ワンマン道路

パシフィコ横浜で開かれた日本医療機器学会へ行くために、昨日、今日と久しぶりに東急東横線に乗りました。渋谷から横浜まで30分弱。目的地のみなとみらい駅まで30分ちょっと。速いですねえ。
車窓からぼんやり外を眺めていたら、一瞬、切り通しと幅の広い道路が見えました。そのとき「ワンマン道路」という言葉が不意に頭に浮かびました。
小学校だったか中学校だったか、バスで湘南方面に遠足に行くときには、その「ワンマン道路」を通ったのでした。吉田茂元首相が大磯から東京へ行くために、渋滞を嫌って作らせた道路というバスガイドさんの説明をいまも覚えています。大磯の旧邸は先日焼失してしまいましたね。あれは、どこの道路だったのだろうと、帰宅してからWikipediaで調べたら、横浜市戸塚区の柏尾町から原宿に至る国道1号のことだそうです。それなら東横線から見えるはずがありません。
それにしても、そんな公私混同が許されたのでしょうか。バスガイドさんの説明も、微笑ましい逸話という感じで、批判がましいニュアンスは感じられなかったように記憶します。
同じような話では、神楽坂の一方通行があります。午前中は北(神楽坂上)から南(飯田橋)へ、午後は南から北へと方向が変わります。田中角栄元首相が目白御殿から官邸まで、行きと帰りに都合のよいように決めたのだと、これはタクシーの運転手さんがニュースソースです。
露骨な利権や利益誘導とは少し違うのかもしれませんが、どちらも権力や特権によって公的なものを自分の都合のよいように動かしてしまったわけで、けしからん話じゃありませんか。その割りに批判されていないのは、それで一般の人も便利になったからかもしれません。
学会から帰ったら、民主党の新党首が決まっていました。お祖父さんの鳩山一郎元首相はどんなことをやったんでしょうね。ほとんど記憶がありません。〈kimi〉

川の流れのように

いつの頃からか、私は「世慣れた人間」と見られることが多くなりました。「世慣れた」という言葉には「清濁併せ呑む」ような、いやどちらかと言えば「濁をたくさん呑む」ようなイメージがあります。私に関してそれはまったくの誤解であると、ここで申し上げておきたい。
実は、仕事の上で初対面の方と名刺交換やご挨拶をしたりしているとき、「どうしてこんな大人っぽい挨拶ができるんだろうなあ」と自分を客観的に眺めているもう一人の自分の目に気づくことがあります。「いつからこんな世慣れたことができるようになったんだだろう」とも。おかしいかもしれませんが、私の内部には、いまだにオロオロしながら世の中を渡っているという感じがあるのです。
広報の仕事を長くしながら今日に至っているのですから、世の中に慣れていないということはありません。世の常識というものを知らなければ、この仕事はできません。それはそうなんですが、広報の仕事をしていると、同時に「世の正義」といったものを肌身に感じることも少なくありません。世慣れてはおりますが、青っぽいところもあるんですよ、こう見えても。
さて、神奈川県横浜市に生麦というところがあります。幕末、薩摩藩の島津久光の行列を馬上のイギリス人が妨げたとして、藩士が斬り殺した生麦事件の現場ですが、そのあたりから東京湾に注ぐ鶴見川という比較的大きな河川があります。以前は汚れきった濁流の川で、私などはいまだにそのイメージを持っています。最近はそれほどでもなくなったようですが、清流というにはほど遠い川です。その源流が、自宅からそれほど遠くない町田市にあることを今日偶然に知りました。幸い天気もよいので、思い立ってぶらりと(と言っても近くまでは車で行かなくてはなりません)そこまでに出かけて来ました。

鶴見川源流


この写真がその源流の池。地下から清水が湧き出ていました。その清らかな流れが、川崎市の北部を流れ、東名高速の市が尾ICの近くを通り、やがてJR横浜線に沿って流れて、鶴見総持寺から花月園競輪の脇を過ぎ、流れ流れて生麦に達して濁った川になる。いや、まったく人の一生に似ています。「川の流れのように」なんて美空ひばりの歌を思い出します。
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上の写真は、その源流付近の里山の風景です。このあたりは、朝日新聞「にほんの里100選」に、東京で唯一選ばれた「小野路」のすぐ近くでもあります。〈kimi〉

「新聞記者ってダメだな~」

産経新聞のサイト「msn産経ニュース」が、首相のぶらさがり取材をそのまま掲載するようになって、これが好評だったのでしょう、他の新聞サイトも同じようなことを始めました。インタビューの受け答えを考えるのに、これは大変参考になります。
今日は朝日新聞のサイト「asahi.com」で”ぶらさがり”のやりとりを読みましたが、本当にがっかりですね、いまの首相には。
イチロー選手の新記録に関する質問に対して、あぶさんの年を知っているかと逆質問していました。記者が答えられないと、「新聞記者ってダメだな~」だって。
日経だったでしょうか、何日か前に、今期限りで「あぶさんが引退する」という記事を書いていたように記憶しますが、あぶさんの年齢なんて政治部記者が知らなくても「ダメだなあ~」と言われる筋合いはありません。しかし、取材している政治部記者たちは怒らない。クライシスのときに集まってくる社会部記者はあんなに怒るのにねえ。ま、そのことは置いておいて・・・
企業のトップや重役の中にも、首相と同じように、親しい記者に逆質問をして、「新聞記者ってダメだな~」などと発言する人がときどきいます。これは絶対にやめた方がよい。広報担当者として立ち会っていて、これをやられると、本当に参ってしまいます。突然の発言なので止められません。
新聞記者の質問は原則として、社長なら社長の立場としての回答や意見を求めるものです。それには何らかの回答をする必要があります。事情があって、「お答えできません」と言うのも、印象の善し悪しは別にして、仕方のない場合もあります。しかし、その企業の経営者として、常識的に知っているべき事柄について知らなければ、記者は「社長ってダメだなあ~」とも言わずに、単に軽蔑するだけです。そして新聞社に帰ってからデスクに言います。「あの社長って、ダメかも~」
インタビューを受けている社長は、それを本能的に感知しているので、いつ自分の知らないことを聞かれるのではないかとビクビクしながら質問を受けています。だから、少し余裕ができると、つい首相と同じことをしてしまうのでしょう。
記者は、知らないから取材をしているのですから、知らなくても一向に構わないのです。「知らないから教えてください」と逆再質問をすればよいだけです。
もう一つの問題は、社長が記者を見下していることです。企業経営者に比べれば、一般に取材記者ははるかに若い。人生経験も未熟です。つい自分の会社の若手社員と話しているような気分になってしまうのでしょう。これも大きな間違い。記者は他社の人、社会の人です。バカにしたらよい記事を書いてくれるか、と言えばまったく正反対です。
いまの首相の大間違いは、記者との質疑応答が、首相と国民との質疑応答であるという意識をまったく持っていないところにあります。近頃、敵失で支持率が上がっているそうですが、このような点だけをとっても、この人で本当にいいんだろうか、と思ってしまいます。〈kimi〉

医療政策を勉強する

先週から毎週金曜日、「安心と信頼の医療・福祉のデザインー医療・福祉ジャーナリズムの視点からの考察ー」という長い長いタイトルの講座に出席することにしました。国際医療福祉大学大学院が讀賣新聞とタイアップして開いている特別講座です。医療広報を専門としている以上、こういうところにも積極的に出席して勉強しておかなくっちゃ仕事になりません。
というわけで出席してみると、会場には大手製薬会社の広報部長さんの顔がいくつも見えます。みんな勉強家だなあ、とも思いますけど、讀賣新聞の医療情報部や社会保障部の現役・OB記者がずらりと講師陣に名を連ねているのですから、その下心は知れています。私自身も、そうではないとは言いませんが、広報・IRコンサルタントとして仕事をしていると、日本の医療の本質的な問題をもっと理解しておきたいという気持が、企業の広報室長としていたときよりはるかに強くなってきました。
第1回のゲストスピーカーは元厚労省医政局長で副学長の岩尾総一郎氏でした。医療行政に関わってこられた実体験談など、有益なお話がたくさんありましたが、会場からの「政策をつくっているキーマンは誰か」という質問に、「役所は合議制なので、課長代理あたりから提案が上がって来る」と答えられたのには、なるほどと思い当たりました。
このところ仕事上の必要から、厚労省や経産省の方々とお話する機会が増えましたが、民間からの具体的な提案に対して、課長代理クラスの行政官のみなさんが予想以上に関心を持ってくれます。
吉村仁元厚生省事務次官が1983年に唱えた「医療費亡国論」が日本の医療行政に大きな影響を与え、四半世紀近くもこの発想に縛られ医療費抑制政策が続いてきました。ところが現在の経済危機を乗り切るための補正予算が連発されるようになって、いま状況は大きく変わってきました。岩尾氏によれば、すでに「医療費亡国論」の影響はなくなっているのではないか、とのことでした。
民間の提案への許容度が高くなったのも、そのためなのかもしれませんが、その場しのぎの予算執行のアイデアだけではなく、将来につながる制度改革の提案を業界もしなければならないし、政策立案者の側もそれをしっかりと受け止めてほしいものです。〈kimi〉

本社内って?

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昨日はうららかなよい天気。満開の桜の下の千鳥ヶ淵公園で見つけました。
花見の場所取りのためにガムテープで囲って占有を宣言。それにしても「本社内」とは何ぞや? どこの会社の本社だ?
いやはや企業で生きるってことは・・・以下コメントする気なし。〈kimi〉

短気じゃないんですけど

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自宅の近所で撮った今日の桜です。都心より少し遅いようで、まだ9分咲きといったところ。
実は、4月初めというこの季節が私はちょっと苦手です。
そのわけは新人の季節だからです。新入社員や新入生など、新しい環境に身を置くことになった人たちが突然大量に街にあふれ出てきます。その人たちが、街角でも駅でも電車の中でも一斉にマゴマゴしています。慣れない通勤・通学ルートに戸惑っています。新入社員教育の会場への道を地図を見ながら探しています。新しい仲間ともまだ互いの気心が知れないので、グループで移動するにも統制がとれずに右往左往しています。自分だってはるか昔にはそんなときがあったに違いありませんが、しかし歩きにくいったらありゃしない。なかなか前へ進めないと、私の瞳の中にイライラの炎がともります。
私はとくに短気ではないつもりですが、「前へ進めない状態」というストレスには滅法弱いのです。
同じように前に進めなくてイライラの炎が燃えるのは、要領を得ない話し方をする人に出会ったときです。
要領を得ない話し方にも2種類あって、一つは、何を言おうとしているのか最後の最後までわからない人。もう一つは、何を言いたいのか、相手はすぐに理解したのに、なおもクドクドと説明を続ける人。どちらも話が長い。
こういう方々の多くは几帳面な性格をお持ちのようです。きっちりと初めから終わりまで話さないと気がすまない。枝葉まで説明しないと気がすまない。不正確な表現があっては気がすまない。話し洩れがあっては気がすまない。相手に誤解を生じては気がすまない、などなどなど。
また、この手の方は、話しを途中で遮られることをとても嫌うようです。最後までとにかく話させてほしいという気持が伝わってきます。その長い長いお話が終わると、ホットした顔をされます。誠にご苦労様なことですが、「結論を先に言ってくださいよ」とか「わかったわかった」などとは決して言わずに聞いているこちらも誠に苦痛であります。
繰り返しますが、私は短気ではありません。ただ人間的にまだ修養が足りないんでしょうね、きっと。 〈kimi〉

トップの椅子


この季節、連日新聞にトップの交代が報じられています。企業にとって、トップ交代は最大のイベント。広報も発表準備に神経を使い、発表後はトップインタビューが続いて気が抜けません。そんな経験を思い出すだけで、その頃の疲労感が甦ってきます。
さて、そのトップになった人たち。なり立てはいたって殊勝なものです。いくら威厳を取り繕おうとしても、「どうぞよろしくお引き立てを願います」といったところがチラチラ見えます。それが2年たち4年たち、もう1期やろうかという頃になると、そこはかとなくカリスマ性を備えてきます。周囲は腫れ物にも触るように、トップに接するようになります。
その象徴は椅子に表れる、ということに最近気がつきました。執務室の立派な革張りチェアのことではありません。会議室や応接室の席のことです。役員会などでは、出席者は会議机の長辺に並んで座り、チェアマンは短辺に席を占めることが多いようです。そのうち、その短辺の席はトップ本人以外は座らなくなります。トップの加わらない打ち合わせでも、その席だけは空席で残されます。畏れ多い、といった気持でしょうか、そこに座ると叱られるとでも思うのでしょうか。応接室も同様です。たいていトップの座る椅子は決まっています。その席には副社長も座らなくなります。
そうなったときにワンマン化が始まり、やがて独裁経営となり、ついには老害経営となります。
このようなことは外資系の企業ではほとんど見られません。つい先ほどまで社長が座っていた椅子に平社員が平気で座っています。日本人と欧米人との考え方の違いと言ってしまえばそれまでですが、このような企業文化の違いは、企業経営のいろいろな面に表れてくるようです。どんなところに表れるか・・・たくさんあって、今日はとても書く気になれません。いずれまた。
写真は自宅近所の桜です。このところの寒さでまだ一分咲き。〈kimi〉

欺されました

新聞の書評を参考にして本を買うようになったのは、40歳を過ぎた頃からでしょうか。
学生時代は、大学近くの古本屋街で、毎日のように棚を眺めながら帰りました。自分が関心を持っている領域なら、どの店のどこの棚にどんな本があって、それがいつ売れたかまで、だいたい頭に入っていたものです。一冊読めば、次に読みたい本や読むべき本の見当がおおよそつきます。そうやってチェーンのように読み続けました。チェーンスモーカーならぬチェーンリーダーです。
ところがだんだん毎日の帰りが遅くなってきて、たまに書店に立ち寄ってもじっくり棚を眺める体力と気力と時間がなくなってきました。読みたい本はいろいろあっても、どこから手をつけたらいいのかわからなくなりました。そこで、それまで半分バカにしていた新聞の書評に頼ることになったのです。
近頃の新聞には、毎週掲載される権威がましい書評欄のほかに、気軽に読める本を紹介するメージが設けられています。これから述べることは批判というか悪口なので新聞名は伏せますが、何週間か前のある新聞のそのようなページに、ある時代小説が紹介されていたのです。書名まで伏せてしまったら、何のことやらさっぱりわからないでしょうが、お許しください。広報を仕事をしている以上、新聞社にはイイ顔をしておかなくてはなりません。
で、そのページの評者である文芸評論家によりますと、「これまで推薦文を書いた本の書評は控えることにしていたが、はじめてその禁を破る。それほどにこの一巻は素晴らしい」ということです。これ以上の絶賛はありません。数日後にAmazonに発注しようとしたら、なんと品切れです。売れているようです。これなら書評は本物だと思って、ますます読みたくなりました。数週間後にもまだ品切れ。そこで都心の大書店までわざわざ出向いて増刷版を入手しました。
読んでがっかり。プロットの流れに無理があって、半ばあたりではストーリー展開に汲々としているのがミエミエです。登場人物の描き方も平板で、人物像が浮かび上がって来ません。帯に「愛する藤沢周平に捧げた渾身の一巻」とありましたが、天国の藤沢さんもさぞかし迷惑されておられることでしょう。信用できませんな、この文芸評論家。
これまで書評を参考にして失敗したことはあまりなかったのです。書評を読めば、私が関心を持って読める本か、どの程度のレベルの本かなど、おおよそ見当がつくものです。しかし今度ばかりは失敗でした。手放しの絶賛ほど胡散臭いものはないと気づくべきでした。広報の仕事を長くやっているのですから、そのくらいのことはわきまえていなければなりません。欺される私が悪い。しかし、いまいましいなあ、本当に。〈kimi〉

ゴロゴロ考

日頃持ち歩いているビジネスバッグは、PCを持ち運ぶことを前提にクッションが入っていたり、小物を上手に収められるポケットがついていたりします。ところが、いざPCを持って行く必要が生じると、ついキャスター付きのバッグを持ち出してしまいます。
PC仕様のビジネスバッグは空でもそれなりの重量があります。その上にPCと小物の重量約2kgが加わると、私にはとても重く感じられるんです。
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キャスターつきのバッグは、ゴロゴロころがしている分には実に楽ちんです。ところが階段ではハンドルを畳んで手に持たざるを得ません。都心には意外に階段が多いんですね。そのたびに車輪とハンドルでより重いバッグを手に持つことになってしまいます。ベビーカーなら親切な人が助けてくれる可能性がありますが、キャスターつきバッグには助っ人は現れません。また、ゴロゴロやっているときも、後を歩いている人にぶつけないように常に注意しなければいけませんし、自動改札を通るときもひっかけないように操作しなければなりません。これが意外に疲れるんです。さあ、どっちが得かよ~く考えてみよう、です。
電車で東京駅に近づくと、だんだんキャスターつきのスーツケースを持つ人が増えてきます。成田空港行きの特急に乗ったら、ほぼ全員がキャスターつきです。海外旅行に必要なあれこれを詰め込んだ重いボストンバッグを手で持つというのは、いまや“あり得ないこと”になってしまったようです。
海外旅行なら迷わずキャスターつき。国内旅行でもメリットは多い。しかし、都心の移動なら、重さと総移動距離のバランスで選択するのが賢い人なんでしょう。
そうは言っても、ゴロゴロの魅力は捨てがたいものがあります。坂の多い町でも自転車に乗る人が少なくないのと同じことなのかもしれませんね。〈kimi〉

切られた!

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どういう経緯でこうなっちまったのでしょうか。近くに梅林があるで、この切り株は梅の木かもしれません。東京郊外の某市にて。〈kimi〉