広報セミナーで

今日は午後から経済広報センターの広報セミナー。長年講師を勤めている宣伝会議の広報担当者養成講座とは受講者の所属企業に大きな違いがあります。前者は経団連の外郭団体だけに有名な大企業が多く、後者はベンチャー企業やIT企業が多い。だからどうということもないのですが、伝統的な大企業なら広報のノウハウが蓄積されているでしょうし、そこの広報部門の社員なら知識も豊富だろうと想像するので多少緊張度が高まります。ところが講義が終わったあとの名刺交換でお話をうかがうと、新任だったり2~3年の経験だったりする方が多く、先輩からの知識やノウハウの伝達が必ずしも行われていないようなのです。前任者は簡単な引き継ぎだけで異動してしまいますし、先輩も日々の業務に追われて後輩に一から指導する時間がない、というのが実情なのだと改めて認識しました。そこにこのようなセミナーの必要性もあるのでしょうね。

頭を下げてない

連休中に、韓国の加湿器殺菌剤による肺損傷事件の謝罪会見のニュースを興味深く見ました。
被害者家族による平手打ちシーンよりも興味を惹かれたのは、英国企業の韓国法人の代表(日本法人の代表でもあるようです)が“Sorry”とか“apologize”とか連発しながら謝罪する仕草です。どう見てもあのお辞儀は奇妙です。日本流と韓国流では多少違いがあるかもしれませんが、韓国の人たちだって多分おかしいと思ったでしょう。
ではどこが違うのか。彼のお辞儀は腰から身体を曲げているだけです。日本人を含む東アジアの人たちのお辞儀は、腰から背中のラインの延長線からさらに頭部が下がります。そこに謝罪や感謝や崇敬の気持が乗るわけです。
彼は、身体は折り曲がってはいるものの、頭を下げていない。それでは違和感ばかりでなく、謝罪の気持が伝わりません。まことに微妙ではありますが、そこが大切なポイントです。
サポートしている韓国のPRエージェントはもう少しトレーニングをさせた方がよかったのではないでしょうか。外国人だから(母国がどこかは存じませんが)やむを得ないとも言えますが、柔道の試合では自然な礼をする外国人選手が少なくありませんから、練習すればできるはずです。東アジア地域で公式な謝罪をする以上、そのくらいの努力は必須と考えるのですが・・・。

PR会社はつらいよ

DSC_0149_2昨日お手伝いした記者発表が多くメディアで報道されて、午前中は担当者がクリッピング作業に大汗をかいていました。
一方で、記者発表してもほとんどニュースにならないケースもあります。反響が少ないと、お手伝いしたPR会社としてはなんとも申し訳ないような気がいたします。私たちにも責任の一端はありますが、なんと申しましてもニュースバリューのあるなしが、報道の量と質に決定的な影響を及ぼします。
ところが情報の発信元であるお客様の方で、ニュースバリューを客観的に評価できない場合が少なくありません。できるだけ「これはあまり報道されないかもしれませんよ」とお伝えするようにはしておりますが、伝えにくいこともしばしばです。こちらがエクスキューズしているように受け取られることさえあります。
まったく“PR会社はつらいよ”であります。

広報の観点からは言うべきことなし

世の中に100%法律違反をしたことがないという企業は存在しないでしょう。営業社員が駐車違反することもありますし・・・。しかし、業務の根幹の部分で脱法行為をしている企業は、早晩社会から排除されることになると思います。
広報活動というものは、脱法・不法行為をしていない、あるいはしないように努力している99.9%のふつうの企業であることを前提としているのだなあ、と改めて考えました。
三菱自動車の燃費偽装の件です。あの謝罪会見に関して広報の観点から言うべきことは何もありません。そこをなんとかダメージを最小限に食い止めるのが広報だというご意見もあろうかとは思いますが、脱法・不法行為をカバーすることが広報の役割だとはどうしても考えられないのです。

吹っ飛んだ!

こんなときにこんなことを言ってはいけないでしょうが、大事件というのは「広報の敵」なのであります。せっかく準備した発表も一瞬にして吹き飛んでしまい、報道されなくなってしまいます。ネットの世界でも関心を集められません。
重要な(と思っている)発表を控えているときや、報道を期待する取材を受けたときは、何事も起こらないでほしいと心から願うのが広報の担当者というもの。
熊本地震によって吹っ飛んだ広報案件もたくさんあったのではないかと推測しますが、それもやむを得ないことと考えるしかありませんね。
弊社と関係の深い医療担当の記者さんたちも大挙して現地に飛んでいるようです。

勤め先を信頼してますか?

名称未設定 1「経済広報」4月号(経済広報センター刊)に「日本人は世界一自分が働いている会社を信頼していない」という記事が掲載されていました(2016エデルマン・トラストバロメーター)。
「信頼している」と答えた日本人回答者は4割だったとか。図の写真が小さくて読み取りにくいのですが、1位はメキシコで89%。アメリカ(と書いてある)が64%で、ドイツが62%。
日本の会社員は、会社に忠誠心を誓った社畜が多いかと思ったら・・・という意外性もなくはありませんが、いまの日本の状況を考えると、まあこんなものかなとも思います。非正規労働者が増え始めたときから、勤め先への信頼はどんどん低下し始めたのだろうと想像します。
広報の仕事をしている人間としては、どうしたら社員に企業を信頼してもらえるかは挑戦しがいのある課題の一つです。サラリーマン生活36年間、「勤め先の会社を信頼する」というマインドは持ったことがありませんでしたから、かえって課題解決のお手伝いができるかも・・・と考えておりますが、いまのところそのようなお仕事はいただいておりません(ーー;)。

「とと姉ちゃん」

今日から始まったNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」、ヒロインのモデルは「暮しの手帖」誌の大橋鎮子さんだそうです。
以前の勤め先が1983年、初めて予測式電子体温計を売り出したとき、同誌の商品テストで高い評価を得たことで社会に認知され売上が急激に拡大したそうです。それほどの影響力があったのですね。その時は在籍していませんでしたが、その後も長く「成功体験」として社内に生き続けていることが感じられました。
その何年か後、再び同誌が新しい電子体温計をテストしました。今回は必ずしもよい評価ではなく、「あの『暮らしの手帖』が?」という衝撃が社内に走りました。詳細は忘れてしまったので省きますが、どうしても技術的、論理的に納得できな点がありましたので、編集部へ何度も足を運びました。こちらの話はよく聞いていただけましたが、絶対の自信をお持ちの商品テストだけに難攻不落でした。しかし、そのテスト結果は売上に大きな影響を与えませんでした。
同誌の存在は、戦後の消費社会の成長と成熟をそのまま反映していると言えますね。

異動の季節

人事3月、4月は人事異動の季節。弊社のお客様である医療関連企業や病院、また同業のPR会社でも人事異動や転職、退職の情報や噂が飛び交います。
とくに注意を払う必要があるのが各メディアの人事異動です。取材先としてお世話になった企業へは記者の方から連絡が入ることも少なくありませんが、私たちPR会社は記者のみなさんにとって霞のような存在らしく、ご挨拶をいただけるケースはとくに親しい何人かに限られます。少々残念でもありますが、まあ仕方がないかな。
とりわけ企業の広報部から評判がよろしくないのが日経新聞の旧産業部、現在の企業情報部の担当変えです。担当記者に自社のこと、業界のことを一生懸命説明して、見学もしていただいて、ようやく理解してもらったと思うと2年もしないうちに異動になってしまい、また一からやり直しを繰り返さなければならないというわけです。本気で怒っている広報部長さんもおられました。
製薬会社だろうが自動車会社だろうが、企業を取材するということでは大きな違いはないと日経新聞は考えているのかもしれません。また長く同じ業界を担当させると情が移って公平な記事が書けなくなったり、不祥事の要因になったりすることを懸念しているのだろうとも推測できます。しかし、一番の目的はいろいろな企業への取材経験を積ませて人材育成を図ることにあるのでしょう。
そういうことなら、これは致し方ないことかもしれません。また一から説明をやり直すのも広報担当者の重要な仕事と考えるべきなのでしょう。

広報は広告宣伝より多くの予算が必要です

先週の金曜日に書いた「たぶんこれまでどなたも書いておられないと思われる内容が二つ」のもう一つの方は、「広報はお金がかからない活動なのに、どうして予算が必要なのでしょう」という問いに対する答えです。
広告宣伝部の予算と広報部の予算の違いは媒体費のあるなしの違いである、と言いきってしまいました。実際には媒体費に多少の広告制作費が加わりますが。
広報はお金のかからない宣伝だという古典的な認識がいまに至っても続いています。しかし、これは誤った認識です。広報は、いまや社会やステークホルダーとの双方向のコミュニケーションを担う業務へと変化しています。ミッションが拡大しつつあるのです。そうなると、広告と広報といった二元論はもはや通用しません。
そこで再び予算に戻りますと、広告宣伝部の予算から媒体費と制作費を除くと、残りはほとんど人件費と事務費しか残らないのに対して、広報部ではもろもろの活動費がより多く必要になるはずで、そこで比較すれば広報予算の方が多くなるのが当然なのです。

企業広報は無形資産を増加させる活動

昨日の朝活でもお話したことですが、「広報会議」4月号に書いた原稿の中に、たぶんこれまでどなたも書いておられないと思われる内容が二つあります。その一つは、企業広報は売上や利益に貢献するのかという問いに対する答えです。この問いは実に厄介で、予算を握っている経理や予算執行に目を光らせている監査部門の人たちから発せられると、なかなかうまく答えられません。
企業広報が財務諸表の損益計算書(PL)に反映されないのは事実だからです。厳密には反映されるはずなのですが、時計の短針のようなもので、毎年のPLを追いかけてもその動きを捉えることができません。これは貸借対照表(BS)においても同じことです。しかし、その会社がM&Aで合併するとか売却されるということになると、長年の企業広報によって築き上げられたレピュテーションやブランドは精密に評価されて「のれん」というかたちで数字化されることになります。
つまり企業広報とはは無形資産を増加させるための活動と定義されるのです。
これ、私が言い出しっぺだと思うのですがね(エヘン!)。