脱亜入欧。いまとなっては胡散臭いスローガンですが、明治の頃はみんな「そうだ、そうだ」と燃えていたのではないかしら。時代が下って、戦後の日本では「アジア的」という表現がネガティブなニュアンスで使われていました。日本は欧米型の民主国家であるという前提で、アジア諸国における非民主的な政治体制や、袖の下がなければ何事も進まない社会を上から目線で軽蔑するニュアンスの「アジア的」だったように思います。
ところがどうです。いまとなっては日本こそが典型的にアジア的な国家であることが、あちらこちらで露見しつつあります。「民主的」なのは外形だけで、極めてアジア的な政治運営がまかり通り、選挙結果は国民がそれらを是認しているかのようです。億という単位の袖の下をもらった電力会社の経営者が平然と記者会見に応じているのもまた、アジア的奇観と言えるでしょう。
一方で、日本が範をとってきた欧米諸国の方も少々怪しくなってきました。袖の下が堂々とまかり通るほどには堕落していないかもしれませんが、独裁国家への願望が膨らんだりしぼんだりしています。
おっと、こんな偉そうなことを書くつもりではありませんでした。関西電力の記者会見を見て、これをサポートしているだろう広報コンサルタント氏に同情しているということを書こうとしたのでした。
あるジャーナリストがSNSに「このケースは非があまりに明々白々で、会見の場で関電経営陣を辞めさせなければならなかった」と書いていました。私も同意見ですが、そのような会見への会社側へのアドバイスを頼まれたらどうするか。広報のコンサルタントは弁護士ではありませんから、限りなくブラックな事例をカバーする理由はありません。莫大な金額を提示されたらグラグラ来るでしょうが、それを受ければ一蓮托生となってしまいます。ま、広報コンサルにびっくりするほどの金額を提示する会社もないでしょうし、頼まれてもいないのですから私が悩む必要はありませんが。