業界団体というのは不思議な組織です。専従職員を除いて、給与はそれぞれの所属企業からいただいているので、いわばボランティアのようなもの。会社の仕事に加えて業界のためにも働かなければなりません。競合する企業の人たちが集まっているのですから、それぞれの利害がぶつかることも少なくありません。しかし、共通の目的のために活動するというコンセンサスが得られれば(談合じゃありませんよ)、それはそれで企業内では得られない経験もできて面白いものです。
今日はかつて業界団体広報委員会で活動したOBの集まりです。毎年10数人が参加しますがほとんど異なる会社の出身者。昔話や持病の話も少し出るものの、みなさん現在の生活を楽しんでおられるようで、にぎやかに時を過ごします。ほんの4~5年、広報活動に盛り上がった時期にそれぞれの活動を担った人たちです。こういう会は珍しいかもしれませんね。
「とと姉ちゃん」
今日から始まったNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」、ヒロインのモデルは「暮しの手帖」誌の大橋鎮子さんだそうです。
以前の勤め先が1983年、初めて予測式電子体温計を売り出したとき、同誌の商品テストで高い評価を得たことで社会に認知され売上が急激に拡大したそうです。それほどの影響力があったのですね。その時は在籍していませんでしたが、その後も長く「成功体験」として社内に生き続けていることが感じられました。
その何年か後、再び同誌が新しい電子体温計をテストしました。今回は必ずしもよい評価ではなく、「あの『暮らしの手帖』が?」という衝撃が社内に走りました。詳細は忘れてしまったので省きますが、どうしても技術的、論理的に納得できな点がありましたので、編集部へ何度も足を運びました。こちらの話はよく聞いていただけましたが、絶対の自信をお持ちの商品テストだけに難攻不落でした。しかし、そのテスト結果は売上に大きな影響を与えませんでした。
同誌の存在は、戦後の消費社会の成長と成熟をそのまま反映していると言えますね。
異動の季節
3月、4月は人事異動の季節。弊社のお客様である医療関連企業や病院、また同業のPR会社でも人事異動や転職、退職の情報や噂が飛び交います。
とくに注意を払う必要があるのが各メディアの人事異動です。取材先としてお世話になった企業へは記者の方から連絡が入ることも少なくありませんが、私たちPR会社は記者のみなさんにとって霞のような存在らしく、ご挨拶をいただけるケースはとくに親しい何人かに限られます。少々残念でもありますが、まあ仕方がないかな。
とりわけ企業の広報部から評判がよろしくないのが日経新聞の旧産業部、現在の企業情報部の担当変えです。担当記者に自社のこと、業界のことを一生懸命説明して、見学もしていただいて、ようやく理解してもらったと思うと2年もしないうちに異動になってしまい、また一からやり直しを繰り返さなければならないというわけです。本気で怒っている広報部長さんもおられました。
製薬会社だろうが自動車会社だろうが、企業を取材するということでは大きな違いはないと日経新聞は考えているのかもしれません。また長く同じ業界を担当させると情が移って公平な記事が書けなくなったり、不祥事の要因になったりすることを懸念しているのだろうとも推測できます。しかし、一番の目的はいろいろな企業への取材経験を積ませて人材育成を図ることにあるのでしょう。
そういうことなら、これは致し方ないことかもしれません。また一から説明をやり直すのも広報担当者の重要な仕事と考えるべきなのでしょう。
悩みっぱなし
先週から悩みっぱなしです。広報セミナー用のパワーポイントを大幅に再構成しようとしているのですが、どうにもうまくまとまりません。
長い間講師をつとめているのですが、昔の大学教授のように毎年同じことをしゃべってすませられるほど、いまの世の中は甘くはありきません。広報の世界もどんどん変化しています。受講者の興味や関心も少しずつ変わって行きます。そこで数年に一度、講義内容を大きく組み直すことにしているのです。
しかし、マイナーチェンジを重ねて熟成させたコンテンツをガラガラポンするのは容易なことではありません。どうしても、変えられない変えたくないという潜在意識との葛藤が生じてしまいます。古めかしくなった企業で意識改革をするのが難しいのと同じようなものかもしれませんね。
青梅街道中野警察署前
コンサルタントって?
テレビのコメンテーターの学歴詐称が話題になっています。10年以上もその世界で仕事をしてきたのですから、一定の評価に足るコメントはしていたのでしょう。それらのコメントに関してはとくに印象に残っていませんが、経営コンサルタントという肩書きには少々気になるところがありました。どのような会社のコンサルをしているのかな?と。今回の騒動起こってから、その実績はなかったと報じられています。ただのタレントだったということなのでしょう。
過去にもいろいろな事件に「コンサルタント」と自称する人たちが関わっています。どうもコンサルタントという肩書きは胡散臭い。信用しがたいイメージがつきまといます。
これは困ったことです。なぜなら、私の名刺には「広報コンサルタント」と印刷されているからです。
広報は広告宣伝より多くの予算が必要です
先週の金曜日に書いた「たぶんこれまでどなたも書いておられないと思われる内容が二つ」のもう一つの方は、「広報はお金がかからない活動なのに、どうして予算が必要なのでしょう」という問いに対する答えです。
広告宣伝部の予算と広報部の予算の違いは媒体費のあるなしの違いである、と言いきってしまいました。実際には媒体費に多少の広告制作費が加わりますが。
広報はお金のかからない宣伝だという古典的な認識がいまに至っても続いています。しかし、これは誤った認識です。広報は、いまや社会やステークホルダーとの双方向のコミュニケーションを担う業務へと変化しています。ミッションが拡大しつつあるのです。そうなると、広告と広報といった二元論はもはや通用しません。
そこで再び予算に戻りますと、広告宣伝部の予算から媒体費と制作費を除くと、残りはほとんど人件費と事務費しか残らないのに対して、広報部ではもろもろの活動費がより多く必要になるはずで、そこで比較すれば広報予算の方が多くなるのが当然なのです。
企業広報は無形資産を増加させる活動
昨日の朝活でもお話したことですが、「広報会議」4月号に書いた原稿の中に、たぶんこれまでどなたも書いておられないと思われる内容が二つあります。その一つは、企業広報は売上や利益に貢献するのかという問いに対する答えです。この問いは実に厄介で、予算を握っている経理や予算執行に目を光らせている監査部門の人たちから発せられると、なかなかうまく答えられません。
企業広報が財務諸表の損益計算書(PL)に反映されないのは事実だからです。厳密には反映されるはずなのですが、時計の短針のようなもので、毎年のPLを追いかけてもその動きを捉えることができません。これは貸借対照表(BS)においても同じことです。しかし、その会社がM&Aで合併するとか売却されるということになると、長年の企業広報によって築き上げられたレピュテーションやブランドは精密に評価されて「のれん」というかたちで数字化されることになります。
つまり企業広報とはは無形資産を増加させるための活動と定義されるのです。
これ、私が言い出しっぺだと思うのですがね(エヘン!)。
朝カツ!
広報に何ができるのか?
東日本大震災後の約1年間は体調がすぐれませんでした。中でも胃部の不快感が続き、胃薬を飲み続けましたが、その後に受けた内視鏡検査では異常は見つからず、ピロリ菌も陰性でした。
震災後、多くの人たちがボランティアとして被災地に入りました。医療関係者は救護や救援に向かい、製薬会社は医薬品を提供し、医療機器会社は医療機器を送り、シェフは料理道具一式とともに被災地に入って暖かい食事を提供しました。元気な人は復旧作業や放射能除染に力を貸しました。
周囲には、親しい芸能関係者を伴って救援物資とともに何度も現地に足を運んだ人もいました。テレビで知られている有名人が行けば、被災者のみなさんに対し何らかの励ましにはなるかもしれません。それを否定するものではありませんが、心は動きませんでした。少しばかりの義援金も送りましたが、どこか偽善的な気分が残っただけでした。
いまは忘れられた存在となってしまったフランスの哲学者J.P.サルトルは半世紀前、「飢えた子の前で文学に何ができるのか」と問いました。結論は覚えていません。容易に結論が見つかる問いでもありません。では、被災者のみなさんを前にして広報に何ができるのでしょうか。考え続けましたが、やはり答えは見つかりませんでした。これから先も見つかりそうにありません。胃の調子は知らぬうちに回復しました。