第五福竜丸を覚えていますか?

一度は実物や現地を見てみたいと思いながら、いつか長い年月がたってしまうということがあります。江東区の夢の島公園に保存されている第五福竜丸(福龍丸)がその一つでした。
いまや世の中からすっかり忘れられてしまっていますが、米国が南太平洋で盛んに原爆や水爆の実験をやっていた頃、近くの海域で操業していたマグロ漁船の第五福竜丸に放射能を含んだ灰が降りかかり、乗組員が放射線被害を受けました。そのお一人は数ヶ月後に亡くなり日本中が大騒ぎになりました。
と書いても、それは1954年のこと。まだ幼児だったのでリアルタイムでよく理解できたはずもありません。雨に放射能が含まれていて濡れるとハゲるぞなどと真剣に心配していただけです。なのになぜか第五福竜丸が焼津港に帰ってきたシーンなどが記憶に残っています。まだ家にテレビはありません。どうして覚えていたのだろうと思いを巡らせて、思い至ったのはニュース映画です。当時は映画館に行くと、お目当ての映画の前や二本立ての間にニュース映画を上映していたのです。
話を戻すと、第五福竜丸はその後、紆余曲折を経て東京のゴミ捨て場であった「夢の島」にうち捨てられました。それを東京都が展示館を建てて保存しました。1976年のことだそう。美濃部都知事の時代ですね。
50年近く経ちますが、展示館は十分メンテナンスされていて、その日は休日のためか見学者が10人以上いました。小さいお子さんを連れた夫婦なども見かけました。時代は変わっても社会から忘れられても、よくぞこれまでしっかり保存してきたものです。
それにしてもこんな小さな木造船でよく南太平洋まで行ったものだと、それにも驚きました。
実物を見ないとわからないことって、たくさんあるものですね。

寝正月で思ったこと

最近めっきり弱くなったためか、お屠蘇代わりの日本酒の1合あまりでよい気持に酔っ払ってしまいました。三が日にはなんの予定もなく来客もなく、酔眼を空中に漂わせ、ただただ所在なく過ごしていましたが、新年だから何か新しいことが始まるとか、期待するものがあるとか、何かを始めようということもありません。
それは日本が衰退し始めているためか、ロシアが戦争を仕掛けているためか、中国が独断的な政策を推し進めているためか、いやいや単にこちらが年齢を重ねたためなのでしょう。
ぼんやりテレビを見たり新聞を読んだりソーシャルメディアを眺めていたりしていると、心配になるのはメディアの衰退です。
正月のテレビ特別番組は、いつになったらステレオタイプから脱皮するのでしょう。タレントの大騒ぎやら、通常の番組を薄めに薄めて尺を延ばしたスペシャルやら、とても見る気にはなりませんでした。NHKもニュースを含めて徳川家康がらみの企画ばかり。そんなにまでして大河ドラマを見せたいんか。
ステレオタイプの企画や家康がらみのコンテンツを作っている方が独創的な番組を創るよりずっとお手軽なのでしょう。そうして、テレビはますます視聴者を失って行くのでしょう。
元旦の分厚い新聞も毎年同工異曲の企画で読む意欲がわきませんでした。
ソーシャルメディアに投稿する「友達」も年々少なくなって、広告だけがずらずらと表示されます。
できればメディアに批判的なことは申し上げたくありません。しかしメディアが多くの人たちの支持を失ってしまえば、私たちの広報の仕事も成り立ちません。
既存のメディアに頼らない広報の方法を多くの広報のプロたちが模索しています。残念ながらいまのところ、これはという方法論を確立したという話は耳にしていません。
いましばらくメディアにはがんばってもらわなければならないのです。
現状のまま、また1年が経過してしまえば、また「なんだかなあ」とため息をもらしながら、年末を迎えなければならないことになってしまいます。

ある読書家への返信

○○○○○様

メール、ありがとうございました。
お読みになったという山崎努さんの「柔らかな犀の角―山崎努の読書日記」は、たしかに面白そうですね。この夏に連載されていた日経新聞「私の履歴書」もとんでもなく面白かった。彼は天性の文章書きですね。
さて、こちらは先週の金曜日から熱を出しまして、翌日には38度を超えました。これはやられたなと思いましたが、PCR検査が陰性ということでコロナではありませんでした。それでも二日ほど病臥していました。その間に読んでいたのは、最近文庫本になった池井戸潤さんの「ノーサイド・ゲーム」です。
ビジネスマンが低迷するラグビー部の再建を任されるというストーリーと広告にありました。あの作家の小説はどれも面白く、長く会社勤めを経験した人間にはリアリティが半端ないのですが、一方で、読む前になんとなく筋立てが想像できるようでもあり、スルーすることも少なくありませんでした。
ただ、この小説の主人公が君嶋という名前なのです。「島」の字が旧字の「嶋」であるところが、私と異なっていますが、キミシマには違いありません。
実際に読んでみると、半沢直樹の焼き直しみたいなシーンがあったりして、そのあたりは予想通りでした。そこに例によって、主人公が取締役会で対決する場面が出てきます。そして敵対する役員から
「・・・・・、君嶋!」
などと叱責されます。小説中の会話であっても、「キミシマ!」と名指しされるのを読むたびに、自分が怒鳴られたかのようにドキッとしまうのです。キミシマという苗字が比較的少なく、これまで同姓の方と遭遇する機会が少なかったという事情もあります。しかし、かつて勤め先の取締役会で報告などをしたときの情景や緊張が反射的に蘇ってくるようなのです。勤め先の会社では呼び捨てにされることはありませんでしたが、説教のような厳しいご意見をいただいた経験は何度もあります。それがトラウマになって意識の底に沈殿しているようです。
フランスの詩人ギヨーム・アポリネールは、第一次世界大戦の終結を喜ぶ群衆の「くたばれ、ギヨーム!」という叫びを死の床で聞いて、自分が罵倒されていると思い込んでしまったと伝えられています。群衆が叫んでいた「ギヨーム」とは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世のフランス風の呼び名だそうです。
名前って思いのほか自意識と深く結びついているのですね。


┏┏┏ 君島邦雄
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「ございます」の使い方でございますが・・・

お役所独得の言葉遣いについては、これまで多くの識者によって種々論じられていますから、いまさら書く意味もないのですが、どうにも気色悪い言い回しがこのところ気になって仕方ありません。それは、
「ございます」
の使い方です。
辞書によれば「ある」の丁寧語だそうで、日常的にごく普通に使われていますし、使ってもいます。たとえば、
「これはほんの気持です」を「これはほんの気持でございます」と丁寧に言いかえて不自然なことは何もありません。
「いま検討しています」を少し丁寧に「いま検討しております」と言いかえても自然に聞こえます。
ところがですよ、「いま検討してございます」と言うのは、ちょいと気色悪くありませんか?
このような表現は役所にお勤めのみなさんが頻用しておられるようですが、いくら「ございます」が「ある」の丁寧語だからといって、無闇に置き換えてよいというものじゃないと思うのですが、いかがでしょう。
「・・・と認識しております」で十分なのに、「・・・と認識してございます」とか。例を挙げればどんどん出てきます。
役所ばかりではありません。数日前、電力会社による値上げの記者会見をニュースで見ていたら、
「・・・検討させていただきたいというふうに考えてございます」
だって。
お役所気質なんだなあ、やっぱり電力会社は。

台風情報の国粋主義

台風が近づくたびに気になります。
台風の進路予想を伝える報道を見ていると、離島を除く日本本土に「上陸」するかどうかに異常に固執していませんか。台風の上陸とは台風の中心が北海道、本州、九州、四国の海岸に達した場合で、沖縄は台風の上陸とは言わず、通過と言うのだそうです(お天気.com)。これも一種の沖縄差別ですかね。なんだか太平洋戦争末期の状況を思い出してしまいます。沖縄にしてそうなのですから、小笠原諸島や南北大東島は真上に台風の目が来ても「通過」。深刻度が伝わりにくいですよね。
それ以上に理解できないのは、「台風は日本海を進みそうです」となんとなく安心感を漂わせてアナウンスされているテレビ画面を見ると、台湾や韓国が進路の真下にあったります。「台風は大陸方面へ抜けそうです(ホッ)」というのも同様です。
大して雨も降っていない新宿駅南口からの中継などよりも、日本をそれて他国に向かった台風の状況を中継するくらいのことはしてもよいだろうと思います。そのようなところから隣国との共感性も生まれてくるのではないですか。台風ばかりでなく何事も、日本本土に来なければよしという国粋主義はいかがなものかと思います。

肉声、肉筆、自筆原稿

8月中に日経新聞に連載されていた俳優山崎努さんの「私の履歴書」が終わりました。
2、3回読んだところで、抜群に面白いとSNSを通じて友人知人に触れ回りました。同じように感じた人が多かったようです。
学生時代には戯曲や演劇に興味があったので、劇団雲でも演劇集団 円でも山崎さんの舞台を何回か見ています。しかし、自分で舞台に立ったことがないので、彼が書いている演技の真髄のようなものは残念ながら十分理解できません。
その昔、日経の記者さんだったか友人の日経役員だったかに聞いた記憶では、「私の履歴書」の多くはインタビューをもとに記者が原稿をまとめているが、まれには本人の書いた原稿を掲載するということでした。文章を書き慣れていない素人がこれだけの文字数の原稿を書くのは、どう考えても難しい。ライターを生業にしていた友人は記者が書いたものだろうとの見立てでした。
実際のところはわかりませんが、私は違うと考えます。あのような闊達で自在な語り口、文体は本人にしか書けません。肉声が聞こえてくるようです。新聞記者のみなさんは、破綻のない文章を書くようにトレーニングされていて、かえってそこから抜け出しにくい。
あんなふうに書きたいな、とは思うもののそうは行きません。文章力だけではなく自由な解放された精神が必要なのでしょう。
この「私の履歴書」にも登場した芥川比呂志さんも名文家でした。「決められた以外のせりふ」というエッセイ集はいまも持っています。俳優さんには、名文家が少なくありません。台本を暗記するほど繰り返し読んでいるうちに、トレーニングされるのではないかと推測します。古いところで沢村貞子や高峰秀子、最近では岸恵子。
高峰秀子は、初めはまるきり書けなかったが、週刊朝日の編集長をしていた扇谷正造氏に特訓を受けたのだと聞きました。最近のタレント本はほとんどゴーストライターの代筆なので、ご本人の筆力のほどはわかりません。

一昨日、知り合いから書類を1枚送ってもらいました。その封筒を見て驚きました。
まず、宛名。ワープロで打ってあります。封筒をわざわざプリンターにかけたようです。裏の差出人名は、住所氏名が印刷された小さなシールが貼りつけてあります。そして送り状。ワープロで本文2行のみ。
私も以前は手書きが苦手で、できるだけワープロですませたいと考えていましたので、その気持はわからないではありませんが、それでも自分の署名くらいは手書きで書いていました。あきれると同時にちょっとさびしい気持にもなりました。やはり肉筆、肉声、その人の体温がどこかに感じられないとむなしいなあ。
ちなみに、この文章は自分で書いております。ゴーストライティングしてくれる人がいないもので・・・。

式が嫌いな次第で

冬季オリンピックが昨夜で閉幕しました。閉会式の中継は見ないで寝てしまいました。開会式も見ていません。昨夏のオリンピックの開会式も、事前にもろもろの問題が報じられていましたので、傍目八目で少々見たものの、やはり途中で寝に就いてしまいました。
競技は楽しませてもらいましたが、セレモニーにはどうにも興味がわきません。面白い趣向が登場するかもしれませんが、それがどうした?というカンジ。感性が鈍いのだと言われれば、その通り。セレモニーへの感性が薄いのです。
小学生のときから入学式だの卒業式だのにはうんざりしていました。校長の挨拶というか訓示というか、あんなものまるで聞いていなかったし覚えていません。来賓の地方議員やPTA会長の挨拶においておや。なぜあんなことが続いているのでしょう。大学の卒業式にも出席しませんでした。
先日、マンション管理組合の重要事項説明会というものが開催されました。1000人以上いると思われる住人のうち、出席者は6名のみ。管理業者の社員さんの説明と若干の質疑のみで終わりましたが、出席者の一人が「組合長がこの場に立ち会っているのだから、挨拶の一つもしたらよかったのに」と言っていました。そういう挨拶好きもいるんですね。ま、「けじめ」がほしいということかもしれません。その気持もわからないではありませんが。
さて、記者発表や記者会見をセレモニーの一種と思い込んでいる会社があるようで、これは大きな誤解だと思います。会社にとって記者会見の開催は一大事であることは間違いありませんが、記者会見は情報提供の場であると認識した方がよいと考えます。記者が会見に出席するのは、情報がほしいからであって、セレモニーに出席する栄誉を得たいと考えているわけではありません。だからエライ人の単なる「ご挨拶」は不要です。エライ人が登壇する以上は、報道に足る情報を提供しなければならないのが記者会見というものです。

耳でも楽しめるスポーツ

視覚障碍のある友人からメールをいただきました。
「なんだかんだ言っても、オリンピックがテレビを占拠しています。チラッとその気にさせられる種目がないではありませんが(女子体操とか)、見れども見えずなので見ません。ただ、ワイドショーかなにかで、兄妹が同時に柔道の金メダルを取ったとか、優勝したソフトボールのエースが上野投手なんて聞くとビックリ仰天しました」

おや、ラジオではオリンピック中継をしていないのかと、新聞のラジオ欄を確認したら、この日は競泳、体操、卓球、陸上競技などの実況中継が予定されていました。
そこで思い出したのはプロ野球中継です。
1960年代からつい10年ほど前まで、ほとんどの民放AMラジオは毎晩巨人戦を実況放送していました。タクシーに乗ると、必ずと言っていいほど運転手さんがそれを聞いていました。プロ野球は、耳で聞いても楽しめるスポーツなんです。
オリンピック競技の中にも、ラジオの実況を聞くだけで楽しめるものがあります。日本中が沸いたという「前畑がんばれ」はラジオの実況でした。
一方で、実況を聞いても何がなんだかわからない競技もありそうです。スケートボードやサーフィンなどの新しい競技がその典型でしょう。
その違いは何かと考えてみたのですが、2つの条件を思いつきました。
一つは、視聴者がその競技をよく知っていて、実況アナウンスを聞くだけで一つひとつのプレーやシーンを思い浮かべることができること。
「ピッチャー大谷、セットポジションから、投げました。ストライク。156キロの直球が内角低めに決まりました」なんてね。
もう一つは、実況のアナウンス技術が歴史の積み重ねの中で磨き上げられていること。競馬中継もその一つでしょう。杉本清アナウンサーはよかったなあ。80歳を超えても地方競馬の実況をやっておられた方もあるとか。
そこへゆくと、スケートボードなどはテレビで見ていても何がなんだかわからない。そもそもルールがわからない上に、アナウンサーが話す用語や表現が耳慣れない。これをラジオで聞きてもわからないでしょう。
そう言えば、パラリンピックで行われるブラインドサッカーやゴールボールなどは、ラジオで中継されるのでしょうか。これら視覚障碍者のための競技は、ぜひラジオ中継すべきだと思いますが、その放送を聞いてもわかるかなあ。これは難しい問題ですね。

語感の問題

日常、料理はいたしません。例外はカミさんが入院したとき等々で、そのようなときは、「参ったなあ」などとはツユ思わず、あれをつくってみようか、こうやったらうまいのではないかと、やる気がもりもりと盛り上がります。
料理の基礎知識は皆無と言えます。
子どもの頃、母親が不在のときに味噌汁を作ろうと試みたことがあります。そのとき、出汁というものの存在を知りませんでした。水に味噌と具を入れて煮立たせれば味噌汁ができ上がるものと思っていました。味見をしたら、塩辛いばかりでうまくない。即席だしの素などという便利なものが普及していなかった時代です。戸棚を探したら固形のコンソメスープが見つかりました。
仕事から帰った父親がその味噌汁を飲んで、なんとも妙な顔をしましたが、決して不味くはなかったといまも思っています。
先日、テレビの料理番組を何気なく見ていたら、その講師は、醤油やら油やら薬味やら数種類の香辛料やらを順番に加えるのではなく、あらかじめ小さいステンレスボウルにそれら一式を混ぜ合わせておき、頃合いを見て一気に加えるというやり方をしていました。それはよいとして、その混ぜ合わせておいたボウルの中身を「調味液」と呼んでいたのが気になりました。「調味液」、「調味液」と何度も耳にするうちに、その「調味液」なるものが、なにやら人工的な身体によろしくない薬品のような気がしてきたのです。「調味料」はよくて、なぜ「調味液」はいけないのか、と反論されると答えようがありませんが、これは語感の問題です。
語感と言えば、近頃都で流行る「人流」なる言葉。なんとも語感が悪すぎる。人の流れを科学的に分析する科学的スタンスは結構ですが、流れる人間どもの中の一人としてはなんとも居心地が悪い。「物流」はよくて、なぜ「人流」はいけないのか。語感の問題であるとともに、人を人とも思わぬ人たちの存在に危険な臭いがするからです。

リーダーのコミュニケーション力

このところ、ブログを書く気がさっぱり起こらず、ずいぶんと間が空いてしまいました。
言いたいことは数々あるものの、それらのほとんどが何かしらパンデミックに対する政策から導かれたものなので、どれもこれもメディアやネットで誰かが指摘していること。それをあえてブログに書くことはないなあ、と書く気が萎えてしまうのです。
その一つに、リーダーのコミュニケーション力についての議論があって、広報のプロたちの間でもささやかな炎上が起こっていることを発見しました。
言うまでもなく現在の国や地方政府のリーダーたちのコミュニケーション力への懸念なのですが、上手いとか下手とかいう以前に、どうしてコミュニケーション能力の低い人物がトップにまで上り詰められたのか、ということの方に大いに興味をそそられます。
20年ほど前、日本企業のリーダーたちのコミュニケーション能力の低さが大きな話題になっていました。アップル社のジョブス氏などのプレゼンテーション力に比べて、わが国の企業トップのプレゼンは・・・といった文脈が多かったようです。
ところが現在、そのような指摘はほとんど見られません。な~んでだろ?
日本企業のリーダーのコミュニケーション力は、顕著とは言えないまでも、20年前に比べれば進歩したことは間違いないようです。少なくとも投資家たちと渡り合えるだけのコミュニケーション能力を持っていなくてはベンチャーを含め企業のリーダーにはなり得ない、という環境が日本でも定着したのではないかと推測します。
翻って政治の世界はどうか。企業のリーダーがさらされるような厳しい環境とは異なる旧態依然のぬくぬくした環境の中で、ヒソヒソ話だけでリーダーになれる仕組みがいままで温存されてきたのではないか。それでいいのか、とCOVID-19のパンデミックの中で疑問が浮かび上がってきたのでした。