このココノッツブログ、ポツリポツリと書いて来ましたが2015年8月10日でついに頓挫してしまいました。そこで新年からは毎日(営業日)書くことにしまして今日でまる1ヶ月完遂いたしました。
昨年までは、できる限り広報に関連した情報を書く場と位置づけていたのです。しかし、それが失敗のもと。まとまった内容を続けて書くだけの能力を持ち合わせていないことを改めて認識させられました。
そこで今年からは、「日記形式の簡便サイト」と言われていたブログ草創期を思い出し、日記のつもりで書くことにしました。書き始めてみると、今日考えたこと、今日うれしかったこと、今日腹を立てたこと、今日びっくりしたこと等々を一日を振り返るのに、なるほどこれはぴったりなツールだなあと気がついたのでした。
こんなことを書いてしまうと、またすぐに行き詰まりそうですが、なんとか2月も完遂してみようと思う今日この頃、いや今日一日の決心であります。
サポートの実力
広報は人と会うのも大切な仕事です。
初めての方と交換した名刺はホルダーに収めると同時に専用スキャナーで読み込ませてPCに保管しています。そこで使っているPCソフトはわりと高機能ではあるのですが、バージョンアップするたびにデータベースを変換する必要があったり、ときどきヘソを曲げて動かなくなったりする悪癖の持ち主です。
またまた不具合が発生したので昨日サポートへ電話しましたが、その場では解決せず、エラー表示の出たPC画面の画像を送ったりしたところ、原因を特定してメールで連絡してくれました。指示通りの作業をしたところ見事に解決しました。やれやれ。
不具合のたびにサポートに電話しますが、対応は悪くありません。ソフトの完成度はイマイチだけど、おかしくなってもサポートが助けてくれるだろうと思って使い続けています。
火事だぁ!
暗号解読
「次です!」って大切なんだな
プレゼンテーションの教科書にはたいてい書いてあることですが、与えられた時間の中で“何を伝えるか”を明確にしてプレゼン全体を構成することが大切です。そんな基本的なことを今日、再認識させられました。
人間のアタマは常に情報を整理して格納しようとしているらしくて、前後に脈絡のない話題が次から次に出てきて、何を言いたいのかわからない状況に1時間以上もさらされると、アタマはひどく混乱してイライラして眠くなるものなんですね。
前後に脈絡のない話題が次から次に提供されるものにテレビニュース番組があります。あれを見ていてどうして混乱しないのだろうと考えました。たとえば「NHKニュースウオッチ9」を見ていると、アナウンサーが「次です!」と冷たい口調で宣言してから次のニュースに移っています。切り替えを明確にしています。
本日うかがった長い長いお話にはそれがなかったので、前の話題と次の話題がどうつながるのか、デキの悪い頭が詮索し過ぎて疲れてしまったようであります。
ココノッツと9条の関係
17日日曜日の朝日新聞のコラム「日曜に想う」を読んで驚きました。
「ピーター・バラカンさん(64)から先日、意外な話を聞いた。昨秋、東京都心の広尾から六本木へ歩いていたところ、2人の警官に呼び止められたという。『どこかへ抗議に行かれる予定ですか』。え? 『あなたの服に9条と書いてありますので』」
これは他人事ではありません。弊社の社名は「ココノッツ」なんですから。まあ、「条」はついていませんがね。
「ココノッツ」の謂われはサイトに書いてある通りで、社名を決めるに当たって憲法第9条のことなど考えもしませんでした。
しかし、これはひょっとしてヤバイことになるかも。ある日突然官憲に踏み込まれて、「オマエの会社は護憲派だな。営業停止を命ずる!」と言われることも、あながちあり得ないことではありません。
そうなったら素直に「はい、その通りです」と答えて会社を畳むつもりです。
鉄道会社は傲慢じゃないですか?
今朝は予想以上の雪。いつも通勤で使っている私鉄は問題が重ねって運休が続きました。他社線に回りましたが、こちらも遅れに遅れたので、家からオフィスまで2時間30分かかってしまいました。
不可抗力の障害はいたしかたないとしても、大雨や雪が降るたびに電車のダイヤが乱れるのはどういうわけでしょう。当然なんらかの対策はとっているのでしょうが、どこか根本が間違っているのではないかという疑念がぬぐえません。遅れが生じたときも通常ダイヤに固執してさらに遅れを大きくしているようにも思います。より多くの乗客がより早く降車駅に着けるように、速やかに対策ダイヤに切り替えるなどできないものでしょうか。
運休が続いている私鉄のサイトをいま見ると、どこにもお詫びがありません。運休になった原因の説明もありません(原因はツイッターの乗客による書き込みで知りました)。「遅れています」という表示と、遅延・運休区間の表示のみ。期待される品質を提供できない事態になっているのに、これでいいんですか?
前にもブログに書いたような気がしますが、鉄道会社は多少サービスが悪くても客離れが生じません。乗客は毎日乗らざるを得ません。多少遅れが生じても車掌が車内アナウンスでお詫びをすれば(これがくどくてうるさいのですが)、それで十分と考えているようです。それって、傲慢じゃないでしょうか。
日本だなあ
久しぶりに某経済誌主催の授賞式とパーティへ顔を出してみました。この雑誌、何かと評価の分かれるところではありますが、この賞がビジネスモデルとなっているだけに受賞者、審査委員とも錚々たる顔ぶれです。満員の会場は「日本の経営者」、「日本経済の担い手」、「金儲けのプロ」といった方々ばかり。秘書だかなんだか存じませんが綾瀬はるか似の美人をお連れになった紳士にダブルのスーツの小太り氏が近寄ってきて「これはどうもどうも」と両手を握り合うといった日本的風景がここにはありました。男性比率95%の中に和服にひっつめ厚化粧の女性もちらほら。また、賞状を受け取るわが社長のベストショットを撮ろうと必死にカメラを向ける会社員の姿も・・・おっと、それって何年か前の自分自身の姿じゃないか(ーー;)。
天気予報はずれた
雨は9時には止むという天気予報を信用して、霧雨の中を傘を持たずに家を出ましたが、出先の恵比寿に着いてもまだ霧雨というか氷雨がかすかに降っていました。
そこは意地というもので、ビニール傘も買わずにすましてしまいました。
最近の天気予報はかなり精度がよいので安心していましたが、たまにはこういうこともあるんですね。
考えてみれば、昔はそれほど天気予報を信用していなかった気がします。いつの頃からか、ほとんど全幅の信頼を置くようになっていることに改めて気がつきました。その間には、研究や技術の進歩、たとえば最新の気象衛星やスーパーコンピューターの導入などもあったのでしょう。その一つひとつがどのように精度を向上させたのかは知りませんが、「気がついたらこうなっていた」、そして「それが当たり前になっていた」というのが、本当の進歩というものなんでしょうね。