新年賀詞交換会というもの

IMG_1816夕方から業界団体の賀詞交換会へ。理事長のご挨拶から国会議員、関係省庁、上部団体などのおエラ方のご挨拶と続き、乾杯が終わったときはすでに開始から43分が過ぎていました。ようやく料理が食べられると会場全体にホッとした空気が流れた瞬間、今年の選挙に出る参議院議員氏が飛び込んで来て応援依頼でさらに5分が過ぎました。
こういう会は、業界が官界その他との結束を確かめ合うのが真の目的でしょうから、まあこんなものとも言えるでしょう。事実10年前にはこんなお歴々が挨拶に立つことはありませんでした。それだけ業界団体のステータスが上がったことを昨夜の会は如実に示したものと言えます。ご同慶にたえません。しかし、必ずしも内容があるとは言いかねる挨拶をウーロン茶のグラス片手に47分も聞かされるのは少々うんざりでもあります。

年賀状リストの整理で一日が終わると思いきや

いただいた年賀状をチェックする作業が昨日から続いています。しっかり確認して投函したつもりなのに間違いの多いことったら。住所変更のお知らせをいただいた方についてはその都度修正したいたつもりなのですが、モレもあり、また知らないうちに会社が移転していたケースや昇進、異動しておられた方もあって、チェック作業は時間がかかります。こんな作業を社長がやっていてはいけないと思われる向きもあるでしょうが、弊社のような小さい事務所では、ステークホルダーを一番知っているのが「社長」なんです。そこで社長が作業するのが一番効率的ということになります。
今日はこれだけで一日が終わるかと思ったら、某社よりリスク案件が飛び込んで来て、夕方から出かけることになりました。さてさて、頭の回転を速めなければ・・・。

あけましておめでとうございます

P1020546今日から2016年の営業を開始しました。とは言っても、通勤電車は空いているし、お客様の会社はほとんどお仕事を始めていないし、半蔵門の街もガランとしています。こりゃあ仕事にならんわということで、午前中にすぐ裏の平河天満宮に社員一同で初詣をした後、早上がりとさせていただくことにしました。さあ、買い物でもしながら帰るかな?

今度一度・・・

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決して律儀な人間ではありませんが、一つ心がけていることがあります。
「一度ご一緒に・・・」
極めてあいまいな表現ですが、ビジネス社会にどっぷり身を置いている人たちには、
「近いうちに食事の機会を持ちましょう」あるいは「一杯やりましょう」という意味だとすぐ理解できます。
ただ飲み食いするだけではなく、お互いが持っている有用な情報を交換しましょうとか、仕事のやりとりができる可能性を探りましょうなどという含みもあります。もちろん利害に関係なく気の合う相手と楽しく一夜を過ごそうというお誘いであることも少なくありませんが。
ところがこの言葉は一種の外交辞令でもあって、実行に移されることがなくてもお互い目くじらを立てないという暗黙の諒解が成立しています。「じゃあ、また(もし機会があればでですが、お目にかかることもあるでしょう)」とほぼ同義です。
心がけているというのは、これを「外交辞令」にしないことです。自分から言葉をかけたら必ず実行する。それをここ何年かほぼ完遂しています。
となるといい加減なことは言えません。面白くなさそうな人、利害に関係ない人、気に入らない人などには絶対に声をかけません。極めて多忙であったり、エラ過ぎてこちらが相手にしてもらえそうにない人にも言いません。相手との距離感をより明確に認識する習慣ができたのは収穫でした。
相手の方から「今度一度」などと言われたときにどう対応するかも考えておく必要があります。この場合は受け身ですから、誘われるまでこちらからアクションを起こすことはまずありません。本気なのか外交辞令なのか妙に気になりますが、じっと待ちます。これまでのところ9割方は外交辞令であることが判明しました。気にするだけ損というものです。これももう一つの収穫と言えるかもしれません。〈kimi〉

理想的社員

東芝の「不正会計」に関する第三者委員会の報告を読みながら、四半世紀前に入社した会社のことを思い出しました。
その会社は当時、毎年の決算発表時に過大な業績予想を発表することで市場に知られていました。実現不能な数字ですから年度内に下方修正せざるを得ず、ウソつき会社という有り難くないニックネームまでつけられてしまいました。
当時の社内の状況はどうであったかと言えば、強いカリスマ性を持つ経営者が「来年はこのくらいはできるじゃろう」と数字を示すのに対して役員以下、誰一人として異議をはさむことができませんでした。「無理でしょう」などと言えば、「オマエはやる気がないのか」と左遷、降格、退社を覚悟しなければなりません。
しかし、できないものはできません。期が進むにしたがって実態が数字に表れ、下方修正せざるを得なくなります。いまから思えば、よくぞ粉飾決算に手を染めなかったものだと変な感心をしてしまいました。表面化することはもとより社内で噂さえありませんでした。まだまだ、かわいいウソつきだったようです。
そういう経験をしていると東芝社内の雰囲気がなんとなく想像できます。社員の胸にわだかまるあのくら~い気持。考えるのもいやになります。
芥川龍之介の『侏儒の言葉』に「兵卒」という項があります。
「理想的兵卒は苟(いやし)くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。即ち理想的兵卒はまず理性を失わなければならぬ。

理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。即ち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ。」
〈kimi〉

チームワークのできない人

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日本人はチームワークが得意。その反面、個人主義が根づかないともいわれています。
シュートチャンスなのにパスを出してしまうサッカー日本代表選手などを見ていると、むべなるかな。先のウズベキスタン戦で、柴崎のロングシュートを追っていた岡崎が確実にゴールを決めることができたのに、相手ディフェンスを岡崎がブロックして、柴崎のゴールにしたのもフォア・ザ・チーム。その結果として、柴崎は岡崎に感謝する。他のチームメイトも岡崎に敬意を払うようになる。チームの団結力が強まる。チームが強くなる。そのチームが大きな戦績を挙げれば、その一員としての柴崎にも岡崎にも利益がもたらされる。荒っぽく分析すれば、そのような考え方が日本人に定着しているということでしょう。サッカーチームはそっくり企業に当てはめることができます。
長年外資系、内資系企業で仕事をしてきた経験からチームワークの重要性は理解しているつもりです。しかし、チームワークだけを重視してきたわけでもありません。ときには独断専行もしました。それが成功したことも失敗したこともあります。だからチームを優先すべきか個人プレーを優先すべきか、どちらとも言い切れません。たぶん二者択一ではなく、その中間のどこかに最適解があるのでしょう。
しかし、断言できることが一つだけあります。一人ではできないことがチームならできることもある、ということです。
また、個人プレーしかできない人の多くはとても自己愛が強い、あるいは自分だけの利益を大切にしている、ということも断言はしませんがほぼ確実と考えています。このような人はチームのメンバーから嫌われ疎外されますから、必然的に個人プレーしかできなくなってしまいますが、そのような人がよい仕事をする例も決して少なくありません。
ところが、大きな組織に属していると、自分が組織というチームに属していることを忘れてしまうという現象がときに起こるようです。大組織の寛容さに甘えて、自分で好き勝手に動いているような気になってしまう。しかし所詮は「お釈迦様の手の上」に過ぎません。組織を離れてみれば、自分一人では何もできないことがわかるはずです・・・が、わらない人もいるということを言いたかったのであります。〈kimi〉

語り継ぐということ

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日本が敗戦して今年で70年。敗戦当時10歳だった子どもも80歳です。
NHKの特報首都圏を見ていたら、ノンフィクション作家の梯久美子さんが、65歳でも20歳(だったかな?)でも戦争を知らないということでは同じだ、という趣旨のコメントをしていました。卓見というべきでしょう。
近頃、日本が戦争をして敗れたという歴史をすっかり忘れたかのような政治や社会の動きが目立ちます。
いま65歳の人が10歳になったのは1960年。「60年安保」の年に重なります。日米安全保障条約への反対運動には、日本が起こした戦争に対する反省と再び戦争に巻き込まれたくないという国民の思いが背景にあったことは言うまでもありません。10歳の子どもにどれほど理解できていたのか疑問ではありますが、その意識になんらかの影響を与えたであろうことは間違いありません。さらにその後の10年、20年を生きて行く中で、戦争経験者から多くの実体験を聞く機会がありました。毎年12月と8月にメディアで大量に流される日中戦争や太平洋戦争に関する報道にも接し続けてきました。
いま20歳の人が10歳だったのは2005年。その2年前にはイラク戦争がありました。戦争体験者の数も少なくなっていました。65歳の人と20歳の人が接触した戦争に関する情報量には絶対的な差があるはずです。
衆議院議員の平均年齢は50数歳だそうです。毎年、あるいは選挙のたびに、過去の戦争に関する情報受信総量の少ない政治家が増えて行きます。現在の政治の流れはますます加速する可能性があります。
戦争体験を語り継ぐ大切さを折に触れてメディアは強調して来ました。それに現実感を覚えることなく過ごしてきましたが、いまになってその重要性を切実に感じるようになりました。戦後生まれの私たちには、決して語り継ぐことができないのですから。〈kimi〉

泣く子と地頭には勝てぬ

〈道理をもって争っても勝ち目のないことにいう。泣く子のききわけのないことを、鎌倉時代の地頭の横暴なことにかけていったもの。(広辞苑)〉
ある女性管理職は多くの成果を挙げてはいるのですが、しばしば理屈に合わないことを言い出します。部下でも上司でも、それに異を唱えると烈火のごとく怒り狂い、最後は泣き出してしまいます。とても手が着けられないので、やがて彼女に対しては、誰もが腫れ物に触るように接し始めました。上司はそれとなく逃げ、部下は黙って従いました。かくして彼女の部署は独裁者が支配する閉鎖社会となってしまったのでした。セクハラとかパワハラなどという言葉が生まれる以前の話です。
権力がどのようにして生まれるのか、フーコーをはじめ種々の難解な研究や考察があるものの、素朴に考えると「泣く子」と「地頭」の二要素に集約できそうな気がします。
泣く子はききわけがない、ということはいくら理屈を言っても通じないということです。しかし泣いている子を放っておくわけにも行きません。世のすべての権力者やワンマン経営者は理不尽なことを言い出します。「それでは整合性がとれません」などと抗議をしたところでなんの効果もありません。権力を持つ者は、それが無能力によるものか意志的なものかは別にして、理屈を理解する人間であってはならないのです。理不尽な命令だと思っても部下は無視できません。理屈を言い張って反発する部下には怒鳴りつけ、左遷させればよいのです。怒れば怒るほど権力は強化されます。居酒屋などで「彼は優秀なのだが物わかりがよすぎるんだよ」という出世の道を絶たれた同僚に対する人物評をしばしば耳にするのは、このことの裏返しです。
地頭は欲の塊です。自分の利益になることならどんな乱暴なことでも平気でする。それが強さです。「彼は欲がなさすぎるんだよ」という、これも居酒屋でよく耳にする人物評がその裏返しです。
欲は強ければ強いほど権力を補強するので、欲が弱いまま安易に理不尽なことを言い出すと、逆に権力を奪われる危険があります。泣く子と地頭は両者併せ持って初めて権力者となり得ます。
政治指導者から直属上司まで、行列のできるラーメン屋のオヤジから配偶者まで、上下左右じっくり観察してみてください。泣く子と地頭には勝てぬ、実に正鵠を得たことわざであることが理解できるはずです。〈kimi〉

Bookish atmosphere

「この本は面白いからぜひお読みなさい」と推薦されることほど迷惑なことはありません。本を読まないという人は論外として、一般に本は読み手の興味や関心によって選ばれるべきものであって、それ次第で面白いかつまらないかが決まります。義務や義理で読まされるのは教科書くらいにしてほしいものです。
ところが困ったものです。人生の残り時間が気になる年齢ともなると、自宅で大きな場所をとっている蔵書の行く末をどうしたものかと悩むようになるようです。息子も娘も本などに関心がない。ましてや親父が集めた古書など手に取る気はさらさらない。始末してから逝ってくれなどとイヤミの一つも言われかねません。読書家、蔵書家ほどこのような悩みは大きくなりますが、最近は学術書、思想書、文芸書などのお堅い本は古書店でもさっぱり売れないようで、紙屑としてならともかく、書籍として売り払うのは容易でないそうです。そこで、知り合いに少しずつ押しつけて身軽になろうという方法論を思いつく人が出て来ます。あの人ならこの本は喜ぶだろうと当て推量でお持ちくださるのですが、たいていはハズレます。
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先日いただいたのもその類で、パラパラとページをめくっただけで本棚に突っ込んでしまいましたが、当方のお粗末な蔵書も行く末が定かでないところに、またまた債務を背負わされた気分になりました。
世の中では整理整頓、断捨離などとモノを捨てる生活や収納の名人などが持て囃されているようです。それに異論はありませんが、本だけは別だという論者も少なくないようです。
そこで思い出したのが、大学の英文講読の時間に読まされた英国の文藝評論家ベネット(Enoch Arnold Bennett 1867-1931)のテキストにあったbookish atmosphereという言葉。人間の生活には本のある環境がとても大切だ、という意味のことが書かれていたと記憶しています。本を処分しない、あるいはできない言い訳に、この言葉はとても便利に使えそうです。しかし、やはり何の解決にもなりません。〈kimi〉

ホッピー談議

このところホッピーを飲む機会が増えました。理由は節酒です。若い頃のようには飲めなくなって、一定量を過ぎるとなんとなく身体がアルコールを拒否し始めるような感覚があります。そんなときにホッピーは便利な飲み物であることに気がつきました。
「ホッピー!」と注文すると、ホッピーだけが出てくるということはあり得ません。大きなグラスに氷と甲類焼酎を半分から三分の一ほど注いだものを伴って登場します。飲み屋では、ホッピー+焼酎+氷のセットではじめて「ホッピー」という商品となり得ます。そういう意味では極めて珍しい飲料です。
その大きなグラスにホッピーを注ぐのですが、その量は飲む方の自由に任されます。そこがポイントです。多めに割って、少し飲んだところでまた割るという動作を繰り返すと、薄めの焼酎をかなり長い時間をかけて飲むことができます。また、これもホッピーならではですが、「中だけ」と追加注文すると焼酎と氷を入れたグラスが、「外だけ」と注文すると瓶入りのホッピーが運ばれて来ます。ご存じの方には釈迦に説法ですが、これは日本中の飲み屋での「お約束」になっているようです。だから「外」だけを追加して行けば、いつかアルコールの成分は限りなく薄くなってしまい、酒を飲んでいるように見えながら実は清涼飲料水だけを飲んでいる、という状態になります。
ホッピー
そのホッピー、若いときにうまいと思ったことは一度もありませんでした。ビールの代用品でビールより安いという触れ込みでしたが、ビールとは似ても似つかない色つきの炭酸水でしかありません。妙な飲み物、胡散臭い飲み物といったイメージもつきまとっていました。
ところが、ある日突然と言ってもよいでしょう。メディアがホッピーを取り上げ始めた。何代目かの女性社長による戦略が効を奏したようで、ビールのまがい物から「ホッピー」という独自の飲み物へとポジションチェンジが図られました。プリン体が含まれていない健康によい飲料という訴求もされています。浅草には「ホッピー通り」まで出現しました。これは見事な成功事例です。
マーケティング広報のオリエンテーションなどで、この製品は他社品をフォローしたものなので、その代替になり得るという訴求をしてほしい、といった依頼を受けることがたまにあります。よくうかがってみると、他社品とは異なるストロングポイントがいくつかあるのですが、担当者はどうせ勝ち目はないとすっかり弱気です。ちょっと視点を変えてみたらどうですか、と提案してみても、弱気が会社全体のコンセンサスになっていると、ポジションチェンジは容易ではありません。
若いときはちっともうまいと感じられなかったホッピーですが、そんなあれこれを考えながら飲むとちょっとイケますよ。〈kimi〉