はい寿命です

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テレビ受像器が最近また売れ始めそうだという記事を読みました。地上波テレビがデジタル化されたのは2011年7月で、その頃購入した受像器がそろそろ買い換え時期を迎えているためだそうです。そんなものかなあ、と他人事のように思っていたら、自宅のテレビが突然壊れました。時限爆弾でも入っているのでしょうか。○○○タイマー(○○○の部分にはメーカー名が入る)などという悪口もしばしば耳にしますが、その○○○製ではありません。大昔から電球は一定時間で切れるように作られているという伝説がささやかれてきました。どちらの電機メーカーでも品質管理の技術がさらに悪賢い(失礼!)方向に進歩しているのかもしれません。
修理サービスを呼べば直るのでしょうが、この際、思い切って買い換えようと量販店へ出かけました。置き場所が狭いので大きなテレビは置けません。これまでは32型。最近は画面の縁が薄くなったのでギリギリ40型が入りそうです。どこのメーカーの時限爆弾・・・いやテレビがいいかなと楽しみに出かけたら、「4K対応」(だからと言ってそのまま4Kが映るわけではありません)の40型は1メーカーの1機種しか置いてありません。選択の余地なし。いまやワンルームでも50インチ、60インチといった大画面が主流で、40型なんてミソっかすなんですね。
そういうわけで新しいテレビを使い始めましたが、ワクワク感はなし。何も変わり映えしません。当たり前ですね、映る番組は同じなんですから。いくらかは画面が美しくなったかなと意識的に思うようにして、心を落ち着かせることにしました。
数日たったときです。突然見えなくなってしまいました。時限爆弾ではなくて導火線つきの爆薬であったか・・・これは販売店で交換してもらわなくてはと思ったら、コンセントの抜き差しで直ってしまいました。どうやらAndroidの更新が関係していたようです。知らぬ間にテレビにはOSが仕組まれるようになっていたのでした。そういうことなら時限爆弾を仕掛けなくとも、遠隔操作で「はい寿命です」ということも可能でしょう。なんかいや~なカンジですが・・・。

読まない時代

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世の中の人たちが読む本と、自分が好んで読む本との間の距離が広がってきたなあ、と実感します。以前からベストセラーと呼ばれる本は読む気が起こらず、マイナーな作家の小説などが好みでしたが、それどころではない乖離が存在することに気づくのです。
ショックを受けたのは近所の本屋に立ち寄ったときです。近くに蔦屋書店とBOOK・OFFがそれぞれ大きな店を構えているのですが、どちらへ行っても目的とする本や興味を惹かれる本を見つけることができません。レアな専門書などを求めているわけではありません。一例を挙げれば、アガサ・クリスティのポアロ物が見つからないのです。いまやミステリー小説の古典など誰も読まなくなったようです。若い日本のミステリー作家の文庫本だけが本棚で生き残っていました。
さらに気になるのは、蔦屋書店にしてもBOOK・OFFにしても本の売場が少しずつ縮小していることです。コミック売場の変化は実感できませんが、それも電子書籍に食われているのかもしれません。
なにはともあれ、みんな本を読まなくなりました。筆者の周囲を見回しても、一部の高齢者を除いて読書する人はだ~れもいません。たまに「これ、面白いよ」とか「これは参考になるよ」と渡しても、いつまでもいつまでも机の上に積まれたままなのです。

癒されません!

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「癒される」ってのがよくわかりません。
景色のよいところからテレビ中継などすると、レポーターはしばしば「癒されます」などと発言していますが、どんな状態を表現しているのでしょうね。美しい風景に癒されたレポーターさんには、その前と後でどんな変化が生じたのでしょうか。そこのところがよくわからない。「癒す」というのは本来、病気やケガを「治す」という意味ですから。
そもそも何を癒されるのでしょう。悩み? 気の迷い? ストレス? 不安感? 抑うつ状態?・・・。
雄大な自然を見たら誰でもよい気分になります。清々とした気分になって、思い悩んでいたことを一時忘れることはあり得る話です。でも、山から下りたらもとに戻ってしまうのではないですか。癒されたのはほんの一瞬ということになりそうです。
たしかに便利な使い方ではあります。山でも川でもかわいい動物のこどもでも、「癒されるう!」ですんでしまいますから。
「癒される」がこんな風に使われ出したのは、20世紀末から21世紀初めころのことだとネットにありました。だから古い人間には「癒される」は身体にしみ込んでいません。いい悪いはともかくとして、癒される実感がわかないというのが正直なところです。

コンシンのスポーツ

新聞記者OB氏の会話を聞くともなく聞いていたら、業界団体というのは談合するところだと力説しているのでひっくり返りました。筆者が関係している業界団体では、総会などが始まる前に、独禁法で禁じられていることはしないようにという注意書きが毎回配布されます。それほど神経を使っている業界もあるというのに・・・。
筆者が初めて業界団体と関わりを持ったのは四半世紀ほど前のことですが、最初に驚いたのは、業界の人たちが時間さえあればゴルフの話をしていることです。天下りの専務理事も業界人に輪をかけたゴルフ好きでしたから、話はいつまでもいつまでも、尽きることなく続きました。業界団体というものが業界に属する人たちの懇親の場でもあることを強く印象づけられたのでした。懇親の間に行政やビジネスの話をする。行政やビジネスの話の間にゴルフの話をする。新聞記者OB氏に疑われるのもやむを得ないかもしれません。
もはや旧聞に属しますが、利害関係者と一緒にゴルフをしたことをどう考えているかとコメンテーターから質問されて、「ゴルフに偏見をもっておられると思います。いまオリンピックの種目になってますから。ゴルフがダメでですね、テニスはいいのか、将棋はいいのか」などとわけのわからない答えをした与党総裁兼内閣総理大臣。擁護するつもりはありませんが、このはぐらかしにも一面の真実が反映しているような気がします。ゴルフは本質的に「争うスポーツ」ではなくて「懇親のスポーツ」なのです。与党総裁の言葉にサッカーやラグビーや柔道が出て来ないのは偶然ではありません。
蛇足ですが、筆者も土曜日ごとにゴルフの練習に通っていた時期があります。勤め先では自らの名前を冠したコンペを主催していました。そんなわけで、ほとんど上達はしませんでしたが決してゴルフを知らないわけでも偏見をもっているわけでもありません。

これは売れました

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低迷する古書相場の中にあっても、値のつきそうなものが押入の奥にあることを思い出しました。古い自動車雑誌です。中学生の頃から小遣いの大半を費やして購入していたもの。創刊号から5年分は完璧に揃っています。
先日、神保町に行ったついでに、自動車雑誌を専門に扱う古書店に寄ってみました。
薄暗い照明の下で禿頭の主人が暇そうにしていたので、こういう古雑誌があるんですが買い取っていただけますかと尋ねたら、答えは、
「現物を見ないとわからない」
という素っ気ないものでした。
「創刊号などは、どのくらいで売れますか?」
「そういうことには答えていません」
あくまでも無愛想です。こんな店には売ってやるものかと、早々に退散しました。
そこでネット検索です。別の専門業者さんに電話したら、都下の自宅まで受け取りに行きますという返事でした。商売はこれでなくてはいけません。
ダンボール箱2つ。先に売った古書の40倍の値で引き取ってもらえました。
これで中学生の思い出が一つ家の中から消えました。とくに感傷はありません。これからどんどん押入と本棚のスペースが拡がりそうです。

また会う日はもう来ない

もう使わないあれこれを整理しようと考え始めました。
もともと好奇心の強い質(たち)で、あれやこれやに手を出してきましたが、諸般の事情で続けられなくなった遊びや趣味が少なくありません。それらに使用する材料や道具類を、いつかまた使う日が来るだろうと押入や物置の奥で長い冬眠をさせていたのです。「捨てられない症候群」の自覚症状は全くありませんが、そんなこんなで雑物が家のあちこちに堆積しています。たとえば・・・具体的な品名を挙げるのは恥しいのでやめておきましょう。
いまになってみると、なんでこんなものを取っておいたんだろうと思うのですが、その時は、また会う日があることを確信していたのです。しかし、これからそのような麗しき日々が来ることはありそうもありません。それにしても、どこから手をつけたらよいのやら・・・。
一番の問題は書籍類です。棚に前後2列に並べていたところ、最近、何枚かの棚板がゆがんで割れてきてしまいました。こうなると一刻の猶予もできません。大地震が来る前に命取りになりそうです。とりあえず面白くなかった本、興味を失った本、時代とともに価値を失った本などダンボール一箱分を業者へ送ったら435円振り込まれてきました。いまは史上最も古書価格が低い時代なのだそうです。周囲を見回しても、スマホを眺めてばかりで読書をする人はほとんどいませんから、さもあらんと納得せざるを得ません。しかし、売った本の20倍ほどがまだ残っています。さてさて・・・。(次回へつづく)

引っかかりませんでした

長年、腸の不調に悩まされてきました。処方薬や漢方などいろいろ試してみたのですが全く改善しません。ところが偶然に、干し柿がいくらか症状を和らげることに気がつきました。そこで八百屋や果物屋で箱買いしたり、ネット通販で購入したりしました。あちこちの業者から取り寄せましたが、その一つに「かぶちゃん農園」というのがありました。
そうです。いまニュースになっているケフィア事業振興会の一子会社です。もっとも初めは「ケフィア・・・」とは知らず、ただの農園だと思っていました。品質は安定していて、決して悪くありません。だから度々購入していました。
そのうち、「オーナー制度」のDMが郵送されて来るようになりました。なんとなく胡散臭くて干し柿の購入もやめてしまいましたが、1年ほど前からは週に何度もDMが届くようになりました。なりふり構わずといった必死さが伝わってきました。よほど資金繰りが苦しいんだろうなあと思っていましたが、その推測が見事に当たっていたことがわかって秘かに鼻を高くしております
大丈夫です。引っかかってはおりませんよ。手元資金に余裕がなかったからというのが真相でもありますが・・・。
ついでながら腸の不調の方も名医に巡り会って見事に解決し、干し柿にはすっかり用がなくなりました。

どうしてデジタル化しなかったの?

https://mainichi.jp/articles/20180810/k00/00m/040/187000c
富士山測候所の68年間にわたる貴重な記録「カンテラ日誌」を捨ててしまったそうです。たまたま気象台に配属されただけの事務官は、この日記あるいは記録一般に対する価値観や意識をまったく持ち合わせていなかったのでしょうね。同時に、それほど大切なものなら、どうしてデジタル化しておかなかったのか、という疑問も湧いてきます。そこで思い出したエピソードがあります。
ちょうどITの黎明期のことです。勤め先の会社は、過去にさまざまな広告活動をしていて、有名な広告賞を受賞したこともあります。レベルの高いパンフレットやカタログも制作していました。それらの関連資料は十分整理もされずにあちらこちらに分散保管されていました。そこへオフィス移転の話が持ち上がり、お決まりのことながら不要な書類を整理するようお達しがありました。
宣伝セクションの管理担当課長がそれに反応しました。彼は、当時普及し始めたカラー複写機で過去の広告原稿などをすべてコピーし、大きめの資料はコピーをペーパーセメントで丁寧につなぎ合わせて、何冊かのポケットファイルに収めたのでした。原資料はすべて廃棄しました。そのときの課長氏の自慢げな表情をいまでも覚えています。
それらの資料がその後どうなったかは、説明するまでもありません。カラーコピーはすっかり色褪せ、ペーパーセメントは剥がれてめくり上がってしまいました。さらに重要なことは、二次利用の可能性がまったく失われてしまったことです。当時、すでに画像のデジタル化は可能になっていました。さらに数年待てば、誰もが手軽にデジタル化できる時代になりました。
手をつけるのが早すぎたのか、技術の進歩を見通せなかったのか。このエピソードを思い出すと、なんだか悲しくなって仕方がありません。

wordingの問題もあるのでは?

ダイニングチェアを買う必要に迫られました。1年ほど前のことです。
まずお値段が気になるので、ネットであれこれ調べました。材質や構造の違いとともにおおよその価格帯がわかりました。テーブルと椅子との高さの差が重要であることもネットで知りました。しかし、現物を見ないのはリスクが高すぎます。さて、どこへ見に行こうか。
何年か前なら大塚家具へ行ったと思います。ニトリやイケアよりちょっと上等な家具が見つかりそうな気がしたからです。これまで何度も大塚家具で買い物をしてもいます。しかしお家騒動の末、大塚家具は路線転換してニトリやイケアの路線を目指すと表明しています。では、どこへ行ったらよいの?
大塚家具が苦境に立っている要因の一つにnamingあるいはwordingの問題があるような気がしてなりません。いまの大塚家具が売ろうとするターゲット層や商品のポジションを経営者が適切な言葉で表現したのを聞いたことがありません。
ニトリやイケアなら、「まずまず安い(中価格帯?)」、「デザインはシンプル」、「そこそこ満足できる品質」といった言葉が浮かびます。高級品から低価格品までなんでも置いてある店というのも便利なもので、以前の大塚家具は高級路線と言うより、そのような大規模店であったと思います。でもいまは「安いのかどうか信頼しきれない」、「中途半端にデコラティブな家具も置いてある」、「品質は大丈夫かどうかわからない」 いまは一体何なの? ポジショニングを言葉で示してほしいですね。

やっかみ、妬み、焼きもち・・・

今日8月8日付の日経産業新聞に、近鉄がウエスティン都ホテルを改装して客室単価を2~3万円から4~7万円程度と倍以上にするという記事がありました。
やっかみ、妬み、焼きもち、反感・・・若いときから今日に至るまで、足を踏み入れるたびに、そのテの感情が浮かび上がる場所が高級シティホテルです。蹴上の都ホテルにはかれこれ20回くらい宿泊した経験があります。まだ名称に「ウエスティン」がついていない頃のことです。しかし、もういけません。京都より東京の方がもっといけません。近頃次々につくられる長いカタカナ名前のホテルがとくにいけません。
こちらは零細企業のビンボウ人ですから、どこのホテルでも歩いてエントランスに入ります。脇に立っている警備担当者の視線が気になります。これだけで、やっかみ・妬み気分が沸々とわき上がってきます。ベンツのSクラスなどからここに降り立てば、さぞかし丁寧に応対してもらえるだろうに・・・と。
最近は、目指す宴会場やレストランへのルートがさっぱりわからない高級ホテルが増えました。「これがエレベータホールか」という凝ったデザインのホテルもあって、どちらへ行けばよいのやらキョロキョロするばかり。ベルボーイ・ベルガールに尋ねれば丁寧に教えてはくれますが、腹の中では「おや初めての客かい? こんな高級なホテルに来る人種じゃないだろ」と思われているのではないかと邪推してしまいます。ここまで来るともう「いじけ」や「ひがみ」そのものですが・・・。
これから東京には富裕層だけを対象とする高級ホテルがさらにいくつもつくられるそうです。誰が泊まるのかなあ? 自腹の客は少ないだろうなあ。自分に縁のない場所がますます増えるのだなあ、などとひがみつつも感慨にふけってしまうのでした。