広報イベントとネクタイ

ここ数年と比べ今年は暑さがいくらかマシであるように思います。最近の猛暑の方が異常であって、今年が平年並みなのかもしれません。それでも暑いことは暑いので、すっかり定着した感のある“クールビズ”でノーネクタイで過ごせるのはとてもありがたいことです。そもそも湿度の高い日本の夏にネクタイを締めることの方がおかしいんです。
さて、こんな季節に行われる広報イベントでネクタイを締めるかどうか。これはまた別の問題です。製薬会社や医療機器会社のようなドクターを相手にビジネスをする業界では、会社の中ではノーネクタイ、チノパンで仕事をしていても、そのような場ではクールビズも何のその、ネクタイをきっちり締めるのが“業界の常識”になっています。これは出席するドクターに対して失礼にならないようにという過度の配慮が働くためでしょう。
あるとき、講師としてお招きした医学界のVIPドクターがノーネクターで現れ、「あれ、しまった。どなたか余分なネクタイを持っていませんか」と逆に恐縮されたことがありました。それを聞いた主催者側はすぐに近くの洋品店に向かって駆け出したのでありました。主催者側のスタッフの方がネクタイをはずすという選択肢は誰も思いつかなかったようです。

第3回NCNPメディア塾

OLYMPUS DIGITAL CAMERA今日は、3回目の国立精神・神経医療研究センター(NCNP)メディア塾が開催されました。参加された記者・ジャーナリストは30数名。医療ジャーナリストの間ではすでの定着したと言えるでしょう。国レベルでも評価が高いとのことで、発案者としてはうれしい限りです。
一昨年の第1回は企画から運営まで、あれこれお手伝いしましたが、徐々に主催者側スタッフのみなさんが自律的に進めてくださるようになってきました。これもうれしいことです。が、ちょっとさびしいような気もしないではありません。これが私たちのような仕事の宿命なのでしょうね。

病院の広報担当者は

先日来、依頼を受けて病院向けの広報講座のコンテンツを考えています。あらかたは出来上がったのですが、一つだけ「広報担当者の役割」をどのように説明しようかというところで悩んでしまいました。企業の広報担当者の仕事に関してはいくらでもお話できるのですが、病院となると少し事情が異なるようです。
遅れていると言ってしまえばそれまでですが、50年前の企業広報の状況とも異なります。どちらかと言えば市役所、区役所のそれに近い。担当者のマインドには学校のクラブ活動のようなところもある。それでいて、運営者からは受診患者数の増加を強く求められていて、プロモーションとの境があいまい。そのような状況のまま、もちろん進化している部分もあり勉強や研究も進んでいる。
と、まあそんなところなんですが、それだけに「どうしたもんじゃろのう」と悩んでおります。

ブランドバラバラ

P1020630必要があってこのところ「ブランド」について勉強し直しています。手持ちの書籍を読み直し、ネットも検索して再認識したことは、少なくとも日本ではブランドの概念が十分定まっていないということです。実際に解釈はバラバラ、説明もいろいろなのです。共通しているのは、D.A.アーカーの引き写しの部分だけだと言ってよいでしょう。
こんなことを言うと大学の先生あたりから馬鹿にされてしまいそうですが、そもそもアーカー先生の記述がわかりにくい。原著は読んでいないので翻訳の責任かもしれませんが、あの書き方ではすんなり理解できません。だからみんな勝手に解釈している。たとえば「取引のテコ」という表現。だれも日本人にわかりやすいように説明できていません。
こんな混乱した状況のままブランドを語っていては、日本企業のブランドエクイティを確立するのは難しいのではないかと危惧してしまいます。

オリンピックと古い日本

オイオイ、これはないよなあ、と思ったのは私だけではないようです。オリンピック開会式での日本選手団のユニフォームです。1964年の東京オリンピックのビデオを見ているような気がして来ました。時代錯誤もいいところ。ネットでも批判が盛り上がっています。
私たちも仕事でよく経験するのですが、せっかくよい案を提出してもクライアント側でそれを見抜く力がない。陳腐な案が採用されてしまう。エライさんが決定権を持っていると、提案する側もエライさんの嗜好に合わせて企画を提案しますから、ますますおかしなことになって行く。こうして、日本では新しいアイデアが次々と消えて行きます。これではマイナス金利にしても国債増発で予算を膨らませても成長の手がかりはつかめません。
日本選手団は大手百貨店が手がけたそうですが、経緯は容易に想像できます。入場行進の旗手の後にエライ役員さんがゾロゾロ続いて選手がその後だったことも含めて、日本のオリンピックが、そして日本のシステムが古い日本のヒエラルキーと官僚組織によって動かされている証拠がこんなところにちょいと現れてしまったということでしょう。

シン・ゴジラ

先月末に「シン・ゴジラ」という映画が公開されたそうです。「そうです」というのは、公開日の直後から、FacebookやTwitterなどから「シン・ゴジラ」に関する話題がどっと押し寄せてきて、初めて気がついたからです。じっくり思い返せば、新聞か雑誌で新しいゴジラ映画ができたようなことを読んだ記憶があります。しかし、公開日以降、オールドメディアからはほんとんど情報が届かず、ネット経由でもう結構というほど情報が届くという状況におかれました。プレイステーションでもデモ動画が見られるようで、新しいメディア総動員。それに鋭く反応した人たちがどんどん書き込んで来ます。なんだなんだこれは・・・。こんなに新旧メディアの違いを実感したことはありません。もうそうなっているんですね、現実は。

いま浦島

久しぶりにIRに関するご相談を受けました。いまはIRを本業としていないので、専門家を同道して企業さんを訪問。
実質的にIR関連の仕事から手を引いて8年あまり。マーケットの状況はもちろん大きく様変わりしていますが、企業の抱えるIRの悩みはあまり変わっていないようです。また、PRとIRの発想や手法にはものすごい違いがあるなあ、といまさらながら再認識させられました。日頃、PRとIRは連携すべきであると力説していますが、少々別世界に足を踏み入れた気分になってしまい、いま浦島であることをも痛感してしまいました。

だったりします

リリースのつくりかたに関する記事を読んでいたら、「メディアに届けるリリースの存在がとても大事だったりします」という文章に出くわしました。「だったりします」ねえ。いま流でしょうか。さらに読み進むと、「究極で言うと、・・・」というのにも出くわしました。これ、日本語ではないでしょう。こんな人にリリースの作成を頼んだら大変だなあ、と思いながらさらに読み進むと、自分ではリリースを書かずにライターさんい書いてもらうとありました。それならいいか? 記事全体で言っていることは間違っているとは思いませんが、私なら、この人からリリースに関するアドバイスは受けたくないですね。もちろん個人的な感想だったりしますが(^O^)。

ネットと選挙

ネットサイトやSNSで都知事候補者に関する書き込みやシェアが増えてきました。運動員ではない人が特定の候補者を持ち上げるような、あるいは批判するような書き込みをして、それをシェアしても違反にはならないのでしょう。あちらこちらから発信されて来る情報にさらされると、知らないうちに「そうなんだ」と思い込んでしまう。最近の選挙運動はこのように進められるのだなあと認識を改めております。こういう手法を上手に使っている側と下手くそな側があるようです。投票日は明後日ですが、もう事実上勝負はついているのでしょうね。

もやもや

先日トップインタビューへの立ち会いを依頼されました。
トップインタビューと言っても、トップが取材対象というわけではなく、事業に関する発表なので実務責任者による説明でほぼ完結。重要案件なので最高経営責任者が発表に立ち会うと言えばその通りに違いなく、広報の観点からはまことによいことではありますが、そればかりではないようにも感じられました。トップが出たがった、トップを出さないと叱られると部下が忖度した、なにはともあれトップの顔を立てなければ・・・なんだかそんな空気さえただよっておりました。トップが広報に理解があることは誠に結構ではあるのですが、なんとなくもやもやしております。