こちらはいい気分ですが・・・

ある企業さんに、広報のレクチャーに行って来ました。これまで何社かでやってきましたが、今日はみなさん熱心に聞いてくださった上に質問もたくさんしていただいたので、終わって少々いい気分です。こちらがいい気分でも、本当にお役に立ったかどうかはまた別問題です。どうだったのかなあ。

水素水

夕方から日本科学技術ジャーナリスト会議の例会。水素水がテーマということなので、ちょっと興味をひかれて非会員ながら初めて出席させていただきました。
水素水に関しては最近のメディアやSNSなどの記事をフォローしていたので、目新しい事実はありませんでしたが、真っ当な科学者(唐木英明東大名誉教授)による説明はやはり勉強になりました。
出席者の知識レベルはさまざま。水素水の販売者からの発言もあって、そういうところも大いに楽しめました。唐木先生がトンチンカンな質問や発言にも柔らかく対応されていたことに感銘を受けました。真っ当な科学者はやはり違いますね。

ご熱心ですね。

ある医療系の勉強会に参加するようになって、もう4~5年になるでしょうか。医療者やジャーナリストなどが真剣に議論する場なので、とても勉強になります。数ヶ月に一回なので、たいした負担も感じることなく、土曜日にわざわざ出かけて行っていました。
ところがある日、幹事をされている方から「ご熱心ですね」と声をかけられました。どういう意味なのでしょう。理性は「素直にほめられたと考えろ」と言っております。感情は「皮肉を言われたね」と言っております。判断に迷うところではありますが、「オマエが来るところじゃねえよ」という意識がその方の心の底にあるのかもしれないとも疑えます。と、そんなことを考えつつ直近の2~3回は出かける意欲をなくして欠席しております。「ご熱心ですね」と言われない頻度はどのくらいなんでしょう?

永六輔さんの訃報に接して

昨日に続いて不祝儀な話ですが、永六輔さんが亡くなりました。お会いしたことはありません。一度だけ名古屋駅の構内で若い女性と二人で歩いておられるところをお見かけしました。同じ方向なので、なんとなく後をついて行くと煮込みうどんの店に入って行かれました。
六輔さんとのご縁はそれだけですが、お父さんの永忠順さんとは何度かお目にかかりました。お父さんもお坊さんながら洒脱な文章の書き手でした。PR雑誌の編集スタッフをしていたとき、短いエッセイを書いていただき原稿を受け取りに浅草近くのお寺にうかがったのです。訪いを入れるとお母さんが玄関で、若僧のこちらに対して丁寧に三つ指をつかれました。
訃報を聞いてそんなことを思い出しました。

日曜日はぐったり

24日の金曜日の夜は、年2回行われる宣伝会議「広報担当者養成講座」の第1回目。その第1回だけを担当してもう10年くらいにはなるかしら。講義が2時間、名刺交換(これに関しては水曜日に書きました)に1時間、満員電車で帰宅するのに1時間余。合計すると4時間あまり立ち続けていたことになります。年のせいもあるけれど、それなりに疲れます。翌日はたいてい昼寝をして疲れをとるのですが、土曜日は日本医療機器学会のメディカルショーを視察するために大阪へ。日帰りしてきましたが、さすがに日曜日はぐったりでした。

エビデンスのない治療法のお手伝いはいたしません

今日の毎日新聞に生活報道部の小島正美さんが、「『水素水』論争に向けて」という記事を書いています。中見出しには「『エセ科学』とは言えない」とも。水素水擁護の記事かと思いましたが、そうではなく冷静に現状を追ったよい記事でした。水素が生体に影響を及ぼすことは明らかになりつつあるが、水素水が身体によいというエビデンスはない、ということらしい。
病気の治療には、エビデンスのある標準治療が第一選択になるのは当然であって、自分が治療を受けるときもインフォームドコンセントを受けた上で標準治療を選択しました。ところが、まれにはエビデンスはまだないが確かに効果がある、という治療法が存在することも否定できません。否定はしませんが、エビデンスが確立していない治療法だけをどれもこれも信じると、逆に奏効率は低下するはずです。これは統計の常識であり、だからこそエビデンスがないということにもなります。
そういうわけで、弊社ではエビデンスが確立していない治療法の広報活動はお手伝いいたしません。

明るくなったなあ

この時期、広報セミナーのスケジュールが少々たて込みます。2時間ほど立ったままでしゃべり続け、終わると名刺交換で1時間。足が棒になります。泊まりがけもあるので時間もとられます。しかし、嫌な仕事ではありません。
講義後の名刺交換というのは、記者会見後のぶらさがり取材と同じようなもので、個別の質問に答える時間でもあります。さまざまな質問を次から次へ受けますが、こちらにとっても、最近の広報事情を知るよい機会になるからです。
多種多様な企業から集まる広報担当者さんのお話を聞いていると、彼らの悩みはちっとも変わらないなあと思う一方で、ずいぶん明るくなったなあとも感じます。一昔前は、会社と社会との板挟みといった悲壮感を漂わせる方が少なからずいましたが、いまはほとんどいません。なぜなんでしょうね。理由はよくわかりません。

少しはお役に立ったかな?

公的な病院組織での広報セミナーに講師として呼ばれました。受講者はいわゆる「事務方」のみなさんで、「広報も担当することになっちゃった」というカンジ。任期が終わればそれまでですから、とくに広報活動にご関心があるというわけでもないらしい。そういうところのセミナーでは何をお話しても反応がほとんどありません。くすぐりを入れても笑いは起こらず、スベってばかり。少しはお役に立ったのかなあ。とてもそうとは思えないのですが。

イチロー選手の表現

イチロー選手が日米通算4257安打を放ち、ピート・ローズの記録を超えたことは文句の付けようがない偉業です。これまでの弛まぬ精進にも敬意を表したいと思います。
が、今回に限らず彼の記者会見での表現にはいつも違和感を感じます。飛んできたボールに正対して捕球することなく、わざと背面で取ったりポーズをつけて取ったりするような、ちょっとひねった言い方を彼は好むようです。それが性格なのでしょうか。 「僕は子どもの頃から人に笑われてきた」という言葉の裏にある劣等感がさせることなのでしょうか。
現役大リーガーであるいまは問題になりません。実績がすべてを圧倒します。しかし、それが「過去の栄光」になったとき、彼流の表現は必ずしも好意的には受け取られなくなると危惧します。
イチロー選手の記者会見の前に、舛添都知事の一連の記者会見を見た影響でしょうか。そんなことを考えました。

疲れるなあ、立ち会いは

今日は久しぶりに取材の立ち会い。
新製品に関するパブリシティのご相談を受けて、これはすごい!と瞬間的に感じることはほとんどありません。正直なところ、「なんか地味な商品だなあ」というのが第一印象で、市場の状況やら背景やらをうかがって行くうちに、「わりと面白いんじゃないかなあ」と思えてくるというのが普通です。今日の商品もまさにそれ。
取材に来ていただくために、記者さんに「こんな新製品なのですが」と説明したのですが、これが責任重大。こちらの話し方次第で取材の可否が決まってしまいます。取材に来ていただいてからも、会社の担当者さんの説明にどのように反応するか、ずっと気を揉みながら見守っておりました。
幸い今日は説明が進むにつれて記者さんがノッてきたのが伝わって来たのでホッとしました。取材の立ち会いは本当に気疲れしますね。