穏やかな天気に誘われて、国立劇場前から千鳥ヶ淵の手前を経て英国大使館前をぐるり、昼の散歩を試みました。国立劇場の前は桜の種類がいろいろあるので、だいたい五分咲きといったところ(写真)。千鳥ヶ淵と英国大使館前はまだ二分咲きといったところでしょうか。今日から暖かくなるようですから、この週末が見頃ですね。
青梅街道中野警察署前
無法地帯麹町
弊社のオフィスは、住所こそ平河町ですが、ほぼ麹町です。この東京のど真ん中は、実は交通ルール無視がまかり通る無法地帯なのであります。さすがに上下6車線の麹町大通りでは見られませんが、脇道では横断歩道以外での横断は当たり前。交番の前でも平気です。信号が赤でも車が来なければ堂々と横断して行きます。初めてこのあたりで働くことになった人は一様に驚くようです。
一人でもやりますから「赤信号みんなで渡ればこわくない」ということではなさそうです。聞くところによれば、これはニューヨークと似ているそうです。車が来ないのに横断しないのは不合理だということしょう。この街で働いている人たちはニューヨーカーと価値観を共有しているのでしょうか、道路の横断に関してだけですが。
入庫って?
司会進行の不手際で・・・
シンポジウムやパネルディスカッションて、必ずと言ってよいほど時間が延びますね。そしてお決まりのように「司会進行のい不手際で、予定の時間を超過してしまいましたことをお詫び申し上げます」というコメントが発せられます。あれって、確信犯なのでしょうか。
そもそもパネリストの人数に対して時間枠が短すぎることが多いようです。冒頭のパネリストによるプレゼンテーションは、一人5分と決められていてもほとんど守られない。慣れていない方は発言のポイントを絞り込めず、よい機会だからとあれもこれも盛り込みすぎます。これは運営側の怠慢でもあります。事前チェックが甘いわけですが、エライ方だったりすると、「多すぎますよ」とも言えない事情が発生します。
そして、残り時間が5分もないのに「それでは最後にお一人ずつまとめのご発言をいただきます」などと司会者やコーディネーターが促すのはどういう神経なのでしょうか。予定時間を過ぎると聴衆の集中力は目に見えて低下します。長々とディスカッションにつき合ってきたほぼ全員が「早く終わればいいのに・・・」と思っていることをご存じないのでしょうか。
要するに聞き手のことを考えることなく自己満足でやっている結果なのでしょうね。こんなところにも顧客志向が求められるのだと思いますよ。
ストラテジック カンパニー
間違いあるんじゃないの?
犯罪の報道を見ていて、いつも不思議に思うことがあります。容疑者が逮捕されて、容疑を認めた供述というのが、判で押したように常に「間違いありません」なのです。そんなことあるのでしょうか。
警察にも検察にも、幸か不幸かこれまであまり縁がなかったので全く無知なのですが、たとえば、
「おまえがやったのに間違いないな!」
「はあ」
といったやり取りが調書になると「間違いありません」になるのでしょうか。それとも、
「間違いなかったら、間違いないと言え」
と強要されるのでしょうか。
どちらにしても、それを警察がそのまま発表して、報道機関がまたそのまま報道する。それ、なんか「間違いある」ような気がします。
(写真は本文と関係ありません)
東京は特殊だ
Facebook経由で知ったYahooによる分析なのですが、都道府県の中で東京は飛び抜けた電車社会であって、一人平均年800回以上も電車に乗っているのだそうです。それに次ぐのが神奈川や大阪でそれでも400回くらい。千葉、京都、埼玉、兵庫、奈良などがそれに続きますが300~100回といったところでしょうか(グラフから読みとっています)。その他の道府県はずっと少なく、それに反比例してクルマによる通勤・通学率が高くなっています。
その他のデータによっても、東京の特異性は際立っているということです。
これは重要な指摘ですね。私たち東京で生活し東京で働いていると、どうしても自分の周囲の環境が普遍的だと思い込んでしまうところがあります。そのような視点で広報活動をすると失敗するのは明らかです。
米国の人たちも、米国内の状況が世界標準だと考えているという話があります。大統領選のたびにそれを思い出させられますが、東京人も心しなければならないですね。
http://docs.yahoo.co.jp/info/bigdata/special/2016/01/?utm_content=bufferd5345&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
あの人ならきっと・・・
ときどきですが、知恵を貸してほしいという相談が持ち込まれます。広報のビジネスではありません。以前の勤め先でお世話になった方だったり、個人的な関係で知り合った人だったりが、カッコよく言えば問題解決の糸口を教えてほしい、より正確に表現すれば「あいつは、役に立たないつまらんことばかり知っているから、ひょっとすると何か手がかりが得られるのではないか?」ということでお出でになります。
どちらにしても買いかぶりもよいところで、よい知恵などおいそれとは浮かびません。そのようなときには、そのテーマに関して詳しそうな人が知り合いの中にいなかったかなあ、と考えることにしています。直接は存じ上げない専門家であっても、その人と関係の深い知人はいないかなあと頭を巡らせます。
そのようにしてご紹介した方からの「専門家にたいへんよいアドバイスをいただくことができた」とのメッセージが先ほどスマホの留守電に入っていました。肩の荷を降ろしたような、ちょっとよい気分です。
そのような能力はありません
今日は都庁へ。しかし、またもや書類の不備で出直しとなりました。それはこちらがぼんやりだったのが原因なので仕方がありません。つくづく役所の人間になる能力は持ち合わせていないなあ、と思っただけです。
しかし、そこの窓口に置いてあったチラシには目がテンになりました。
窓口が移転するというお知らせなのですが、移転先が書いてありません。その代わりにURLが記載されていて、そこを見るように指示されています。なぜそんな迂遠なことをするのでしょう。
そのURLのサイトにも移転先が書いてありません。サイト内をあちこち探索したところ、移転先は3月末に決まるとの記載を見つけました。
謎が解けました。現時点では、このチラシは単なる移転予告でしかないのです。そういうことなら、「移転先は決定次第、下記のURLでお知らせします」とでも書くべきではないでしょうか。つくづく役所の人間になる能力とはどのようなものだろうか、と考えさせられたのでありました。