朝カツ!

朝活今朝は広報会議誌主催の「読者勉強会『朝活広報会議』Vol.9 ~社内理解を深めよう」で、ゲストとして45分ほどお話しました。午前8時の受付開始には列ができるくらいで、50人ほどは出席しておられたでしょうか。いま巷で盛んだと聞く「朝活」は初めての経験でしたが、みんな熱心だなあと感銘してしまいました。しかも居眠りしている人がいないんですよ。それにもびっくり。
朝が滅法弱い私ですが午前5時に起床して7時40分には会場入り。終わって30名のみなさんと名刺交換しつつ個別のご質問にお答えして、終わったら10時になっていました。
さすがに昼過ぎになると眠くなりますねえ。

広報に何ができるのか?

磯浜1東日本大震災後の約1年間は体調がすぐれませんでした。中でも胃部の不快感が続き、胃薬を飲み続けましたが、その後に受けた内視鏡検査では異常は見つからず、ピロリ菌も陰性でした。
震災後、多くの人たちがボランティアとして被災地に入りました。医療関係者は救護や救援に向かい、製薬会社は医薬品を提供し、医療機器会社は医療機器を送り、シェフは料理道具一式とともに被災地に入って暖かい食事を提供しました。元気な人は復旧作業や放射能除染に力を貸しました。
周囲には、親しい芸能関係者を伴って救援物資とともに何度も現地に足を運んだ人もいました。テレビで知られている有名人が行けば、被災者のみなさんに対し何らかの励ましにはなるかもしれません。それを否定するものではありませんが、心は動きませんでした。少しばかりの義援金も送りましたが、どこか偽善的な気分が残っただけでした。
いまは忘れられた存在となってしまったフランスの哲学者J.P.サルトルは半世紀前、「飢えた子の前で文学に何ができるのか」と問いました。結論は覚えていません。容易に結論が見つかる問いでもありません。では、被災者のみなさんを前にして広報に何ができるのでしょうか。考え続けましたが、やはり答えは見つかりませんでした。これから先も見つかりそうにありません。胃の調子は知らぬうちに回復しました。

東京は特殊だ

Facebook経由で知ったYahooによる分析なのですが、都道府県の中で東京は飛び抜けた電車社会であって、一人平均年800回以上も電車に乗っているのだそうです。それに次ぐのが神奈川や大阪でそれでも400回くらい。千葉、京都、埼玉、兵庫、奈良などがそれに続きますが300~100回といったところでしょうか(グラフから読みとっています)。その他の道府県はずっと少なく、それに反比例してクルマによる通勤・通学率が高くなっています。
その他のデータによっても、東京の特異性は際立っているということです。
これは重要な指摘ですね。私たち東京で生活し東京で働いていると、どうしても自分の周囲の環境が普遍的だと思い込んでしまうところがあります。そのような視点で広報活動をすると失敗するのは明らかです。
米国の人たちも、米国内の状況が世界標準だと考えているという話があります。大統領選のたびにそれを思い出させられますが、東京人も心しなければならないですね。
http://docs.yahoo.co.jp/info/bigdata/special/2016/01/?utm_content=bufferd5345&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

答えは一つではありません

P1020549_2昨日に続いてのお知らせです。これも弊社サイト トップページのWhat’s Newに掲載しておりますが、本日発売の「広報会議」誌4月号の新年度特別企画「『広報活動&ソーシャルリスク』Q&A式ハンドブック」の広報活動のページの執筆を依頼されました。
広報の担当者が上司や他部門の人などからいろいろな質問をされる。それに答えるためのQ&Aをつくりたいという企画趣旨でした。それはよい企画だなあと大賛成しました。社内のあちらこちらからの、時にはイジワルな質問にさらされて苦慮した経験を何度もしていたからです。
すると、編集部が現役担当者のみなさんから質問を募り、18のQに集約して突きつけられました。それを読んで、気安く引き受けるのではなかったとつくづく反省しました。自分自身が答えに窮した質問ばかりです。最も頭を悩ましたのは、答えは一つではないということでした。その質問を発した相手、たとえば上司なのか、予算執行のサインをする経理担当者なのか、他部門のトップなのかなどによって、答えの中身は変える必要があります。そこを間違えると、まったく理解されません。しかし原稿の字数は限られています。どこから切り込もうか、それを考えるために2週間ほど前の週末がつぶれてしまったのであります。

「広報の仕掛け人たち」発刊されました

弊社サイト トップページのWhat’s Newにも掲載しましたが、このたび宣伝会議社から「広報の仕掛け人たち PRのプロフェショナルはどう動いたか」(日本パブリックリレーションズ協会編)が発刊されます。10年ほど前に同じ題名の本が出版されていますので、その第二弾ということになります。
81OjIWVibtL_2PR会社とそこで働いている人たちが実際にどのような仕事をしているのかを、多くの人たちに知っていただこう、とくにこれから広報の世界に飛び込もうと考えている学生など、若い人たちに読んでもらおうというのが企画のスタートでした。
9つの実例が紹介されていますが、ココノッツが手がけた国立精神・神経医療研究センター(NCNP)の「NCNPメディア塾」が8番目に紹介されています。
3月8日頃には書店に並ぶそうですから、ぜひ読みいただければと願っております(上の写真をクリックするとamazonに飛びます)。
ざっと読んだところ・・・と書きたいところですが、先ほど刷り上がりが届いたばかりで、他社さんのページはまだ読んでおりません。地味ながらも、これぞ広報という“いい仕事”が選ばれています。しかし、少々カタイ実例が並びました。若い人に読んでもらえるかなあとちょっと心配にはなりますが、このくらい読み込めない人は広報には向いていないので、その点は安心です・・・ほんとかな??

やっかいなこと

これまであまり広報活動をしてこなかった会社や団体から、記者発表をしたいので手伝ってほしいというお話をいただくことがあります。ご経験がないのですから、一つひとつお教えして行きます。それは私たちの仕事そのものですから、ご遠慮なくなんでも聞いていただきたい。なんでもアドバイスいたします。
しかし、やっかいなことがあります。それは、発表してやるのだから記者は黙って記事を書けと、そこまで極端な方にはいまのところお目にかかってはおりませんが、少々その気配を感じることがあります。記者発表しても、報道するかどうかはメディアの自由であるという基本をご理解いただくのはとても難しいことなのです。

難事業にとりかかってます

昼過ぎから、ある会社の企業ビジョンのようなものを文章化する仕事にとりかかりましたが、難航。経営者自身はいろいろな思いを持っておられるわけですが、それがうまく社内外に伝えられない。そこでそれらをまとめてwordingしようというわけですが、どうしてもライター(今回は私)の思考方法とか価値観が反映されてしまいます。そこをなんとか経営者の色に染めなければなりません。難しいのはそこ。他人の頭の中までは覗けませんからね。

明日に期待

午前中は取材の立ち会い、午後は記者発表の立ち会いと、いかにもPRコンサルタントらしい一日でした。
取材される記者さんが発表内容に興味を持ってくださっているのかどうか、取材中、会見中に注意深く観察はしているのですが、これまでの経験からすると確率70%というところでしょうか。
これはダメだなあ、とがっかりしていたら、翌日の紙面に大きく取り上げられたこともありました。記者がノリノリで記事が小さかったということはあまり経験していませんが、たまには重大ニュースのあおりを食ったり、デスクのウケが悪くて扱いが小さくなったりしたこともあります。
無理を押して取材してもらったのに記事が小さかった、あるいは報道されなかったという経験は数えきれません。
さて、明日はどうなることやら。たぶん大丈夫だろうとは思うのですが。

隣の芝は?

朝、某社の広報担当役員さんから携帯に電話。競合会社のコメントがたくさん掲載されている記事をその会社のトップが読んで、「こういう活動をわが社もしなくてはいかん。ウチの広報は何をやっている!」と叱責されたとか。
思い出しますね。私も事業会社で広報の責任者をしていたとき、何度も同じような叱責を受けたことがあります。こういうお叱りを受けると、何を言っても言い訳ととられるばかり。反論が難しいだけに本当に気が滅入ります。
トップは、自社の成功事例より競合の成功事例に対してよりナーバスです。隣の芝生がいつもも青く見えるのは、隣家の芝は、自分の家からは斜めに見ることになるからだそうです。つまりバイアスがかかっているというわけです。
斜めから見る隣の芝より青々とした芝生をどうしたら自分の庭に養生することができるか・・・難問です。

広報マインドに規制はかけられない

「近くまで来たから」と、ココノッツの「協力会社」であるイベント会社の社長が前触れもなく来訪。いろいろな業界で「規制」が強まっているのではないかということで意見が一致しました。
医薬品、医療機器の業界ではそれがとくに顕著で、無難な企画に流れてしまいがちな昨今です。規制は規制として守らなければなりませんが、広報マインドにまで規制をかける必要はないわけで、アタマまで縛られていては新しい広報企画など立案できるわけがありません。