ここに書いてあったのかあ

今日7月6日付朝日新聞の「声」欄に「『させていただく』違和感あり」というタイトルの投書が掲載されていました。
「させていただく」表現に違和感というか、抵抗感を抱く方が高齢者を中心に多いような気がします。かく言う私もそうでした。
ところが、あるときからさしたる抵抗感なく使い始めました。そのきっかけは司馬遼太郎が「この語法は浄土真宗の教義上から出たもの」と書いているのを読んだからでした。
ところが、それが作家の膨大な著作のどこに書いてあったのか、すっかり忘れてしまいました。どこだったかなあと、著書を何冊かめくってみても見つからず、サイト検索してもヒットせず、あきらめていたら偶然1ヶ月ほど前、それを再発見したところだったのです。
 朝日文庫「街道をゆく24 近江散歩 奈良散歩」p.11~12。
司馬は言います。
「真宗においては、すべて阿弥陀如来-他力-によって生かしていただいている。(中略)この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。『お蔭』が成立し、『お蔭』という観念があればこそ、『地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました』などと言う。(中略)この語法は、とくに昭和になってから東京に浸透したように思える」
そういうことなのか。それなら使ってもいいかな、などと極めて非論理的ではありますが、考えたのでした。
ちなみにわが家の菩提寺は禅宗、曹洞宗なんですが。

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