「なぜこれをくださるのですか」

学校を出てからずっと会社勤め。自分で会社を興しても会社勤めには違いありません。カッコよく言えば“ビジネス社会で生きて来た”ということになりますが、そういう自覚はありませんでした。
ところが今年、居住地域の活動に引き込まれてしまって、それを思いっきり自覚させられることになりました。
そのモロモロはいずれ書くとして、先日はこどものためのミニ縁日と地域住民の作品展が開催され、作品展の係を命じられました。写真展の経験は何回もあるのでお安い御用です。
店開きをして間もなく、一人の高齢婦人がお越しになりました。そして氏名・住所・電話番号だけが印刷されたシンプルな名刺を差し出されました。こちらは名刺の用意などありません。すると小さなカードを差し出され、ここに住所と名前を書けとおっしゃる。すぐご近所ですから、逃げも隠れもできません。ご要望通りにいたしました。
2、3時間後のこと、その高齢婦人がペットボトルに詰めたお手製のコーヒーを差し入れてくださいました。一口飲んだらその甘いこと甘いこと。
その日の夕方、件の高齢婦人が自宅を訪ねてこられました。お手製の料理を冷凍保存したもの2品お持ちくださったのです。ありがたいことです。なんでも資格をお持ちだとか。何の資格かは聞き漏らしましたが。
何はともあれお気持は誠にありがたいものの・・・。


10月9日付毎日新聞のコラム「松尾貴史のちょっと違和感」にこんな記述を見つけました。
「差し入れといえば『なぜこれをくださるのですか』と聞きたくなる物を持ってこられる人もいる。いや、善意をもらっておいて不平があるわけではないのだけれど、もったいないなあと感じることが、ままあるのだ。
 ファンの方による手作りの食べ物は、いかに心がこもっている物でも、出演者に届けられることはまずない。もちろん、安全上の問題だけれども、たとえ直接『人柄の良さそうな』方に楽屋口などで手渡されても、それを口にするということはない。」

どうにも手に余る

10年以上前、退職祝いに有志の方々からいただいたのがこの写真の携帯用ボトル。スキットルとかフラスコとか呼ぶらしいんですが、「酒好きにはこれだろう」と暖かいお気持で選んでくださったものです。中央には伸縮カップはめ込まれていて、これでスコッチをチビチビできる。なぜスコッチかと言えば、これがスコットランド製だからです。間違ってもバーボンやらジャパニーズを入れてはいけません。そんな法律はありませんが。
このタイプの新品はいまは手に入らないようです。結構なお値段します。
しかしです。贈ってくださったみなさまには申し訳ないことながら、たった1度使っただけで、どこにしまったかすっかり忘れてしまいました。家内捜索の結果、ようやく発掘したところです。
何故使い続けることがなかったのか。
理由の1:通でなくてごめんなさい。スコッチはストレートで飲むのはちょっとキツイんです。だからと言って水割りにして詰めるのもなんだかなあ。うまい焼酎を本場鹿児島でやるように前の日から水でで割っておく「前割り」ならよいかもしれません、日本酒を入れたらすぐに飲んでしまいそう。もう少し入るといいんですがね。いずれにしても、スコッチしばりですから、そんなことをしてはいけません。
理由の2:中身を飲み切ったあとも、そこらに捨てて帰るわけにはいきません。環境には大変好ましくはありますが、旅先で空容器を持ち歩くというのは抵抗があります。その昔の遠足では空水筒を持ち帰りましたがね。
ではさらに注ぎ足したらどうでしょう。行った先の酒屋で追加でスコッチを買うとしても、全部は入りきらない。残りはどうしたらよいでしょうか。飲んでしまう、というのも一つの解決策ですが、前後不覚に酔っ払ってしまいます。身体にも悪い。スコッチの残りが入ったビンをを持ち歩くなら、このスキットルを使う意味がありません。どうにも手に余る。
まあ、そんなこんなで使っていなかったのですが、寒い日が続きます。これを湯たんぽ代りにするのもよいかもしれません。どうせならただのお湯ではなく、スコッチのお湯割りを入れたりして。でも、冷めたら美味しくないだろうなあ。
と、寒い寒い日曜日、外出はオミクロンが怖いので、家に籠もって思案し続けているのであります。

Facebookと天然うなぎ

47都道府県のうち足を踏み入れていない県が2つ残っていました。高知県と大分県。海外へ行ける機会は今後あるかどうかわからないので、新型コロナがスキを見せている間に、こちらの方をつぶそうと思い立ち、高知県に行ってきました。
ここ何週間か、高知ばかりでなく四国4県で新型コロナの感染者ゼロが続いています。
新型コロナウイルスはヒト*に感染しなければ存在できない⇒高知では感染者がゼロ⇒高知には新型コロナウイルスは存在しない、という怪しげな三段論法で安全に旅行ができると信じることにしました。*ネコにも感染するそうです。
高知へ行ったら訪れてみたいと思っていたのは四万十川です。鮎の友釣りを趣味としていた若いとき、四万十川で鮎を釣るのが夢でしたが叶いませんでした。いまとなっては友釣りよりもうなぎです。四万十川でとれた(たぶん)天然うなぎの蒲焼きが食べられるという店へ直行しました。
帰京してから、この写真をFacebookのうなぎ好きのグループに投稿してみました。すると、あれよあれよという間に380もの「いいね」がつきました。これまでFacebookでいただいた「いいね」の最多数です。うなぎ好きの人たちにとって、四万十川の天然うなぎの蒲焼きは一つの憧れなのでしょう。
では、その味はいかがであったか。それはこれから四万十川に訪れる方々のお楽しみとしておきましょう。ちなみに、ことわざに「名物にうまいものなし」というのがありますが、写真とは関係ありません。

語感の問題

日常、料理はいたしません。例外はカミさんが入院したとき等々で、そのようなときは、「参ったなあ」などとはツユ思わず、あれをつくってみようか、こうやったらうまいのではないかと、やる気がもりもりと盛り上がります。
料理の基礎知識は皆無と言えます。
子どもの頃、母親が不在のときに味噌汁を作ろうと試みたことがあります。そのとき、出汁というものの存在を知りませんでした。水に味噌と具を入れて煮立たせれば味噌汁ができ上がるものと思っていました。味見をしたら、塩辛いばかりでうまくない。即席だしの素などという便利なものが普及していなかった時代です。戸棚を探したら固形のコンソメスープが見つかりました。
仕事から帰った父親がその味噌汁を飲んで、なんとも妙な顔をしましたが、決して不味くはなかったといまも思っています。
先日、テレビの料理番組を何気なく見ていたら、その講師は、醤油やら油やら薬味やら数種類の香辛料やらを順番に加えるのではなく、あらかじめ小さいステンレスボウルにそれら一式を混ぜ合わせておき、頃合いを見て一気に加えるというやり方をしていました。それはよいとして、その混ぜ合わせておいたボウルの中身を「調味液」と呼んでいたのが気になりました。「調味液」、「調味液」と何度も耳にするうちに、その「調味液」なるものが、なにやら人工的な身体によろしくない薬品のような気がしてきたのです。「調味料」はよくて、なぜ「調味液」はいけないのか、と反論されると答えようがありませんが、これは語感の問題です。
語感と言えば、近頃都で流行る「人流」なる言葉。なんとも語感が悪すぎる。人の流れを科学的に分析する科学的スタンスは結構ですが、流れる人間どもの中の一人としてはなんとも居心地が悪い。「物流」はよくて、なぜ「人流」はいけないのか。語感の問題であるとともに、人を人とも思わぬ人たちの存在に危険な臭いがするからです。

どら焼きの皮

大手カステラメーカーの工場に直売所が付設されていることを、知人から教えてもらいました。そこではカステラの切り落としを売っているとのこと。目が輝きました(鏡で確認してはいませんが)。
カステラは子どもの頃からの大好物。とりわけその端っこや底のザラメが好みです。切り落としを見逃すことはできません。さっそく出かけて来ました。
お目当てのカステラ切り落としを購入したついでに、直売所の品々を探索していたら、「どら焼きの皮」という商品を発見していまいました。餡なしの皮だけです。瞬間にして、これこそが私のアンメットニーズであったことに気づきました。
どら焼きも店によって満足度が大きく異なります。餡の甘さや風味も重要な構成要素ではありますが、私においては皮のふっくら感や柔らかさ、弾力、舌の感触などの方をより重視しております。
迷わず買って来た「皮だけ」を食べてみると、これは感動でした。
ここのどら焼きは、大きな字では書けませんが、あえて買って食べたいとは思っていませんでした。しかしこの「皮だけ」はうまい。絶品です。
餡が入っているとソコソコ。餡がないと絶品。これはどうしたわけでしょうか。
その上、大発見までしてしまったのです。それは、
「どら焼きの皮はパンケーキである」
という真理であります。それに気づいた人はこれまでおりません(たぶん)。
つまり「どら焼きとは二枚のパンケーキで餡を挟んだ菓子のことである」という新定義がここに生まれたことになります。
ものを別の視点から見ると、まったく異なるもの見えて来る。まさにどら焼きをリフレーミングしてしまったのであります。

あっ、なくなっちゃった

閉店してしまった小料理屋

ココランチ」という、半蔵門・麹町界隈のランチの店を紹介するページを会社のサイト内で10年以上運営しています。そこがいまピンチです。
半蔵門・麹町界隈でも古くからある名店がある日突然閉店してしまったり(写真のように)、別の新しい店に入れ替わっていたり、それが激しいのです。
言うまでもなく、新型コロナが流行してから2度の緊急事態宣言とやらを経て、飲食店は苦境に立たされています。夜の営業が制限されるばかりでなく、ランチの客も減っています。出勤者を7割減らせと霞ヶ関方面から大声で叫ばれているのですから、そこからほど近い半蔵門あたりが影響を受けるのも当然でしょう。タクシードライバーの客が多いラーメン屋の話では、タクシーも減車しているのでめっきり客が減ったそうです。
サイトで世の中に公開している以上、存在しない店をいつまでも掲載していてはフェイクニュースになってしまいます。そこは丹念に調査をして正しい情報にアップデートしなければなりません。ところがテレワークでオフィスへ出勤する回数が極端に減っています。ランチをとる機会も減っているので実地調査もままなりません。
「あっ、なくなっちゃた」と閉店が確認されれば紹介を削除しますが、その店舗で新たに開業した店があっても、それを代わりに紹介するというわけにも行きません。いつまた閉店してしまうか、いま状況ではなはだ覚束ないのです。そんなわけで掲載するお店がどんどん減ってしまいました。
コロナ禍はこんなところまで影響しています。幸い「ココランチ」の社会的インパクトはほぼゼロですけど。

ボクはやっと認知症のことがわかった

私は原則として本はお薦めしないことにしています。関心や価値観は人さまざまですから。正直に言えば、他人から「面白いから」とか「ためになるから」などと言われるのは大迷惑です。なんの関心もない話題だったり、嫌いな著者だったりすることも少なくありません。義理で読んでいると、貴重な時間をこんな本のためにつぶされるのかと癪に障ることもあります。
ではありますが、この本は多くの高齢者やそのご家族には読む価値ありだと思いました。
「ボクはやっと認知症のことがわかった」KADOKAWA刊。
専門医が自らの専門とする疾患にかかる例はしばしば耳にします。認知症の第一人者である長谷川和夫先生もその例で、自分が認知症になってしまった。専門家と患者が合一してしまった。私たちが認知症を知る上でこれ以上の条件はありません。
「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない」という言葉には、専門家=患者であればこその説得力があります。むろん現実にはこの本に書かれているような美しい日常ばかりでないでしょう。憎しみや嫌悪が渦巻く修羅場もあるだろうとは思いますが・・・。
長谷川先生には一度だけお目にかかりました。PR誌の編集をしていた80年代、取材にうかがったかと思います。この本をまとめた読売新聞の猪熊律子さんにも、企業の広報担当者だったときに、一度だけ取材される側としてお会いしたことがあります。印象に残る記者さんでしたが、その後はコンタクトする機会はありませんでした。
それはともかく、かつて実際にお目にかかったお二人が組んでのよいお仕事だと思いました。

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うまいもんが食いたいなあ

この3日ほど、東京ビッグサイトで仕事をしています。たまにはこういう異空間に身を置くのも悪くはありませんが、ちょっぴり悩ましいのは昼食です。構内にはいくつもレストランやカフェテリアがあります。コンビニもある。有名コーヒーチェーンもある。少し足を伸ばせば、周辺のオフィスビルに入っている飲食店も利用できます。にもかかわらず、昼時になると「さて、どこで何を食べようか」と悩むことになります。
理由は混むことと旨くないこと、この2点につきます。
このあたりの飲食店は、どこか「こんなもんでいいでしょ。それでも客は来るんだから」と考えているかのような、取り柄のない店ばかりです。新しく造成された土地柄だけに個人経営の店は見あたらず、ほとんどチェーン店ばかりであることがその一因でしょう。
しかたがないので、業績不振が取り沙汰されている家具店が入っているビルに出かけて、1日目は照り焼き丼、2日目はぶっかけうどんに鶏天、3日目はコクうま味噌らーめんということになりました。もちろんすべてチェーン店。もうあきました。

小賢しいことするんじゃね~や!

昼食に入った店のテーブルに、見慣れぬ金属製のプレートを発見しました。禁煙マークがあり、その横に見慣れぬマークがあります。「禁煙、Ploom TECHだけ」。たばこを吸わない筆者には、何のことかにわかに理解できませんでした。やがて、はは~んと推測できました。Ploom TECHって、電子タバコとか加熱タバコっていうやつの商標かな? ということは、加熱タバコだけは吸っていいよ、それもPloom TECHというブランドのものだけよ、ってこと?
店の熟年おねえさんに、「これって、たばこ屋が置いて行ったの?」とたずねたら、「そうです」という返事。これですべてが推測通りとはっきりしました。
マーケティングの手法としては見事ですね。よく考えたなあと思います。しかし、だんだん腹が立って来ました。小賢しいことするんじゃね~や!

やはりリアルワールドか

遠出をしたり出張したりするとき、ちょっとうまいものを食べないなあと思いますよね。以前(だいぶ前ですが)だったら、“食べログ”などで検索して探したのですが、近頃はどうもいい店が見つかりません。Googleで検索しても上位にはそれらの大手飲食サイトがずらりと並ぶばかり。ステマとまでは言いませんが、本当に「いい店」はネットでは探せなくなっています。
それらの飲食サイトの“口コミ”をみると、妙に上手ぶった文章がならんでします。「ヨメさんとどうしたこうしたので、どこそこへ行ったら満員だったのでこの店に行ってみた・・・」などと、こちらには関係ないどうでもいいことがズラズラ並べられていて、うまかったのかまずかったのか、なかなか結論に到達しません。“ガッテン”じゃないんだから、そんなにひっぱらなくてもよさそうなものです。食べる前にヘドが出そうになります。
一体あの“口コミ”はなんなのでしょう。どこにも自己表現する場のない人たちが、あそこで自己満足に浸っているのでしょうか。それとも消えた某健康サイトのような裏マニュアルが存在しているのでしょうか。
やはりリアルワールドで友人知人から教えてもらうのがたしかだということになるのでしょうね。