大笑いの効果は?

テレビでプロ野球中継を見るとき注意しているのは、味方に点が入ったときの監督の態度と表情です。選手と一緒に大喜びをする監督とクールな監督がいます。それぞれの性格を反映しているのだと思いますが、チームに与える影響としてはどちらが好ましいのでしょうか。
昔の監督、たとえば川上監督などはあまり喜ばなかったような気がします。「気がします」というのは、その頃テレビ中継をあまり見ていなかったからですが、長嶋監督などは大喜びする方でしたね。
人の上に立つ人間は喜怒哀楽を表に出すな、というのが少なくとも明治以降の日本の教えでした。だから昔のエライさんや威張っているお父さんは嬉しいことがあっても無理して仏頂面をしていたものでした。
いまの監督もいろいろですが、点が入っても仏頂面をしているような監督はいなくなったようです。
それにつけても興味深いのは北の指導者です。ミサイルが成功したといっては満面の笑み、というより大笑いしている映像を国営通信社が配信しています。少々笑いすぎではないか、とも思うのですが、そんな表情の写真を配信することが国益にかなうと向こうの人は判断しているのでしょうね。大笑いがどのような効果を世界の世論にもたらしているのか、だれか検証してみたらいかがでしょう。

リクルーティングの季節

電車の中でリクルーティングスーツの若者が目立つ季節です。定期採用など縁のない零細企業の弊社にも季節は巡ってくるもので、広報の仕事がしたいという学生が紹介を受けてやってきました。希望としてはある政府系機関に入社して広報部門に配属されたい。しかし、入社できるかどうか、入社しても広報に配属されるかどうか、二重の高いハードルがあるので、大手PR会社の採用試験を受けたいということでしたので、広報業界の内情を含めてアドバイスをして差し上げました。そのおおよそは弊社サイトのFAQの内容とほぼ同じことですが、一流大学の学生が就職活動時から広報を志望するというのは、30年前には考えられないことでした。広報もずいぶんポジションが上がってきたものです。
それと同時並行で、弊社でも中途採用を行っていました。そこでは、広報について何も基礎知識を持たずに面接を受けに来る方がほとんど。詳しく勉強してから来いとは言いませんし、未経験でも結構なのですが、広報がどんな仕事なのか、ネットなどで概略くらいはつかんで来てほしいものです。
現状は売り手市場だそうですが、一方でなかなか買い手がつかない方も少なくないようです。買い手がつかないのは、それなりの理由があるということを理解していただきたいというのが、10名ほどの面接をした実感です。

失礼します

謝り方って本当に難しいですね。不祥事の謝罪会見で何秒頭を下げるかといった話ではありません。仕事上でお客様にほんの少しご迷惑をかけたとき、謝るべきか知らん顔するべきか。どんな小さいことでも、お客様に不利なことが発生したら謝るべきだ、というのが正論ではありますが、実際には「そんなことはどうでもいいですよ」ということもあるので、そのあたりの判断は新入社員には難しいところです。
先日、本屋のレジカウンターで、カバーをかけた文庫本を「お品ものを失礼します」と差し出されました。なに故に「失礼します」と謝られなければならないのか、しばし考えてしまいました。そう言えば、飲食店でも「前から失礼します」とか「後から失礼します」と言って注文した品を出されることが少なくありません。失礼しないのは横からなのか、と思ったら「横から失礼します」とラーメンを出されたので、それではどこから出しても「失礼した」ことになってしまいます。なにかおかしいなあ。

マネジメントは人間関係をつくれるか?

昨日の千秋楽、稀勢の里の逆転優勝の相撲には久しぶりに感動してしまい、涙が出てしまいました。日本国中の心が一つになった、などと言ったら、もっと別のことで一つになってほしいと保守派の人たちは思うのでしょうか。相撲でよかった。
それはさておき、優勝が決まった瞬間に、弟弟子の高安も号泣したとか。いい話ですね。この部屋の力士たちの人間関係はとてもうまく行っているのだろうと想像できます。何年も同じ部屋で稽古を続ける中で形成された仲間意識が、こういう場面で発露したのでしょう。
終身雇用の時代の日本企業がこうだったなあ、と思います。終身雇用を賛美するつもりはありませんが、何年か一緒に働くことで仲間意識や信頼関係が醸成され、組織の求心力が高まるという面は否定できません。そこへ行くと、新興企業や外資系企業のような労働流動性の激しい組織では、社員同士が互いに信頼しきれていない状況が出現します。企業としての成功より、自分自身の評価が優先します。もし田子の浦部屋がそうなら、横綱が優勝しても、高安が号泣することはなかったでしょう。
経営学のさまざまなテクニックを駆使しても、本当に強い仲間意識をつくりあげるのは容易ではありません。マジメントの技術がどこまで人間くさい情の領域に介入できるのか、少々懐疑的であります。

経験の価値

NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』の視聴率が20%を超えたのだとか。出勤時間と重なるので、出だしの2分間くらいしか見ていませんが、なんとなく辛気くさくて盛り上がりに欠ける印象です。さらに、俳優さんがみな若いことが気になります。一生懸命老け役に挑戦しているのはわかりますが、舞台ならともかく、リアリティが求められるテレビドラマでは、学芸会を見ているような違和感が拭いきれません。
企業にも同じことが言えるようです。若い人の抜擢、活用は大切なことですが、若い人たちだけの組織は、どこか脆弱に感じられます。「常識」はずれの判断をしてしまったり、不可思議な失態をしてしまうのをしばしば目にします。経験豊かな人材が社内にいないことがその遠因になっているのではないでしょうか。若い人たちだけで構成されている組織では、経験値、あるいは暗黙知が累積しにくい。社歴の浅い人たちばかりの組織では、お互いの信頼関係が醸成されておらず、阿吽の呼吸が望めません。腹の探り合いばかりして余分なエネルギーを消費するばかりです。MBAも結構ですが、経験の価値にも目を向ける必要があります。
DeNAの第三者委員会報告の報道を読みながら、ここにも一例があったと思いました。

やはりリアルワールドか

遠出をしたり出張したりするとき、ちょっとうまいものを食べないなあと思いますよね。以前(だいぶ前ですが)だったら、“食べログ”などで検索して探したのですが、近頃はどうもいい店が見つかりません。Googleで検索しても上位にはそれらの大手飲食サイトがずらりと並ぶばかり。ステマとまでは言いませんが、本当に「いい店」はネットでは探せなくなっています。
それらの飲食サイトの“口コミ”をみると、妙に上手ぶった文章がならんでします。「ヨメさんとどうしたこうしたので、どこそこへ行ったら満員だったのでこの店に行ってみた・・・」などと、こちらには関係ないどうでもいいことがズラズラ並べられていて、うまかったのかまずかったのか、なかなか結論に到達しません。“ガッテン”じゃないんだから、そんなにひっぱらなくてもよさそうなものです。食べる前にヘドが出そうになります。
一体あの“口コミ”はなんなのでしょう。どこにも自己表現する場のない人たちが、あそこで自己満足に浸っているのでしょうか。それとも消えた某健康サイトのような裏マニュアルが存在しているのでしょうか。
やはりリアルワールドで友人知人から教えてもらうのがたしかだということになるのでしょうね。

嘆く前にやることが・・・

製薬協が京大大学院でやっていた寄付講座「医薬産業政策学」のシンポジウムが先週、丸ビルで行われました。知人に誘われて初めて行ってみたのですが、今年度で寄付講座が終了するために、シンポジウムも今回が最後なのだとか。高額医薬品と財源が今年のテーマでした。
盛りだくさんのプログラム内容はさておき、主催者である教授が最後に発した言葉が誠に印象的でした。「毎年シンポジウムを開いてきたが、参加者は製薬会社の人ばかりで残念だった」。
当たり前です。一部のジャーナリストを除いて、製薬業界以外にシンポジウムの開催を知る人がほとんどいないのですから。
医学系ばかりではありませんが、とかくアカデミアや一部の行政の方々は、イベントを開催することだけにほぼすべてのエネルギーを費やして、参加者を集めるための告知の重要性に気づかないケースが少なくありません。また、告知にはそれなりのコストが必要であることの認識にも乏しい。いくら立派なイベントでも、誰も集まらないのでは効果は望めず、単なるマスターベーションに終わってしまいます。
今回のシンポジウムは、製薬業界の人たちばかりとは言え、ほぼ満席でした。それで十分とは言いませんが、嘆くくらいなら、その前に努力しなければならないことがあったのではないですかね。

カブル

2月25~26日は国立大学の入学試験日なのだそうです。福岡では、ちょうどその日に人気グループの大きなコンサートが予定されていて、受験生の宿が不足しているのだとか。そこで西鉄が自社の寮などの宿泊施設を受験生に提供することにした、というニュースがありました。
コンサートの主催者側も、この季節ですから入試スケジュールとかち合わないように配慮してほしいものですが、諸々の事情でそうも行かなかったのでしょう。
地方都市へ出張しようとすると宿がとれないというケースにはしばしば遭遇します。調べてみると医学系の学会が予定されていたりします。その学会に関係していないこちらにとっては大いに迷惑なのですが、これもやむを得ないとあきらめるほかありません。
私たちの仕事では、メディアイベントが他社とカブルという事態にしばしば見舞われます。似たようなメディアイベントが重なると、出席してくださるジャーナリストが分散してしまい、お互いによいことはありません。しかし、日時の決定は主催する企業様のご都合によることが多いので選択の余地がほとんどありません。他社の動向も調べてはいるのですが、同じようなタイミングで案内が出るので避けようがないのが現実です。これを回避するよいアイデアがあればなあ、と考えるのですが、なかなか思いつかないのであります。

民主主義で選ばれた封建君主

種々の矛盾を抱えながらも自由主義、民主主義を建前としてきたアメリカ合衆国が、その制度のもとで選んだのが、大統領を中世封建君主と勘違いしている人物だったとは・・・もうマンガですね。
しかし、民主主義がこういう事態を引き起こす仕組みでもあることを、世界中が再認識させられたのではないでしょうか。これが、あらためて自由主義、民主主義、市民社会の原点を見直すきっかけになれば、それはそれで悪くないかな、などと楽天的にも考えてはいるのですが、それでも世界中の多くの人たち不愉快に感じているのと同じように、不愉快です。その不愉快な気分が社会をどう変化させて行くのか・・・不安ながらも興味津々です。

なにをいまさら

文部科学省が高級官僚の天下りを組織的にあっせんしたと報じられています。なにをいまさら、と思わないでもありません。
ある元ノンキャリ官僚さんは、もうそろそろかなと思ったので、所属する役所の人事課へ退職を申し出て、次の就職先を斡旋してもらったと自慢げに話してくれました。銀行が取引先に行員を送り込んだり、大会社が子会社や下請けに社員を送り込んだり、そういうことは日本では「当然」と受け止められてきました。電通や三菱電機で摘発された過重労働もしかりです。「私ら、若いときはあんなことは普通やったしなあ」と、ある医療機器企業のOBが言っていました。そういう昔からの悪しき慣習が、これらの問題化をきっかけに是正されるのでしょうか。信じられません。
それにしても、天下りを唯々諾々と受け入れた大学も大学ですね。卒業生の顔を見たいもんです。というわけで、いま鏡を見ております。自撮り写真は失礼させていただきます。