国際医療福祉展に行ってきました。昨年に続いて2回目です。2週間前に痛めたコシが完治していないので、ざっと一回りしただけですが、医療系の展示会が勢いをなくしつつあるのと対照的に、相変わらずの大盛会でした。出展社も入場者も比較にならないほどの規模です。
福祉・介護の分野はまだまだ発展途上、さまざまな工夫の余地が大きく、新製品や新サービスが開発される余地もまた大きいということなのでしょうか。
最近のとくに電動車いすの進歩がすごい。展示されていた最新の高機能車いすを見ていたら、モーターショーでニューモデルを見たときのワクワク感のようなものを思い出しました。操作レバー部も好みのものにカスタム化できたりするようです。昔のMT車のシフトレバーのようですね。こんなカッコいい車いすに乗りたいなあ、などと考えてしまいました。技術の進歩や活発な製品開発が、障害者の生活の質を高めると同時に、新たな趣味性をもつくりだしたりする。障害を持っていたって楽しい生活は送れるよという提案。いいですね。
会場を出たら、広い通路を2台の電動車いすがすごいスピードで駆け抜けて行きました。そういう時代になっているんですね。
意思決定の遅さ
日本企業の意志決定の遅さがしばしば批判されます。その要因はさまざまあろうかと思います。
私どもが経験するのは、提出した企画書なり見積なりに、いつまでたってもご返事がいただけないという極めて卑近な事例です。
ある企業さんでは、トップが漠然とした、あるいは抽象的な指示を出します。それを部下の担当者様が忖度して仕事を進めるというパターンです。担当者様からご相談を受けて、私どもではあれこれイマジネーションを巡らせて企画書を提出します。ところが、それをお忙しいトップに説明する機会がなかなか得られないようなのです。ここで何日も、ときには何ヶ月も経過します。
ようやくトップに企画書をお見せすると、なんとなく気に入らない風情を示されます。そこで、また私どものところに戻って来て、仕切り直しとなります。こんなことを何回も繰り返すことがあります。そのような案件で、成功した経験はありません。
要するに社内の意思疎通が悪いのです。それ以上に問題なのは、明確な意志や指示を出さないトップです。トップ自身も何かやらなければ、という思いだけで、何をやったらよいのかわからない、あるいは決断がつかないのでしょう。
わかっちゃいるんだけど・・・
世の中には「広報のご意見番」みたいな方々がおられて、その多くが大企業の広報部長経験者だったりするのですが、「あの謝罪会見は失敗だった」、「あの事件の広報対応には問題がある」と厳しいご批判を、広報関係者だけが読むマイナーなメディアなどに書いておられます。中には、メルマガでわざわざご意見を送ってくださる危機管理広報専門家と称する方もおられます。
なるほどなあ、といつも感心しつつ読ませていただいてはおりますが、こういう方々の多くは実際のコンサルなどの実務はしておられないようです。
実務ばかりしているこちらとしては、「あれほど口を酸っぱくして注意しておいたのに、本番で『やっちゃった』んだよなあ」と残念な思いをすることが少なくありません。わかっちゃいるんだけど、そうはならない事情もあるんだよ、とも申し上げたい。
若いころ、「評論家みたいなことを言ってるんじゃない」とよく上司から叱られましたけど、その気持がいまにしてわかります。
素人談議
政治に関してはまったくの素人だし、ましてや外交となるとさっぱりわかりません。でも、隣の国が物騒なものを開発して脅しをかけてくるとなると、いささか心配です。なにがなんでも戦争だけはごめんです。なんとか外交で解決できないかと思います。そんなアブナイ国には圧力をかけて「マイッタ!」と言わせるべし、というのがいまの「真っ当な」意見なのでしょうけれども、「わかった、わかった、そちらの言うことはなんでも聞いてやるから、核兵器とICBMだけは捨ててくれないか」と持ちかけるのはどうなんでしょうか。
そこで「はて?」と思ったのは、そちらの言うこと、つまり隣の国の真の要求は何かというのが、さっぱりわからないことです。米国の高官は、独裁体制を転覆させようとは考えていない、と明言しています。それでもミサイルは撃つし核実験もやるわけですから、ほかにもっと重要な要求があるのかもしれません。それは報道をみる限りよくわかりません。
「どんなに有利な条件を出されても核兵器とICBMだけは捨てられない」というのなら、何のためにそれらを開発しているのかわからないことになります。一番恐ろしいのは、核兵器とICBMそのものが目的化していることです。もしそうだとすると、話し合いの余地はなくなってしまいます。
以上、まったくの素人談議でありました。