そろそろ高校の同期会をやろうじないかと幹事として十数名が呼び集められました。
卒業生名簿の確認・再整理から当日の段取りまで、もろもろを決めなければなりませんが、そのような事務的な話はほんの十数分で終わってしまい、あとは焼酎で酔っ払う宴会になってしまいました。
肝心の打合せが簡単にすんでしまうのは、隅の方に坐っている一人の男の存在があるからです。
彼は幹事代表でも元生徒会会長でもありません。一幹事に過ぎませんが名簿の作成から出欠メールや往復はがきの文案まで、すべて彼の手によって事前に用意されています。それを見て「まあ、こんなところでいいんじゃないの?」と、あっという間にすませてしまうのです。
宴会に移ると彼はみんなの話の輪にほとんど加わりません。ウケル話も冗談の一つも言うことなく後景へと退いてしまいます。
この種の人物がどこの会社でも団体でもあらゆる組織に存在します。しかも多数派です。彼らは完璧なスケジュール管理や在庫管理などをなし遂げます。文書を作成させても誤字脱字がありません。一方で原理原則にはうるさい。前例を尊重したがる。細かい。整合性にこだわる。斬新な提案には抵抗を示します。クリエイティビティは一般に乏しい。しかし、命じられれば着実に遂行する。規則が変更されればそれを忠実に順守する。一旦前例ができてしまえばその後は何事もなかったようにそれを実行します。いわゆる官僚がその典型です。
こういう人たちは往々にしてアタマがカタイと評価されます。これは一種の悪口でもあって、時として「アタマがワルイ」の言い換えであったりします。実直ではあるけれどリーダーにはなりにくい。しかし、組織も社会もそのような大多数の人たちによって下支えされています。彼らがいなければ世の中回りません。
個人的にはこういう人種は少々苦手なんですが、こういう人たちのことをエスタブリッシュとかエリートとか上級国民とか呼ばれている人たちはいま一度思い出してほしいとも思うんです。だって彼ら多数派がいるから、その上にあぐらをかいていられるんですから。
土産話はお好き?
今年の旧盆や夏休みは台風にたたられましたが、それでも旅行をした人は増加したそうです。テレビのワイドショーで、あなたはお土産を買いますか、買いませんかというインタビューをしていました。どちらが多かったか忘れてしまいましたが、番組としては「土産話」が一番よいお土産でしょう、と四方八方丸くおさめていました。
このところ知人が北欧をクルーズ旅行した話をSNSにさかんに投稿しています。豪華クルーズ船の内部の紹介から美しい観光地で感動した話、旅行者があまり行かない土地での出来事などを写真つきで紹介しています。さぞ楽しかっただろうと思いますが、それを読まされるこちらは・・・それほどでもありません。
SNSなら読まなければすむのですが、ときどき自分の旅行記をまとめた冊子を送ってくださる方もおられて、その処理に頭を悩ますこともあります。
沢木耕太郎の「深夜特急」や高野秀行の「南西シルクロードは密林に消える」など、書籍となっている旅行記は大好きなんですが、あれは才能とスキルを持つプロが書いたもの。素人の紀行文ってやつはどうもいけません。
顔中に感動を漲らせての土産話も同様で、「あんたが行ったことのないところに行ってきたんだ」とか「こんなこと、行った人しかわからないでしょう」といった優越感がそこはかとなくまとわりついています。その上から目線が不快感を呼び起こします。エッフェル塔の前でバンザイしている写真などその最たるもの。
なにを僻んでいるんだと言われそうですが、その通りです。こちらは大いに羨ましくて、それで不愉快になってくるんですよね。