認めたくはないものの、一つの区切り(元号ではない)が来て、どこをどう見ても「じいさん」に間違いないという状況に立ち至りました。かくなる上はと開き直って、これから死ぬまでじいさんをやっていく覚悟です。
自分自身が若い頃から「長幼の序」など意に介さずにきたバチが当たって、いまさら若いモンに「じいさんを敬え」などとは言えません。その上、よそのじいさんたちを観察していると、じいさん特有の悪癖というか悪弊というか、若い人たちに嫌われる要素が多々あることに気づきます。自分のことを棚に上げて言うのもナンですが。
朝の連続テレビ小説で草刈正雄演じるじいさんが「一番悪いのは他人が何とかしてくれると思って生きることじゃ。人は他人をアテにする者を助けたりはせん。逆に自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるのだ」なんて名ゼリフを吐くのは、あれはドラマだからであって、実際にそんないいことを言うじいさんは近頃お目にかかったことがありません。
先日亡くなった橋本治さんが30代初めに書いた文章に「ジイサンというのは、ひょっとしたら時代とは関係なく生きていられる自由な存在なのかもしらん」*というのがあります。これもまたじいさんの一面かもしれません。上司だの部下だのお客さんだの先生だの、もうなんにも関係ない。ようやく手に入れた自由、勝手気ままができる反面、誰も助けてはくれません。それ故に抑制が利かなくなってしまい、若いやつらばかりでなく、社会全体から疎まれ、置いてけぼりを食うということになってしまうようです。
*「よくない文章ドク本」所収「『現代青春小説』のガイドブックの無削除版」