急がば回れ

JR中央線の駅の近くに、カウンターだけの小さな中華ソバ屋があります。近頃流行の豚骨魚介系などとはかけ離れた澄んだスープで、フアンも多いようです。しかし、どうも気に入りません。会計を仕切るオバサンが統制派だからです。座る席はオバサンが指定します。雨の日に行くと長い傘なら店の前の傘立てへ、折りたたみなら畳んでイスの下へと指示されます。「ラーメンお願いします」と言う客には「中華そばですね」と言い替えます。この店ではラーメンは中華ソバなのです。
麹町のおでん屋には二度と行きません。この店でも席は指定されます。それも相席で詰め込まれます。それだけならがまんできないわけではありませんが、飲んでいる間に2回も席替えを命じられました。効率よく空席を埋めるためです。
中華ソバ屋の方は単にオバサンが「仕切屋」性格の持ち主であるだけのことでしょう。しかし、おでん屋は許せません。顧客、それも飲む客のことをまったく考えず、効率優先、利益優先で商売しようとしているからです。規模の大小を問わずどこの企業にもありがちなことです。急がば回れ、あわてる乞食はもらいが少ない・・・昔からいろいろに言われてはおりますが。

ココランチ

名称未設定 2弊社のサイトには、このブログのほかに「おいしい昼ごはんCocoLunch(ココランチ)」というページがあります。
ちょうど8年前の創業1年目、自社サイトをできるだけ多くの方に見ていただきたいと考え、1年間に食べ歩いて蓄積した半蔵門・麹町界隈のランチ情報を公開したのでした。
初めは毎日のように異なる店に入りました。麹町というところはいまもそうですが、全国的なチェーン店があまりありません。マクドナルドも5~6年前に撤退してしまいました。その代り、戦前から代々続いている店のちらほらあります。奇妙な店もありました。高齢のご夫婦がやっておられた洋食屋さん。カウンターは油でベタベタ。肉のソテーが定番でしたがが、正体不明の液体を振りかけて焼き上げます。ランチの営業が終わると、ご主人が椅子を並べて横になっているのが外がまる見えでした。ココランチで紹介しようと思ったら店名がわからない。看板もありません。ようやく営業許可書の掲示を見つけて「モンドール」という店名が判明しました。そんな興味深いお店も長い休業を経て閉店、取り壊されてしまいました。
名物店は少しずつ減って行きますが、いまも半蔵門・麹町界隈はランチには恵まれている街だと思います。

甘いも辛いも

居酒屋1居酒屋に入ると、
「お酒ちょうだい」
「どのような酒がよろしいでしょう?」
「辛口! 俺、甘口はだめなんだ」
といった客と大将との会話をしばしば耳にします。
生意気を言うようですが、この客はたぶん酒の味をご存じない。また少々古い。
何年か何十年か前、アサヒスーパードライが発売され地酒がブームになったころ、なんでもかんでも辛口が持て囃されたことがあります。それまで大手酒造会社がつくっていた水飴(醸造用糖類)をたくさん投入した日本酒がここで否定されました。しかし、いまはそんな甘い酒はほとんどありません。甘い辛いは、いまの日本酒にはほとんど意味をなさない尺度となったわけです。
おっと、日本酒談議をするつもりではありませんでした。甘い辛いといった二項対立的な評価や発想はたいていインチキ臭いということを言いたかったのですが、連休中でもありますので、このへんでやめておきます。

お作法

IMG_1867アポイントまで時間があったので、途中下車して古いカフェで時間調整することにしました。軽い朝食はとっていたのですが、「名物」という500円のモーニングセットを注文しました。「卵は半熟にしますか?」と聞かれたので、はいと答えたのですが・・・。
まず、突き当たったのは剥いた卵のカラをどこに捨てるかという問題。迷った末に小さなトレー上に捨てることにしました。次に迷ったのは、半熟にもいろいろあるという大問題。白身の堅さは店によってマチマチです。見れば卵用のスプーンもついている。これはやわらかいぞと推定して、慎重にカラを剥き始めたのですが、これが意外にも堅い。これならスプーンは必要あるまいと、齧りついたのが大失敗です。中の黄身はとろとろで、テーブルの上と下にこぼれ落ちてしまいました。
失敗の要因はこの店のお作法に疎かったことにあります。お作法に慣れている常連さんなら、半熟の堅さも十分ご存じのはず。
これは私たちが新しいお客様の仕事をするときと似ています。お客様にとっては当たり前のお作法でも、私どものにはうかがい知れないことがしばしばです。だからと言って、「こちら様のお作法はどのようなものでしょうか」といちいち問うわけにもまいりません。いくつかの失敗を重ねながら、少しずつお作法を学ばねばならないのがつらいところです。

タンメン食べました

寒い! それなのにうっかり夏用の薄手のワイシャツを着て来てしまったので、なお寒い。そういう日のランチは暖かいものに限ります。何にしようかとしばらく迷った上で、タンメンに決めました。
ここでタンメンの蘊蓄を傾けても仕方がないのですが(ネット上にはいろいろ書かれています)、ラーメン屋のメニューの中では最もコスパがよいのがタンメンです。第一に野菜が食べられる。第二に野菜を炒めるという、ラーメンやチャーシューメンにはないコスト(人件費)がかかっている。第三にその割にはお値段が安い。いいことずくめですよ。
というわけで、タンメンを食べて身体がまだ温かいうちに急いでオフィスに帰りましたとさ。オシマイ。
(写真はWikipediaから・・・・・そうそう餃子3コも食べました)

ホッピー談議

このところホッピーを飲む機会が増えました。理由は節酒です。若い頃のようには飲めなくなって、一定量を過ぎるとなんとなく身体がアルコールを拒否し始めるような感覚があります。そんなときにホッピーは便利な飲み物であることに気がつきました。
「ホッピー!」と注文すると、ホッピーだけが出てくるということはあり得ません。大きなグラスに氷と甲類焼酎を半分から三分の一ほど注いだものを伴って登場します。飲み屋では、ホッピー+焼酎+氷のセットではじめて「ホッピー」という商品となり得ます。そういう意味では極めて珍しい飲料です。
その大きなグラスにホッピーを注ぐのですが、その量は飲む方の自由に任されます。そこがポイントです。多めに割って、少し飲んだところでまた割るという動作を繰り返すと、薄めの焼酎をかなり長い時間をかけて飲むことができます。また、これもホッピーならではですが、「中だけ」と追加注文すると焼酎と氷を入れたグラスが、「外だけ」と注文すると瓶入りのホッピーが運ばれて来ます。ご存じの方には釈迦に説法ですが、これは日本中の飲み屋での「お約束」になっているようです。だから「外」だけを追加して行けば、いつかアルコールの成分は限りなく薄くなってしまい、酒を飲んでいるように見えながら実は清涼飲料水だけを飲んでいる、という状態になります。
ホッピー
そのホッピー、若いときにうまいと思ったことは一度もありませんでした。ビールの代用品でビールより安いという触れ込みでしたが、ビールとは似ても似つかない色つきの炭酸水でしかありません。妙な飲み物、胡散臭い飲み物といったイメージもつきまとっていました。
ところが、ある日突然と言ってもよいでしょう。メディアがホッピーを取り上げ始めた。何代目かの女性社長による戦略が効を奏したようで、ビールのまがい物から「ホッピー」という独自の飲み物へとポジションチェンジが図られました。プリン体が含まれていない健康によい飲料という訴求もされています。浅草には「ホッピー通り」まで出現しました。これは見事な成功事例です。
マーケティング広報のオリエンテーションなどで、この製品は他社品をフォローしたものなので、その代替になり得るという訴求をしてほしい、といった依頼を受けることがたまにあります。よくうかがってみると、他社品とは異なるストロングポイントがいくつかあるのですが、担当者はどうせ勝ち目はないとすっかり弱気です。ちょっと視点を変えてみたらどうですか、と提案してみても、弱気が会社全体のコンセンサスになっていると、ポジションチェンジは容易ではありません。
若いときはちっともうまいと感じられなかったホッピーですが、そんなあれこれを考えながら飲むとちょっとイケますよ。〈kimi〉

ラーメンフリーク

最近は嗜好が変わってきて、ほとんど興味を失っておりますが、かつてはかなりのラーメン好きでありました。その残滓がときたま頭をもたげることがあって、ある日突然、山梨県某市の極めてわかりにくい場所に存在するというラーメン屋へ行ってみたくなってしまいました。
食い物をおいしくいただくには空腹であることが絶対の条件。ちょうどよい時間に現地に到着するようカーナビゲーションをセットして午前10時30分かっきりに自宅を出発しました。
「このあたりです~」とカーナビが任務終了を宣言したのは、地方のなんでもない住宅地のド真ん中。こんなところにラーメン屋が成り立つのかなあ、と心配しつつ前進したり曲がったりバックしたりしているうち、ようやくその店を見つけたのはちょうど12時でした。カウンターのみ10席ほどの店内は満席で、店の前には3人組とカップル計5名が行列していました。行列ができる店が大嫌いな私ですが、1時間半もかけてやってきた以上は列ばないわけには行きません。30分待ってようやく入店することができました。
さて、不思議な光景に出会ったのはそれからです。行列をしていたときは一切会話を交わすことがなかった3人組とカップルが黙礼を交わしました。しかも3人組は先に入店していた客とも黙礼を交わしたではありませんか。そればかりではありません。5分後に私の後から入店した3人の中年女性は先の3人組に「ああ、こんにちは」と挨拶をしました。どうなっているのでしょう。私以外の客がすべて知り合いだなんて・・・これはもうカフカか安部公房の世界です。
地方の町のことだから、みんな顔見知りということはあり得ます。初めはそう思いました。しかし、彼らの会話を聞いていると、どうも違うようです。そこで思い当たりました。
彼らは東京から来たラーメンフリークたちではないか。有名店、評判店を食べ歩き、あちこちの店で出会ううちに顔見知りになってしまった・・・そのような結論に達したのでした。これは驚くべきことではありませんか。
日本のラーメンブームもかれこれ30年以上は続いているようで、こうなるとブームとも言えず、かと言って文化というほど立派なものとも思えず、なんと表現してよいやらわかりませんが、とにかくいまの日本には相当数のラーメンフリークが存在しています。彼らが次々に開店するラーメン屋に試食に訪れ、このような地方の店の経営も支えている。ラーメン店の市場規模は4,000億円以上とも言われていますが、彼らラーメンフリークたちによる部分は一体どのくらいあるのでしょう。
そうそう、その店のラーメンの味について書くのを忘れていました。少なくとも私は一回行っただけで十分満足いたしました。二度と訪れることはないでしょう。〈kimi〉

魚長挽歌

ココノッツのもう一つのブログにココランチ“があります。創業1周年記念行事として(ちょっと大袈裟ですが)、1年間に蓄積した麹町・半蔵門近辺のランチのお店情報をまとめて掲載することにしたものです
お昼を食べに出る距離には限度があります。おいしい店があっても、遠ければおのずと足が遠のきます。“ココランチ”に掲載しているお店も、だいたいオフィスから500mの半径のうちに収まっているようです。
新しいオフィスは、元のオフィスから直線で160mほど南西に位置します。半径の中心が移動したので、これから掲載するお店はその分だけ南西に移動することになそうです。これまでは新宿通りの北側の一番町近辺のお店でランチをとることが多かったのに対し、今後は南側の平河町や紀尾井町方面に足が向きそうです。
そんな折も折、“ココランチ”イチオシのお店が閉店してしまいました。二番町の裏道でひっそりと営業していた「魚長」さんです。魚屋さんが始めたお店で、刺身も焼き魚も飛びきり新鮮でおいしくて、半径500mの縁に当たるにもかかわらず遠路何度も足を運びました。
どのような経緯で店を閉めてしまったのか、情報はまったくありません。ランチばかりでなく、一度は夜に訪れてみたいと思いつつも果たせずに終わりました。返す返すも残念です。ご年配のみなさんが切り盛りしておられたので、少々気がかりでもあります。魚長で大もうけして、「これからはのんびりやろうや」という理由での店じまいであれば結構なんですが。〈kimi〉

新オフィスとお囃子の関係

とうとう新しいオフィスに引っ越してまいりました。「とうとう」というのは、「ふ~」という気分を表現しております。いやはやオフィスの移転というのは手間のかかることです。
で昨日、ダンボールから荷物を取り出して整理を始めたところ、窓の直下から突然お囃子が聞こえてきました。麹町三丁目町会の主催するお餅つき大会が始まったのです。
オフィスの窓から
町内と言ったって、都心の真ん中ですから住人はそんなに多くはありません。しかし、毎年ちゃんと餅つき大会とお祭りをやっているのだそうで、さすがは伝統ある麹町です。
お囃子
では、なぜそれが新オフィスの真下なのか。今度のオフィスの大家さんは、町会長さんにして、由緒正しき(その由緒は長くなるので省略)料理屋兼仕出し屋さんのご主人だからであります。
そんなわけで引っ越しの日の昼食は、テントの下で振る舞われたお餅と豚汁とおでんですませてしまいました。
最後に写真をもう一枚。いいですねえ、こんな顔のいる麹町です。
麹町の顔
〈kimi〉

思い出の軽食堂?

毎週木曜日の朝日新聞夕刊に掲載されている小泉武夫氏のコラム「食あれば楽あり」を愛読しています。男が求める味の勘所みたいなものが押さえられていて、毎回実にうまそうです。
その先週は〈ソース焼きそば〉。どんな奥の手が登場するのかと期待して読んだら、スーパーの袋入り焼きそばと添付の粉末ソースを使っているので、ちょっとがっかりしてしまいました。と同時に、いまはほぼ絶滅した外食産業を突然思い出しました。
通っていた高校の正門へと曲がる路地の角にあったその店のガラス戸はいつも全開になっていて、その左に焼きそばを焼くスタンドがありました。店内には、赤色のデコラのテーブルにビニール張りの椅子。焼きそばは、発泡スチロールではなくて、ちゃんと皿に盛って出てきました。そこにテーブルの上にある紅ショウガを載せて、青ノリを振りかけて食べる。昼食にはボリュームが少し足りないけれど、下校時の空きっ腹を満たすには適当でした。メニューにはそのほかにラーメン、カレーライス、うどんやあんみつ等々があったような。
中央線中野駅の南口にあった同様の店には、入口の右に今川焼きのスタンドがありました。夏にはそこがかき氷の器械に代ります。アイスクリームのボックスには、バニラと小倉が大きな袋に入っていて、そこから掻き出してアイスモナカにしてくれます。
こんな店が東京にはいくらもあったのですが、バブル期にほぼ全滅してしまいました。当時、こういう業態をなんと呼んでいたのでしょう。軽食堂かな。ちょっと違う気もします。業態の名称など必要ないほどありふれた存在だったのです。
昔話をするようになるのは、年を食った証拠に違いありませんが、思い出すと妙に懐かしい。きっと探せば、下町のどこかに一軒や二軒は生き残っているかもしれません。年明けに旧友たちと向島の七福神巡りをしようじゃないかと話が盛り上がっているので、その折にでも探してみようかな。〈kimi〉