写真のセンス、天性なのか努力の賜なのかわかりませんが、確かにセンスのよい人がいます。いい瞬間を撮るとか、いい構図で撮るとか、面白いものを見つけて撮るとか、そのようなことを全部ひっくるめてのセンスなんでしょう。
知り合いのアマチュアカメラマンは花火の写真にかけては名人です。独自の技巧を駆使した色鮮やかな花火の写真は、展覧会などでも多くの人たちを魅了します。新型コロナで各地の花火大会が中止になると、ダイヤモンド富士なるものに挑戦し始めました。富士山の真上に太陽が昇る、あるいは沈む瞬間を撮ろうというものです。さまざまな場所と方角からその一瞬を狙います。なかなかに美しい。ところがその人、街角の状景などを撮るとからきしダメでなんです。大量にシャッターを切りますが、ほとんどがゴミです。どうしてそうなるのか、と考えてようやく一つの結論に達しました。
花火もダイヤモンド富士もそれ自体が美しい。そこに技術は必要だとしても、美しさは向こうからやって来ます。
街角のスナップ写真はそうは行きません。それほど美しくも面白くもない風景の中から、興味をひく一瞬や面白い状景を、自分で見つけ出さなければなりません。
広報の仕事にも同じような問題がありそうです。世の中が沸き立つ要素をもともと持っている製品やテーマがある一方、これはまいった、と言いたくなるような地味で面白みの少ないテーマもあります。それをどのように広報活動に結びつけたらよいのか。「面白さ」はいつも向こうからやってくるわけではありません。地味なテーマや専門的な製品の中に面白さや素晴らしさや社会の利益になるポイントを自分たちで見つけ出す。これですよね、大切なのは。
ネクタイ異聞
ある中堅メーカーが全社会議をオンラインで開催しました。そのとき社員が戸惑ったのはどういう服装で参加するかだったそうです。昨年来、自宅勤務が中心になっているその会社では、カジュアルな服装での自宅仕事がすっかり根づいていました。しかし会長、社長、役員が全員出席する全社会議となるとまた話は別です。
ある社員は悩んだ末、テレワークスーツでもパジャマスーツでもなく、いつものスーツにネクタイ姿でwebカメラに対しました。画面で他の社員を見ると全員同様なスタイルだったとか。下がジーンズだったかどうかまではわかりませんが。
オーナーである老会長は真夏を除いて常にネクタイにスーツまたは濃いめのジャケット姿を崩しません。頂上がそうなら九合目以下もそれに合わせるのが、日本企業というものです。
ここ10年来、外資系やベンチャー企業の社員はオフィスに出社するときもカジュアルな服装で、ネクタイ姿はほとんど見かけなくなりました。国内企業でも通年ノーネクタイという会社が増えてきているようです。もちろん営業の方はスーツが多いでしょうし、時と場合によっては内勤社員もスーツを着用するのだろうとは思いますが。
数年前、フランスに観光旅行に出かけました。知人へのお土産にネクタイを買おうとパリの百貨店を2軒ほど探し回ったのですが、ついにcravates売場を見つけることができませんでした。シャンゼリゼ通りを散歩したときも、スーツにネクタイ姿の紳士にはたった一人しか遭遇しませんでした。そのような流れが、COVID-19の流行を経て日本でもさらに強まっているのではないかと推測します。
帰国するとき、シャルル・ド・ゴール空港の免税ショップの中に大きなネクタイショップを発見しました。ネクタイはお土産としてのみ生き残っているのかもしれないなあ、と少々驚きました。
いや、買いませんでしたよ。ブランド品とはいえお土産品としてのネクタイは。