お葬式の展示会

世の中には実にいろいろな展示会があるものです。このところ札所巡りなどもしているので、お寺さんの調度、備品などの展示会もあるのではないかと気づきました。仏具はもちろん、お経を上げるお坊さんの座布団だとか参列者の足のしびれを防止する椅子など、メーカーもたくさんあるでしょうし、新たに市場参入しようという企業もあるに違いありません。
ネットで検索してみたら、寺院ビジネスショウのようなものは見つからず、代わりに「エンディング産業展」というのが東京ビッグサイトで開催されるのを発見しました。お葬式の展示会なのです。開催期間はお盆明けで、初日が友引だそうです。うまく考えられています。
祭壇、霊柩車、お棺、ドライアイス等々の葬祭設備、筆耕、僧侶、司会派遣などの業務支援、その他石材、霊園、仏壇から相続相談、フォーマルウエアまで展示されるようです。おもしろそうではありますが、関係者以外はあまり行きたくない展示会ですね。

リベラルアーツの違い

オバマ米大統領が広島で行ったスピーチ安部首相のスピーチを新聞読んで、その違いにしばし呆然となりました。オバマ大統領のスピーチはまさに「演説」と言えますが、安部首相のスピーチは説明とか解説に近い。広報を仕事にしている人間として、とっさにスピーチライターのレベルの差だなあ、と考えてしまいました。もちろん大統領自身、首相自身が指示し手を加えてはいるのでしょうが、スピーチライターが下案をつくり仕上げているのだろうと推測します。
どこで違いが生まれたのか。いわゆるリベラルアーツの差ではないでしょうか。欧米の政治家や知識人の教養の深さとそれを基盤とする思考の深さには驚かされることがしばしばあります。リベラルアーツはギリシヤ、ローマ時代に源を発する7つの学科なのだそうですが、どうしたら選挙に勝てるかとかどうしたら儲かるかとかどうしたら勲章がもらえるかといったこととは次元の異なる深い教養を意味していると言っていいでしょう。
そのような深い教養がいまの日本の政治家や財界人からは感じられません。その違いがスピーチの違いに表れたと想像します。かく申す私自身もリベラルアーツは持ち合わせていないので、誠におこがましいのではありますが・・・。

アリ地獄会見

Msuzoe1こういう記者会見もあるのだなあ、と勉強になりました。5月20日の舛添都知事の記者会見です。
自ら考えたのか弁護士のアドバイスに従ったのか、「第三者に調査を依頼する」で押し通して時間稼ぎに出たのでしょうが、その言葉を繰り返すたびにどんどんアリ地獄にはまって行くように見えました。そういうことなら会見を開かない方がいい。しかし、知事の定例記者会見なので回避するわけには行きません。ニッチもサッチも行かなくなった窮余の策だったのかもしれません。
このようなとき、広報を専門とする者としてどうアドバイスすべきか。考えれば考えるほど難しくなりますが、ここはやはり原点に戻ることを進言すべきかな。
「すべてをありのままに話して頭を下げなさい、そこから新しい展開が始まりますよ。それは早ければ早いほどよい結果になるでしょう」と。
記者会見をすることでかえって事態を悪くする。これまでもなかったわけではありませんが、これほどの例は珍しいでしょう。この会見は彼の政治生命の分水嶺になったのではないでしょうか。
 

JR西のイメージ転換

防犯カメラの映像を自動的に解析し、危険な酔客などがいると通報するシステムをJR西日本が新今宮駅に昨日から導入しました。その運用開始セレモニーがあって、「酒場放浪記」の吉田類さんをゲストに招いたそうです。
http://trafficnews.jp/post/51613/
うまいですねえ。防犯カメラと言えばネガティブなイメージがつきまといます。それを使ったシステムのお披露目にセレモニーをするということが珍しい上に、酔っ払いの代表として吉田類さんを招くという発想が素晴らしい。イメージを一気にポジティブに転換しようとしています。
JR西日本と言えば、福知山線事故の記憶がまだ生々しく、どちらかと言えばネガティブなイメージをいまも引きずっているように思います。ところが、最近発表された新社長紹介の記事を読んで、おや?と思いました。記者の暖かい目が感じられたからです。社長になる来島氏は長く事故対応をしておられたとか。その過程で、記者たちの気持をつかんだものがあるのでしょう。ここでもイメージの転換が起こるかもしれません。

テレビには映らない(つづき)

IMG_2093_2今日は一日中、東京ビッグサイトにおりました。豊洲からゆりかもめに乗ったのですが、「国際展示場正門」という駅の手前で、あらぬ方向へ向かう車両がありました。スマホで調べたら、ゆりかもめの車両基地がそこにあるんですね。そこでビッグサイトの裏の方を見たらたしかにありました。
で、昨日の続きなのですが、阪神淡路大震災の数ヶ月後に現地へ行ってみたら、大きな被害を受けた建物のすぐ近くに、なんの被害も受けずに住人が暮らしている家があることに驚きました。それが複雑な住民感情を引き起こしたと後に聞きました。東日本大震災の津波の被災地では被害を免れた建物は見られませんでしたが、今回の熊本地震の被災地でも阪神淡路と同じような状況があるのではないかと想像します。しかし、テレビでは大きな被害を受けた住宅やマンションしか映しません。それも現実ではありますが、しかし本当の現実を伝えているかと言えば・・・どうなのでしょうね。

やはり直にお話をうかがわないと

急な話で大阪出張。直接お話を聞かなければわからないことって多いですね。メールや電話だけではコミュニケーションはやはり十分ではありません。同じ内容であっても、相手のお話のニュアンスや雰囲気から理解できることも少なくありません。いわゆるノンバーバルコミュニケーションというやつです。
だから記者も遠路はるばるやってきて、直接取材することを原則としているのでしょうね。

広報セミナーで

今日は午後から経済広報センターの広報セミナー。長年講師を勤めている宣伝会議の広報担当者養成講座とは受講者の所属企業に大きな違いがあります。前者は経団連の外郭団体だけに有名な大企業が多く、後者はベンチャー企業やIT企業が多い。だからどうということもないのですが、伝統的な大企業なら広報のノウハウが蓄積されているでしょうし、そこの広報部門の社員なら知識も豊富だろうと想像するので多少緊張度が高まります。ところが講義が終わったあとの名刺交換でお話をうかがうと、新任だったり2~3年の経験だったりする方が多く、先輩からの知識やノウハウの伝達が必ずしも行われていないようなのです。前任者は簡単な引き継ぎだけで異動してしまいますし、先輩も日々の業務に追われて後輩に一から指導する時間がない、というのが実情なのだと改めて認識しました。そこにこのようなセミナーの必要性もあるのでしょうね。

エレベーター事情も考えなくては

先日、ある会社の説明会に出席しました。開始は午前9時30分。その15分ほど前に会場のビルに到着したのですが、エレベーターの前は長蛇の列。5分前になんとか滑り込むことができました。
そのビルのテナントに9時30分始業の会社が多かったのかもしれません。あるいはフレックスタイムを採用している会社が多いのか・・・。13時のアポイントで企業を訪問すると、昼休みから戻る人たちがあふれていて、なかなか目的の階にたどり着けないということもしばしば経験します。
記者会見などの開始時間は、このような事情にも十分配慮しなければなりませんね。

頭を下げてない

連休中に、韓国の加湿器殺菌剤による肺損傷事件の謝罪会見のニュースを興味深く見ました。
被害者家族による平手打ちシーンよりも興味を惹かれたのは、英国企業の韓国法人の代表(日本法人の代表でもあるようです)が“Sorry”とか“apologize”とか連発しながら謝罪する仕草です。どう見てもあのお辞儀は奇妙です。日本流と韓国流では多少違いがあるかもしれませんが、韓国の人たちだって多分おかしいと思ったでしょう。
ではどこが違うのか。彼のお辞儀は腰から身体を曲げているだけです。日本人を含む東アジアの人たちのお辞儀は、腰から背中のラインの延長線からさらに頭部が下がります。そこに謝罪や感謝や崇敬の気持が乗るわけです。
彼は、身体は折り曲がってはいるものの、頭を下げていない。それでは違和感ばかりでなく、謝罪の気持が伝わりません。まことに微妙ではありますが、そこが大切なポイントです。
サポートしている韓国のPRエージェントはもう少しトレーニングをさせた方がよかったのではないでしょうか。外国人だから(母国がどこかは存じませんが)やむを得ないとも言えますが、柔道の試合では自然な礼をする外国人選手が少なくありませんから、練習すればできるはずです。東アジア地域で公式な謝罪をする以上、そのくらいの努力は必須と考えるのですが・・・。

PR会社はつらいよ

DSC_0149_2昨日お手伝いした記者発表が多くメディアで報道されて、午前中は担当者がクリッピング作業に大汗をかいていました。
一方で、記者発表してもほとんどニュースにならないケースもあります。反響が少ないと、お手伝いしたPR会社としてはなんとも申し訳ないような気がいたします。私たちにも責任の一端はありますが、なんと申しましてもニュースバリューのあるなしが、報道の量と質に決定的な影響を及ぼします。
ところが情報の発信元であるお客様の方で、ニュースバリューを客観的に評価できない場合が少なくありません。できるだけ「これはあまり報道されないかもしれませんよ」とお伝えするようにはしておりますが、伝えにくいこともしばしばです。こちらがエクスキューズしているように受け取られることさえあります。
まったく“PR会社はつらいよ”であります。