オイオイ、これはないよなあ、と思ったのは私だけではないようです。オリンピック開会式での日本選手団のユニフォームです。1964年の東京オリンピックのビデオを見ているような気がして来ました。時代錯誤もいいところ。ネットでも批判が盛り上がっています。
私たちも仕事でよく経験するのですが、せっかくよい案を提出してもクライアント側でそれを見抜く力がない。陳腐な案が採用されてしまう。エライさんが決定権を持っていると、提案する側もエライさんの嗜好に合わせて企画を提案しますから、ますますおかしなことになって行く。こうして、日本では新しいアイデアが次々と消えて行きます。これではマイナス金利にしても国債増発で予算を膨らませても成長の手がかりはつかめません。
日本選手団は大手百貨店が手がけたそうですが、経緯は容易に想像できます。入場行進の旗手の後にエライ役員さんがゾロゾロ続いて選手がその後だったことも含めて、日本のオリンピックが、そして日本のシステムが古い日本のヒエラルキーと官僚組織によって動かされている証拠がこんなところにちょいと現れてしまったということでしょう。
お祭り休暇
部下となった女性から真っ先に申出がありました。毎年夏に地元のお祭りがあって、その翌日は声が出ないのでお休みをいただきたい。そういうことなら休んでもいいよと即答しましたが、声が出なくなるお祭りとはどんなものか、その年の祭を早速見物に行きました。そこで見たのは、山車の高い高い屋根の上で半纏にパッチ姿で掛け声をかけている彼女の姿でした。彼女は生まれ育った町内のお祭りクイーンだったのです。
その八王子祭を一昨日久しぶりに見に行きました。山車上の小さな舞台で舞うお神楽とお囃子で山車同士が合戦をするのが見物です。一昨日は盆踊りの参加人数のギネス記録を更新したとか。東京でも23区内では知られていませんが、なかなかに盛大です。人出も多いのですが、浅草や神田あたりの祭に比べたら適度であるところが気に入っています。
かつてお祭りクイーンだった彼女の姿もありました。さすがにいまは屋根には乗らず、高齢者の車椅子を押しながら山車の後を進んでいました。女王から皇太后になったといったところでしょうか。これもボランティアの一つのあり方。地域と共生していることに違いはありません。あのとき、お祭り翌日の休暇を認めてよかったと考えています。
シン・ゴジラ
先月末に「シン・ゴジラ」という映画が公開されたそうです。「そうです」というのは、公開日の直後から、FacebookやTwitterなどから「シン・ゴジラ」に関する話題がどっと押し寄せてきて、初めて気がついたからです。じっくり思い返せば、新聞か雑誌で新しいゴジラ映画ができたようなことを読んだ記憶があります。しかし、公開日以降、オールドメディアからはほんとんど情報が届かず、ネット経由でもう結構というほど情報が届くという状況におかれました。プレイステーションでもデモ動画が見られるようで、新しいメディア総動員。それに鋭く反応した人たちがどんどん書き込んで来ます。なんだなんだこれは・・・。こんなに新旧メディアの違いを実感したことはありません。もうそうなっているんですね、現実は。
いま浦島
都知事のお蔭ですが
前の前の都知事であった猪瀬氏が行ったことで、一番ありがたかったのが九段下駅で都営地下鉄新宿線と東京メトロ半蔵門線の境の壁を取り払ったことです。お蔭で半蔵門線で渋谷方面から来た客は、ホーム向かい側の新宿方面へ向かう新宿線に乗り換えることができるようになりました。もちろんその反対もできますが、猪瀬都知事がやったことは壁を取り払ったことだけで、都営と東京メトロがお互いに協力し合うというところまで及ばなかったのが残念なところです。
同じ鉄道会社なら接続と言って、客が乗り換え終わるのを見計らってから発車させますが、九段下駅ではそういう配慮は一切しません。都営地下鉄の電車の乗り降りが終わったら、反対側ホームに東京メトロの電車が到着して客が降りていても、知らん顔してドアを閉めます。その反対も同様です。乗り換えの便を図るより自社のダイヤを守ることを優先します。
都民ファーストを掲げる新知事がこれを改善するでしょうか。しないでしょうね、きっと。
だったりします
リリースのつくりかたに関する記事を読んでいたら、「メディアに届けるリリースの存在がとても大事だったりします」という文章に出くわしました。「だったりします」ねえ。いま流でしょうか。さらに読み進むと、「究極で言うと、・・・」というのにも出くわしました。これ、日本語ではないでしょう。こんな人にリリースの作成を頼んだら大変だなあ、と思いながらさらに読み進むと、自分ではリリースを書かずにライターさんい書いてもらうとありました。それならいいか? 記事全体で言っていることは間違っているとは思いませんが、私なら、この人からリリースに関するアドバイスは受けたくないですね。もちろん個人的な感想だったりしますが(^O^)。