ここ数年と比べ今年は暑さがいくらかマシであるように思います。最近の猛暑の方が異常であって、今年が平年並みなのかもしれません。それでも暑いことは暑いので、すっかり定着した感のある“クールビズ”でノーネクタイで過ごせるのはとてもありがたいことです。そもそも湿度の高い日本の夏にネクタイを締めることの方がおかしいんです。
さて、こんな季節に行われる広報イベントでネクタイを締めるかどうか。これはまた別の問題です。製薬会社や医療機器会社のようなドクターを相手にビジネスをする業界では、会社の中ではノーネクタイ、チノパンで仕事をしていても、そのような場ではクールビズも何のその、ネクタイをきっちり締めるのが“業界の常識”になっています。これは出席するドクターに対して失礼にならないようにという過度の配慮が働くためでしょう。
あるとき、講師としてお招きした医学界のVIPドクターがノーネクターで現れ、「あれ、しまった。どなたか余分なネクタイを持っていませんか」と逆に恐縮されたことがありました。それを聞いた主催者側はすぐに近くの洋品店に向かって駆け出したのでありました。主催者側のスタッフの方がネクタイをはずすという選択肢は誰も思いつかなかったようです。
第3回NCNPメディア塾
病院の広報担当者は
先日来、依頼を受けて病院向けの広報講座のコンテンツを考えています。あらかたは出来上がったのですが、一つだけ「広報担当者の役割」をどのように説明しようかというところで悩んでしまいました。企業の広報担当者の仕事に関してはいくらでもお話できるのですが、病院となると少し事情が異なるようです。
遅れていると言ってしまえばそれまでですが、50年前の企業広報の状況とも異なります。どちらかと言えば市役所、区役所のそれに近い。担当者のマインドには学校のクラブ活動のようなところもある。それでいて、運営者からは受診患者数の増加を強く求められていて、プロモーションとの境があいまい。そのような状況のまま、もちろん進化している部分もあり勉強や研究も進んでいる。
と、まあそんなところなんですが、それだけに「どうしたもんじゃろのう」と悩んでおります。
ブランドバラバラ
必要があってこのところ「ブランド」について勉強し直しています。手持ちの書籍を読み直し、ネットも検索して再認識したことは、少なくとも日本ではブランドの概念が十分定まっていないということです。実際に解釈はバラバラ、説明もいろいろなのです。共通しているのは、D.A.アーカーの引き写しの部分だけだと言ってよいでしょう。
こんなことを言うと大学の先生あたりから馬鹿にされてしまいそうですが、そもそもアーカー先生の記述がわかりにくい。原著は読んでいないので翻訳の責任かもしれませんが、あの書き方ではすんなり理解できません。だからみんな勝手に解釈している。たとえば「取引のテコ」という表現。だれも日本人にわかりやすいように説明できていません。
こんな混乱した状況のままブランドを語っていては、日本企業のブランドエクイティを確立するのは難しいのではないかと危惧してしまいます。
オリンピックと古い日本
オイオイ、これはないよなあ、と思ったのは私だけではないようです。オリンピック開会式での日本選手団のユニフォームです。1964年の東京オリンピックのビデオを見ているような気がして来ました。時代錯誤もいいところ。ネットでも批判が盛り上がっています。
私たちも仕事でよく経験するのですが、せっかくよい案を提出してもクライアント側でそれを見抜く力がない。陳腐な案が採用されてしまう。エライさんが決定権を持っていると、提案する側もエライさんの嗜好に合わせて企画を提案しますから、ますますおかしなことになって行く。こうして、日本では新しいアイデアが次々と消えて行きます。これではマイナス金利にしても国債増発で予算を膨らませても成長の手がかりはつかめません。
日本選手団は大手百貨店が手がけたそうですが、経緯は容易に想像できます。入場行進の旗手の後にエライ役員さんがゾロゾロ続いて選手がその後だったことも含めて、日本のオリンピックが、そして日本のシステムが古い日本のヒエラルキーと官僚組織によって動かされている証拠がこんなところにちょいと現れてしまったということでしょう。
シン・ゴジラ
先月末に「シン・ゴジラ」という映画が公開されたそうです。「そうです」というのは、公開日の直後から、FacebookやTwitterなどから「シン・ゴジラ」に関する話題がどっと押し寄せてきて、初めて気がついたからです。じっくり思い返せば、新聞か雑誌で新しいゴジラ映画ができたようなことを読んだ記憶があります。しかし、公開日以降、オールドメディアからはほんとんど情報が届かず、ネット経由でもう結構というほど情報が届くという状況におかれました。プレイステーションでもデモ動画が見られるようで、新しいメディア総動員。それに鋭く反応した人たちがどんどん書き込んで来ます。なんだなんだこれは・・・。こんなに新旧メディアの違いを実感したことはありません。もうそうなっているんですね、現実は。
いま浦島
だったりします
リリースのつくりかたに関する記事を読んでいたら、「メディアに届けるリリースの存在がとても大事だったりします」という文章に出くわしました。「だったりします」ねえ。いま流でしょうか。さらに読み進むと、「究極で言うと、・・・」というのにも出くわしました。これ、日本語ではないでしょう。こんな人にリリースの作成を頼んだら大変だなあ、と思いながらさらに読み進むと、自分ではリリースを書かずにライターさんい書いてもらうとありました。それならいいか? 記事全体で言っていることは間違っているとは思いませんが、私なら、この人からリリースに関するアドバイスは受けたくないですね。もちろん個人的な感想だったりしますが(^O^)。