自画自賛否両論

この「Guessのかんぐり」をほめてくれる人がいました。学生時代からの友人ですが、その人も編集・ライター稼業のプロなので、わかる人にはわかるんだなあ、とこちらはいい気分になりました。
と、これは本当の話ですが、「友人がほめた」というのは他人からの評価で、それを「ここに書いた」というのは自画自賛というものでしょう。
少し前にこんな経験をしました。あるイベントが大変よい成果を得たので、終了後に担当者をほめようとしたまさにそのとき、その担当者自身が言い放ちました。「私ががんばったらうまく行ったんです」 その瞬間、ほめ言葉が引っ込んでしまいました。ムムムムム。 ほめたいと思ったのに、ほめられなくなってしまいました。自画自賛以上にこちらがほめて上げればよいようなものですが、そんな気力も吹っ飛んでしまいました。お互いに、こんな不幸なことはありません。
長い会社勤めの間には、一生懸命仕事をしてそれなりの実績を上げたにもかかわらず、ちっともほめられない、という経験をずいぶんしてきました。実にくやしい。誰かに自慢したい。その気持が抑えられなかったこともしばしばですが、自分から口に出して逆効果になってしまったことが多かったかな。かと言って、評価されるまで何年も待つというのもねえ。「黙っていれば必ず誰かが見てくれているもんだよ」などというおためごかしの常套句ほど怪しいものはありませんが、ときたまその実例に遭遇するから話がややこしくなってしまいます。
自分の手柄でもないことをすべて自分の実績だと本社にレポートする外国人マネージャーもいました。そんなインチキレポートをそのまま信じる上司の目も節穴だと思いますが、それが見事に成功したと思われる実例もありましたから、このあたりがまた実に難しい。
企業人ではなくて、企業そのものの場合は黙っているばかりではいつまで経っても評価されません。評価されるまでの時間をコストと考えるべきだと思います。いいことをしたら、それをアナウンスするのは説明責任の一部と言えるでしょう。人事評価と広報活動とは分けて考えないといけませんね。

黄色いベスト

2018年4月、パリ、オルセイ美術館の前。まだ黄色いベストは着ていない

フランスの抗議運動の報道が日本では少なくなりましたが、実際はますます盛んなようです。そのデモの参加者が着用している黄色いベスト。あれはなかなかいいアイデアだと思います。デモで着用するのもアイデアではありますが、クルマに黄色いベストの搭載を義務づけたことの方です。
フランスでは、故障などでクルマを離れるときには、このベストを着用することが義務づけられていると聞きました。日本では三角の表示板を後方に置くことになっていますが、それを置きに行くのも、高速道路ならかなりコワイ思いをするでしょう。そのときに黄色いベストがあればちょっとは安心かな。そもそも最近は、新車を買っても発煙筒は車内に設置されていますが、三角表示板はついてきません。わざわざ購入する必要があります。
日本でも黄色いベストを義務づけたらどうでしょう。と、そう提案したいところですが、たぶん実現しないでしょうね。それによって大規模なデモが起きたら困ると、為政者たちはきっと考えるでしょうから。

屋上の楽園

すっかり関心の圏外に去ってしまった存在があります。私にはデパートの屋上もそれ。昔は小さな遊園地などがありましたが、いまの世の中にそんなものが残っているはずもなく、何があるのかわからないし用もないから足を向けることもない。そのうちにデパ屋のことなどすっかり忘れてしまいました。それがひょんなことから銀座のデパートの屋上へ上がることになったのでした。
そもそもエレベーターの「R」ボタンが作動しないデパートがあります。レストランのある最上階からさらに階段を上らないと屋上へ出られなかったりします。デパートとしても、屋上はできれば上がってほしくないスペースなのかもしれません。
まず訪れたのは銀座三越の屋上。半分はレストランになっていますが、もう半分は立入禁止の芝生の周りに短い遊歩道ができていてベンチもある。小さい子を遊ばせているお母さんがいました。そこで驚いたのは、神仏両方の祠があって社務所らしきものに係員が常駐していたことです。神や仏が機能している空間であるようです。もう一つ印象に残ったのは、あの和光の時計が見下ろせたことです。と言っても高い柵があって半分しか見えませんが、ちょっと非日常なビューを楽しむことができました。
次は松屋銀座。階段を上がったらゴルフ練習場の入口でした。一部のエレベーターでないと屋上には上がれないようです。開放されているスペースは小さく眺望もありませんが、ここにはお寺がありました。ガラス窓のウチソトに座れるスペースがあって、そこでコンビニ弁当を食べている人がいました。ここは穴場です。知る人ぞ知る隠れ家ランチスペースです。
最後は旧松坂屋のGINZA SIXです。高い、広い。全周にわたって遊歩道があって、銀座を上から見下ろせます。スカイツリーも東京タワーも見えます。屋上庭園もよく手入れされているし、中央の広場もな~んにもなく広々していて、天気がよければ異次元感のある快適な空間です。まだ外国人観光客には知られていないようです。銀座を歩いていて疲れたら、ここで一休みがお薦めです。

T先生へ

ご入院、手術とうかがいました。いろいろとご心配でしょうが、現代医学は進んでおりますから、きっと手術は成功するだろうと思います。
周囲にも何人か同じ病気を患った者がおりますが、共通しているのはみなヘビースモーカーであることです。聞いた話では、タバコを吸うと唾液に有害物質が混じり、長年の間に食道を侵すのだとか。こわい話です。きっと病院の先生からも「これを機会に禁煙してください」と強く指導を受けられたのではないかと思います。それに対してどのようにお考えになったのか、少々気になっております。やはりタバコがいけなかったのだなあ、と心底気づかれたのでしょうか。いや、たまたまだよ、タバコを吸っていても罹らない人も多いじゃないかとお考えになったのか。
肉親や知人のヘビースモーカーたちは、ほかにも肺がん、膵臓がん、胆嚢がんなどにかかって死んで行きました。タバコの害は専門家の指摘を待つまでまでもなく、実感しております。ご自身がご病気になられた上は、その「実感」ははるかに現実的なものではないかと考えるのですが、いかがでしょう。
ご病気になる前のことですが、居酒屋などが全面禁煙になったら「俺はどうやって生きていけばいいのか」とおっしゃっておられたそうですが、これからどうやって生きて行かれるおつもりですか。
ご尽力いただいた健康増進法改正案はずいぶん抜け穴だらけです。このままでよいのかどうか、お元気になられましたら改めてご見解をうかがいたいところです。
末筆ながら、一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

まなじりを決する必要はなくなった?

今年の5月から元号が変わるそうですが、昭和が平成に変わったときほど、元号不要論がマスコミに登場しないことに少し驚いています。
では、自分自身は過去の出来事を元号で記憶しているのか西暦で記憶しているのか、と考えてみました。
生まれた年は昭和で覚えていましたが、いつしか西暦の方が先に浮かぶようになりました。ネットで申し込みなどをするときに西暦での記入を求められることが多くなったことが影響していると思います。
祖父の生まれ年は元号ですが、父の生年は元号と西暦が同時に浮かびます。明治33年つまり1900年という区切りのよい年だからです。母の生年は、父との年齢差11年を足すことで1911年と計算できますが、大正に変わる前年と記憶してきました。明治44年です。
小学校に入学した年は昭和で記憶しています。大学を卒業した年は西暦です。就職した会社が外資系だったからかもしれません。転職した年も西暦です。
大病が見つかった年は暦年ではなく年齢で覚えていますが、その前年に西暦2000年の大騒ぎがあって、1月2日の朝、お屠蘇に酔っ払ったまま対応のために出社しました。あの時点ではその後の病気を知らなかったのだなあ、と感慨にふけることがあります。
会社をやめてココノッツを立ち上げた年は2008年と西暦で覚えているので、平成何年だったか咄嗟には思い出せません。
振り返ってみると、近年になればなるほど西暦で記憶している事柄が多いような気がします。平成も30年になりますが、生まれたときから昭和が身体にしみ込んでいるので、一瞬戸惑うのです。昭和の年に25を加えれば容易に西暦に転換できましたが、平成の年から11を引くと西暦になることは、いまさらながら先ほど調べて知りました。前世紀なら平成の年号に1988を足すことで西暦に転換できます。そんなことをする人はまずいないでしょう。
日常生活はすでに西暦を中心に動いていて、元号はいわば文学的な存在と言えるかもしれません。伝統だから元号があってもいいよね、とそんな感じでしょうか。だからまなじり決して元号の存続を論じることも少なくなってきたのか、とかんぐっております。