どうして日本人は兵站を軽視するのか

被災地のみなさんにはまだ必要な物資が十分届けられていないようです。もどかしい限りです。やむを得ない事情もあるのでしょうが、たてまえ主義や形式主義や官僚主義によって物事が進まないということもきっとあるに違いありません。それを考えると腹立たしい限りです。
そんな中で、福島第一原発で作業に当たっている人たちの食事が1日2回で雑魚寝状態であると、数日前に報じられていました。その後、改善されているでしょうか。
腹が減っては戦ができぬと昔から言われています。当たり前のことです。しかし、目の前に任務や仕事があると寝食を忘れてそれに取り組むことが善であるという観念が日本人からはどうしても抜けないようです。それが日中・太平洋戦争での兵站軽視につながっていて、いまの福島第一原発にまでつながっていると考えると、これはもう日本人の宿痾としか考えられません。長期戦では、マンパワーが途切れることなく最大限に発揮できるようにすることこそが勝利への最重要課題でしょう。
先日ご紹介した『広報の基本』は産業編集センター刊「企業広報ブック」シリーズの第一巻ですが、その第六巻は危機管理広報に長い経験をお持ちの田中正博さんによる『クライシス・コミュニケーション』です。その中で田中さんは、クライシス発生時の備えとして次のように書いておられます。
「対策本部には常時、いろいろな社内の要人が出入りする一方、常時、在席しなければならない経営陣、管理職、担当者がいます。こうした人たちのために飲料と食事、あるいはドリンク剤は欠かせません。人数が多くなれば意外と多量の飲食料が必要になります。それを保管するための冷蔵庫が必要です。とりわけ、食事は重要です。長期対応に備え、食事は簡単な弁当では済みません。モラール(士気)に影響します。多少、値がはってもおいしい仕出し弁当にしておくことが肝要です」
これを読んで、「なんだつまらないことを書いている」と思った人は直ちに対策本部から出て行っていただきたい。私はこの指摘に大いに共感いたしました。〈kimi〉

社会との良好な関係を築く『広報の基本』

kouhounokihon.jpg
こんなときにタイミングがよいのか悪いのか。ココノッツの企業サイトのトップページ“What’s New”でもご紹介しましたが、さる3月18日に、「社会との良好な関係を築く 広報の基本」(産業編集センター刊、定価1,360円税込) を上梓しました。その『あとがき』から数行を引用いたします。
「一流企業と呼ばれる一部の大企業で広報活動が活発に行われているのは間違いありません。マーケティングと連動した商品広報もにぎやかに進められています。ネット広報も盛んです。にもかかわらず、予期せぬクライシスに見舞われると、それまでは自信満々に展開していた広報活動や情報開示に対する企業姿勢がどこかに隠れてしまい、稚拙なコミュニケーションで世界中から非難を浴びてしまう。そのような「一流企業」の姿を私たちはしばしば目にします。企業の本質の部分に、広報はまだ根付いていないのではないでしょうか。」
もちろん今回の大震災の起こるはるか以前に書いたものです。〈kimi〉

結論を先に言いなさい!

こういう複合危機状況の中では、書きたいことは山ほどあれど、書くべきことと、いま書いてはならないことが複雑にからみあっています。危機を脱しようとすべての人が努力していると信じたい。そのようなときに、揶揄したり批判したりすることは慎みたいという気持が働きます。つまりはブログが書きにくい。
政府、役所、企業などの記者会見がこのように連日テレビ中継されるなんてことは、極めてまれなことです。危機管理広報の実例を毎日勉強させられているようなものです。
書きにくいけど、気がついたことをいま一つだけ書いておきます。
緊急記者会見では結論を先に述べるべきです。
国民のすべてが、いまどうなっているのかを知りたい。何をやって、どうなっているのかを知りたい。それをまずアナウンスすべきです。そのあとで、「というのは・・・」と背景説明をしてほしい。テレビ中継されている記者会見で、報道資料の説明など後回しにすべきです。そんな単純なことがどうしてわからないのか。そのことに毎日イラだっています。〈kimi〉

情報のレセプター

さる休日、友人たちと東京を散策するつもりで、昼前に山手線の某駅を出発しました。
歩き始めるとほどなく、幕末の歴史に必ず登場する人物のお墓があるという道標を見つけました。ついでだからと寄ってみることにしました。
目的のお墓に近づくと、初老の男性が一人立っていて、意味ありげな視線を私たちに送っています。男の帽子には、これも幕末に活躍した人物の名が縫い付けてあります。気になりながらも、その前を通り過ぎてお墓の前に着きました。
「この人、お妾さんが大勢いたんだよなあ」などとお墓の下の人について無責任なことを話していると突然、「このお墓、ちょっとおかしいと思いませんか?」と後ろから大きな声がしました。その男です。
私たちが何も答える前に男は、その墓がいかに尋常と異なるかということを滔々と説明し出しました。これが長い。中身は省略しますが、やがて同じ説明の繰り返しになってきました。
悪いことをしようとしているようではありません。お金をとるわけでもない。しかし、男の説明を聞いているうちに、一刻も早くその場を立ち去りたい気分になってきました。
これから先は憶測に過ぎませんが、男は歴史好きの勉強家であるようです。自分の知り得た知識や驚きを、他の人にも伝えたい。しかもできるだけ多くの人に伝えたい。そういう熱意が話し方に表れています。しかし、一介の市井人にはカルチャーセンターの講師になる道もなく、雑誌から原稿を依頼される機会も訪れません。思いが余って、このような行動をとらせているのではないか、と勝手に想像しました。もしそうなら、その気持ちはとてもよくわかる。しかし、そこはかとなく悲しい。それが、居たたまれなくなった原因です。
これは広報活動の一面をも示しているような気がします。伝えたいことはたくさんある。どうしても伝えたい。その気持があふれるほどあっても、聞きたいと思っていない人の耳には入りません。よく効くと言われる薬でも、患者さんにレセプター(受容体)がなければ効かないのです。話を受け入れてもらうためには、レセプターを用意してもらうための前段階が必要です。唐突な情報伝達は、成功確率が低いと言えます。
残念ながら、その男の話に対するレセプターをそのときの私は持っていなかったのでありました。〈kimi〉

取引上の関係について

医薬品や医療機器のビジネスに、他の業界から入った人たちが等しく感じることは、顧客である医師との関係が、一般の取引関係とは明らかに異なっているということです。売り手と買い手の間に立場の違いがあるのは当然ですが、社会的地位の違い、ときには人間の価値の違いまで想起させるような極端な上下関係は、やはり奇異なことと言ってよいでしょう。
少なくとも1960年代まで、製薬会社の営業社員(当時はプロパーと呼ばれていました)が開業医の奥さんから買い物を頼まれることは決して珍しくありませんでした。そんな名残がいまに続いていて、MR(医薬情報担当者と呼ばれる営業社員をいまはMedical Representativeと呼びます)を一度でも経験したことのある人は、医師の前では無意識に揉み手をして頭が下がってしまう。そんな光景を実際に何度も目撃しています。
さて、最近気づいたのは、PR会社と取引先との関係です。これが隣接分野であるIRの支援会社と取引先との関係に比べて少々違いがあるようなのです。
端的に言ってしまえば、多くの企業はIR支援会社にはアドバイスを求めるのに対して、PR会社には指示をする、というカンジです。
資本市場というのは、一般の事業会社には理解しにくいところがあります。アナリストはどのような考え方をするのか。ファンドマネージャーはどんな企業を評価するのか。上手にIRをするにはどうしたらよいのか。それやこれや、IR支援会社の意見を求めることが多いようです。それを受けて「こういう発表に仕方はよろしくありません」といった助言が日常的に行われています。
それに対してPR会社には、新製品のパブリシティの提案を持ってくるように、とか、○月○日に発表を行うから用意をするように、といったご注文が多いように思います。これはアドバイスを求めているということではありません。PR会社の方から「御社のそういうやり方はマズイですよ」なんて、なかなか言いにくいのがPRの世界です。実際、そのようなアドバイスを差し上げて、仕事がなくなってしまったことがあります。
このような相違が生じたことにはPR会社の方にも責任があるようです。日本にPR会社が生まれてからこの方、しっかりと企業にアドバイスできるだけの専門性をどこまで蓄積してきたか、ということです。もちろんソリューションで成果を挙げておられるPR会社も存在しますが、まだまだ少数派です。
広報のコンサルテーションを掲げる弊社としても、自戒を込めて今後の課題にしたいと思います。〈kimi〉

なんとかならないか年頭の辞

年明け早々の新聞には、企業トップの年頭の辞が並びます。これは企業広報の年中行事の一つで、暮れから原稿を用意して、新年最初の営業日にリリースします。近頃は年内に原稿をくれと担当記者から要請されることも多くなりました。なんだか年賀状のようです。
この年頭の辞って、いったい誰が読むんでしょうね。
社員:意欲のある社員はきっと目を通すでしょう。でも、これって社内にも流れる社長訓辞のサマリーですよ。新聞で読む必要は必ずしもありません。
取引先企業や銀行:この人たちは読みます。年始の挨拶に行ったとき、「社長、さすがにいいことを言わはりますなあ」なんて、ゴマをするネタにうってつけです。
競合会社:一応目を通すでしょう。おっ、あそこは今年やる気だなあ、なんてことがわかるかもしれません。
そのほかに、どんな方々が読むのか想像がつきませんが、各社のトップの言葉を読んでいると、毎年決まって登場する常套句に気づきます。「今年は厳しい」、「変化に対応」、「発想の転換」、この3つです。
どうも日本のトップは、キビしいキビしいと言っていないと気が安まらないらしい。後年振り返ってみれば、厳しくなかった年もあるはずで、そんな年に「キビしい」と発言したトップは現状認識が甘かったと批判されるべきでしょう。ぜひそのような覚悟の上で「キビしい」と言っていただきたい。
「変化に対応しなくてはいけない」というフレーズは、10年ほど前からしばしば耳にするようになりました。これには、小泉元首相が所信表明演説で引用した「この世に生き残る生き物は、力の強いものでも頭のいいものでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という『ダーウィンの言葉』が付け加えられることが多いようです。ネットサイトによると『種の起源』にはこんな記述はないそうですが、なかなかよくできた警句ではあります。
「発想の転換」も聞き飽きました。毎年毎年発想の転換をしていたら、そのうち元の発想に戻ってしまわないかと心配になってきます。「発想の転換」と叫ぶトップの発想の方を転換した方がずっと御利益がありそうです。
すべてとは申しませんが、陳腐でおざなりな年頭の辞が多くて、新聞の読者としては面白くありません。そんなことは十分承知しております、と各社の広報担当者の方々はおっしゃるでしょう。切れ味鋭い年頭の辞を発表したいと思っても、トップ自身がそのように考えていなかったらどうにもなりません。広報各位のご苦労が忍ばれます。〈kimi〉

スピーチを磨きましょう

企業やPRエージェンシーがこの1年間に行った広報活動を発表し、それを審査して表彰しようという催しが先日開かれました。
他社がどのような広報活動を展開しているのかを学ぶよい機会でもありますし、そのプレゼンテーションにも興味があります。お手並み拝見、というよりも勉強させていただこうという下心、いや殊勝な心で見学させていただきました。
審査委員ではないので発表された広報活動の中身についての感想は控えさせていただきますが、さすがにPRエージェンシー各社のパワーポイントの出来はすばらしく、プロの仕事だとすっかり感心してしまいました。
広報を仕事にしている人にとって、プレゼンテーションとても重要です。とくに広告代理店やPRエージェンシーにおいては、その出来不出来は直接業績に影響します。弊社もプレゼンテーションの資料づくりには頭を悩ますとともに最大の努力を払っているところであります。
しかし、少し違和感も感じました。スピーチのお粗末さです。ほとんどの発表者が原稿を読んでいました。棒読みとまでは申しませんが、単に読み上げているだけなのです。プレゼンテーションにおけるスピーチになっていません。これには正直がっかりしてしまいました。
企業の広報担当者やPRエージェンシーの担当者は、プレゼンテーションの専門家であるべきだ、というのが自分を棚に上げての持論です。プレゼンテーションの成否は、パワーポイントの出来もさることながら、プレゼンターのスピーチに負うところが大きいのは言うまでもありません。しかし、日本人が最も苦手にしているところがまさにそこなのです。
パワーポイントのスライドのレベルを上げるのは、デザイナーの力も借りれば比較的容易かもしれませんが、スピーチに関してはおいそれとは上手にはなれません。トレーニングあるのみです。メディアトレーニングなどを業務にしているPRエージェンシーのみなさんも、自身のトレーニングにまで手が回っていないのでしょう。それではいけない、と自戒を含めて思ったのでありました。〈kimi〉

成功事例と企業理念

危機管理広報の成功事例と言えば、昔もいまもジョンソン&ジョンソン社の「タイレノール事件」が引き合いに出されます。あれは1982年のこと。すでに30年になんなんとしています。「いまさらタイレノール事件でもないでしょう」という発言を先週末の日本広報学会で耳にしました。誠にその通り。もっとフレッシュな事例を集めて広報にたずさわる人たちが共有できれば、それに越したことはありません。
しかし、タイレノール事件の事例がこれほどまでに共有されるようになったのには、それなりの理由がありそうです。私が注目するのは、
1.トップによる強いリーダーシップ
2.積極的な情報公開
3.コストを顧みない素早い製品回収
の3点です。ひと言で言ってしまえば「すぐれたガバナンス」ということになりますが、これらの3点に集約できることが、その後のモデルケースとなり得た要因であると考えています。
このケースの成功要因として、しばしば同社がOur Credoというよき企業理念を持っていたからだと言われます。しかし、それはいかがなものでしょうか。やはりすぐれたトップのすぐれたリーダーシップに帰せられるのではないか、今日の新聞を読みながら、改めてそう思ったところです。〈kimi〉

新聞はクラスメディアかも

このところ必要があって、マスメディアについて調べています。より正確に言えば、マスメディアの衰退に関する本をいくつか読んでみたのです。
新聞の衰退に関しては、若者の活字離れと、その若者たちを吸収しているインターネットの隆盛、というのが共通して指摘される原因です。なるほど、とは思うのですが、それだけでもないような気がしていました。
そんな折り、卓見というべき一文を発見しました。朝毎日経が、本来の目的を隠すため・・・かどうか知りませんが、共同で運営している「新s あらたにす」という妙な名前のサイト。その中で唯一読むに足るコラムである『新聞案内人』にそれがありました。筆者はコラムニストの歌田明弘さん。タイトルは「『おじさん記者モード』からの脱出を」。詳しくは原文を読んでいただくとして、その趣旨は、政治、経済記事などはおじさん記者ばかりが書いているし、座談会に出るのもおじさんばかり。もっと若い読者と感覚的に近い若い記者にやらせたらどうか、というもの。
そう言われてみれば、いまの新聞はいかにも中高年好み。意図してはいないのだろうけど、ターゲットをおじさん、おばさん層に絞ったクラスメディアと言えないこともないなあ。〈kimi〉

「暮らしの手帖」の現在価値

今週の「週刊東洋経済」(7/17)に、暮らしの手帖社社主大橋鎮子さんのインタビューが掲載されていました。「暮らしの手帖」、数十年前なら広報関係者が毎号、多少の緊張感とともにチェックしていた雑誌です。
以前勤めていた会社の当時の主力製品は、この「暮らしの手帖」の商品テストに取り上げられ、評価されたことで市民権を得て売上げを大きく伸ばしました。それは会社の「伝説」と化し、社史にも掲載されました。
それから何年か経ち、その製品に対して世の中にアゲインストの風が吹き始めました。そんな折り、暮らしの手帖社から、新型となっていたその製品を再び商品テストすると伝えられました。
広報担当者の私は、製品について正しい内容を知っていただこうと、暮らしの手帖社に何度も足を運びました。あのときも夏でした。当時の編集部は六本木駅から少々の距離にあって、汗をふきふき歩いたことを思い出します。
出版社とは思えぬ西洋仕舞た屋風の社屋、リビングのようなインテリアと家具。いかにも「暮らしの手帖」の精神を表現しているようにも思えました。
成熟した商品経済の世に、「暮らしの手帖」の商品テストは消費者の関心を呼ばなくなり、その役目を終えたようです。しかし一方、いまの消費者は、ネットのクチコミなどを参照して、事前に商品情報を得てから購入行動に移ると言われています。あの商品テストは、現在にこそ価値があるような気がするのですが、時代との皮肉なミスマッチとなってしまったのでしょうか。〈kimi〉