今日は、3回目の国立精神・神経医療研究センター(NCNP)メディア塾が開催されました。参加された記者・ジャーナリストは30数名。医療ジャーナリストの間ではすでの定着したと言えるでしょう。国レベルでも評価が高いとのことで、発案者としてはうれしい限りです。
一昨年の第1回は企画から運営まで、あれこれお手伝いしましたが、徐々に主催者側スタッフのみなさんが自律的に進めてくださるようになってきました。これもうれしいことです。が、ちょっとさびしいような気もしないではありません。これが私たちのような仕事の宿命なのでしょうね。
病院の広報担当者は
先日来、依頼を受けて病院向けの広報講座のコンテンツを考えています。あらかたは出来上がったのですが、一つだけ「広報担当者の役割」をどのように説明しようかというところで悩んでしまいました。企業の広報担当者の仕事に関してはいくらでもお話できるのですが、病院となると少し事情が異なるようです。
遅れていると言ってしまえばそれまでですが、50年前の企業広報の状況とも異なります。どちらかと言えば市役所、区役所のそれに近い。担当者のマインドには学校のクラブ活動のようなところもある。それでいて、運営者からは受診患者数の増加を強く求められていて、プロモーションとの境があいまい。そのような状況のまま、もちろん進化している部分もあり勉強や研究も進んでいる。
と、まあそんなところなんですが、それだけに「どうしたもんじゃろのう」と悩んでおります。
ブランドバラバラ
必要があってこのところ「ブランド」について勉強し直しています。手持ちの書籍を読み直し、ネットも検索して再認識したことは、少なくとも日本ではブランドの概念が十分定まっていないということです。実際に解釈はバラバラ、説明もいろいろなのです。共通しているのは、D.A.アーカーの引き写しの部分だけだと言ってよいでしょう。
こんなことを言うと大学の先生あたりから馬鹿にされてしまいそうですが、そもそもアーカー先生の記述がわかりにくい。原著は読んでいないので翻訳の責任かもしれませんが、あの書き方ではすんなり理解できません。だからみんな勝手に解釈している。たとえば「取引のテコ」という表現。だれも日本人にわかりやすいように説明できていません。
こんな混乱した状況のままブランドを語っていては、日本企業のブランドエクイティを確立するのは難しいのではないかと危惧してしまいます。
だったりします
リリースのつくりかたに関する記事を読んでいたら、「メディアに届けるリリースの存在がとても大事だったりします」という文章に出くわしました。「だったりします」ねえ。いま流でしょうか。さらに読み進むと、「究極で言うと、・・・」というのにも出くわしました。これ、日本語ではないでしょう。こんな人にリリースの作成を頼んだら大変だなあ、と思いながらさらに読み進むと、自分ではリリースを書かずにライターさんい書いてもらうとありました。それならいいか? 記事全体で言っていることは間違っているとは思いませんが、私なら、この人からリリースに関するアドバイスは受けたくないですね。もちろん個人的な感想だったりしますが(^O^)。
もやもや
エビデンスのない治療法のお手伝いはいたしません
今日の毎日新聞に生活報道部の小島正美さんが、「『水素水』論争に向けて」という記事を書いています。中見出しには「『エセ科学』とは言えない」とも。水素水擁護の記事かと思いましたが、そうではなく冷静に現状を追ったよい記事でした。水素が生体に影響を及ぼすことは明らかになりつつあるが、水素水が身体によいというエビデンスはない、ということらしい。
病気の治療には、エビデンスのある標準治療が第一選択になるのは当然であって、自分が治療を受けるときもインフォームドコンセントを受けた上で標準治療を選択しました。ところが、まれにはエビデンスはまだないが確かに効果がある、という治療法が存在することも否定できません。否定はしませんが、エビデンスが確立していない治療法だけをどれもこれも信じると、逆に奏効率は低下するはずです。これは統計の常識であり、だからこそエビデンスがないということにもなります。
そういうわけで、弊社ではエビデンスが確立していない治療法の広報活動はお手伝いいたしません。
明るくなったなあ
この時期、広報セミナーのスケジュールが少々たて込みます。2時間ほど立ったままでしゃべり続け、終わると名刺交換で1時間。足が棒になります。泊まりがけもあるので時間もとられます。しかし、嫌な仕事ではありません。
講義後の名刺交換というのは、記者会見後のぶらさがり取材と同じようなもので、個別の質問に答える時間でもあります。さまざまな質問を次から次へ受けますが、こちらにとっても、最近の広報事情を知るよい機会になるからです。
多種多様な企業から集まる広報担当者さんのお話を聞いていると、彼らの悩みはちっとも変わらないなあと思う一方で、ずいぶん明るくなったなあとも感じます。一昔前は、会社と社会との板挟みといった悲壮感を漂わせる方が少なからずいましたが、いまはほとんどいません。なぜなんでしょうね。理由はよくわかりません。
疲れるなあ、立ち会いは
今日は久しぶりに取材の立ち会い。
新製品に関するパブリシティのご相談を受けて、これはすごい!と瞬間的に感じることはほとんどありません。正直なところ、「なんか地味な商品だなあ」というのが第一印象で、市場の状況やら背景やらをうかがって行くうちに、「わりと面白いんじゃないかなあ」と思えてくるというのが普通です。今日の商品もまさにそれ。
取材に来ていただくために、記者さんに「こんな新製品なのですが」と説明したのですが、これが責任重大。こちらの話し方次第で取材の可否が決まってしまいます。取材に来ていただいてからも、会社の担当者さんの説明にどのように反応するか、ずっと気を揉みながら見守っておりました。
幸い今日は説明が進むにつれて記者さんがノッてきたのが伝わって来たのでホッとしました。取材の立ち会いは本当に気疲れしますね。
アリ地獄会見
こういう記者会見もあるのだなあ、と勉強になりました。5月20日の舛添都知事の記者会見です。
自ら考えたのか弁護士のアドバイスに従ったのか、「第三者に調査を依頼する」で押し通して時間稼ぎに出たのでしょうが、その言葉を繰り返すたびにどんどんアリ地獄にはまって行くように見えました。そういうことなら会見を開かない方がいい。しかし、知事の定例記者会見なので回避するわけには行きません。ニッチもサッチも行かなくなった窮余の策だったのかもしれません。
このようなとき、広報を専門とする者としてどうアドバイスすべきか。考えれば考えるほど難しくなりますが、ここはやはり原点に戻ることを進言すべきかな。
「すべてをありのままに話して頭を下げなさい、そこから新しい展開が始まりますよ。それは早ければ早いほどよい結果になるでしょう」と。
記者会見をすることでかえって事態を悪くする。これまでもなかったわけではありませんが、これほどの例は珍しいでしょう。この会見は彼の政治生命の分水嶺になったのではないでしょうか。
JR西のイメージ転換
防犯カメラの映像を自動的に解析し、危険な酔客などがいると通報するシステムをJR西日本が新今宮駅に昨日から導入しました。その運用開始セレモニーがあって、「酒場放浪記」の吉田類さんをゲストに招いたそうです。
http://trafficnews.jp/post/51613/
うまいですねえ。防犯カメラと言えばネガティブなイメージがつきまといます。それを使ったシステムのお披露目にセレモニーをするということが珍しい上に、酔っ払いの代表として吉田類さんを招くという発想が素晴らしい。イメージを一気にポジティブに転換しようとしています。
JR西日本と言えば、福知山線事故の記憶がまだ生々しく、どちらかと言えばネガティブなイメージをいまも引きずっているように思います。ところが、最近発表された新社長紹介の記事を読んで、おや?と思いました。記者の暖かい目が感じられたからです。社長になる来島氏は長く事故対応をしておられたとか。その過程で、記者たちの気持をつかんだものがあるのでしょう。ここでもイメージの転換が起こるかもしれません。