けじめ

とくに秘密でもプライバシーに関わることでもないのに、こちらの何気ない質問に答えを言いよどんだり、いかにも話したくないそぶりを見せる方がいます。こういう方とやりとりしていると、さっぱり状況がつかめなかったり、どこか合点が行かない部分が残ったりするものです。慎重派。ガードが堅い。秘密主義。いろいろな表現ができると思いますが、それはそれで個性の一つですから、あえて目くじらを立てるべきものではありません。
しかし、企業で広報の仕事をしておられる方においては、これはちょっと困った性向ではないでしょうか。
取材する側からすれば、それが広報担当者自身の性格なのか会社の企業姿勢なのか、にわかには判断がつきかねます。しかし、最初に受けた秘密主義的な印象は長く心の底に残るはずです。これは会社にとって大きなマイナスでしょう。
一般論ではありますが、守りの姿勢が強い企業は、広報の担当者にもそのような性格の社員を配しているようです。さらに言えば、経営者が守りに入っているときは、その傾向が強まり、攻めに回っているときは売り込み型の外向的な方を任命するようです。
広報は会社の顔と言われます。生まれつきのご性格は変えようがありませんが、せめて話せることはちゃんと話す、話せないことは絶対に口を割らない、そのけじめだけはつけておいた方がよろしいと思います。〈kimi〉

去年今年

 去年今年貫く棒の如きもの
毎年、新年を迎えるとこの有名な高浜虚子の句を思い出します。
2009年から2010年へ、今年3年目を迎えるココノッツにとっての「貫く棒」とは何か。また、私にとっての「貫く棒」とはなんだろう。そんなことを考えながら年の初めを迎えました。
ココノッツが貫くべき棒とは、弊社のサイトに掲げている「ココノッツの企業理念」や「ココノッツは、こう考えます」の通り、製薬企業や医療機器企業をはじめとするヘルスケア産業のコミュニケーションをお手伝いすることによって、有用な医療情報を広く社会へお伝えすることです。これについては道半ばどころか、まだほんの緒についたばかりです。この棒をそう簡単に曲げることはできません。
私自身の貫くべき棒の一つは、ココノッツの棒が曲がらないように舵をとりつつ、さらに太く伸ばすことにあります。そのような決意で迎えた年の初めでした。
と、正月用にきれい事を言ってしまいましたが、一個人としては年々棒がやせ細って来ていることを自覚しています。グッと貫く力が弱まっています。と同時に、まっすぐ貫こうとするよりも、少々曲がってもいいじゃないか、その方が面白いじゃないかとも考えるようになって来ました。ところがですよ、これまでの棒が意外に堅くて、容易には曲がらないんです。細いくせに柔軟性がなくなりつつある。困ったことですが、それが人生の難しいところなのかもしれません。
 去年今年貫く棒も細くなり                〈kimi〉

「ビジネスマンの狭い世界」その後

昨日、一本の電話がかかってきました。
2009年11月7日にこのブログに書いた「ビジネスマンの狭い世界」に関することでした。どういうご趣旨か、にわかには呑み込めなかったのですが、電話の主がブログで取り上げた「優良放送番組推進会議」なる組織の事務局をされている(事実上の設立者らしい)とうかがって合点が行きました。ブログで批判されたとお考えになっての、反論のお電話だったのです。
いろいろとお話をしましたが、納得されたかどうか曖昧なまま電話を切ることになりましたので、ここに私の本意を改めて書いておきたいと思います。
長年のテレビ界における視聴率第一主義には、私は大いに疑問を持っています。とくにF1と呼ばれる20~34歳の女性層にターゲットを絞った番組づくりがテレビの質を低下させたのではないかと疑っています。そういう意味で、他の指標や価値観によってテレビ番組を評価しようとする試みには大賛成です。大企業のサラリーマンたちが番組を評価するのも結構だ思います。決して否定するものではありません。
しかし、大企業に勤めている人たちは社会的な強者です。かつては私自身もそうでしたが、一個の人間としては誠に弱い存在であるにもかかわらず、大企業の社員であるという身分において、強者としての発想から抜け出ることはできません。
NHKが放送している演芸やバラエティ番組の多くは実に面白くありません。こんな番組を誰が喜んで見ているのか、と私自身は思うのですが、もしかしたら、そのような番組を楽しんでいる人たちが大勢いるのかもしれません。大都市のビジネスマン層とは異なる感性を持った人たちもきっと存在しているのでしょう。
大企業のサラリーマンによる評価に価値があるように、他のさまざまな人たちによる番組評価もまた大切だろうと、私は考えます。何をもって「優良」とするのか、さまざまな価値観によって評価されてこそ定まるものではないでしょうか。
「優良放送番組推進会議」に参集されておられる一流のインテリジェンスをお持ちの方々がまさか間違われるとは思いませんが、一流企業のサラリーマンの価値観もまた、一部の人たちのそれに過ぎない、ということを先のブログでは申し上げたかったのです。〈kimi〉

講師の現実

今日で、某ビジネススクールの今年度の講義がめでたく終了。広報担当者セミナーとかIR担当者講座といった、現にその仕事をしている人たちに教えるのではなくて、これからキャリアを積もうとという人たちにコーポレート・コミュニケーションを教えようというわけで、さて、どこにフォーカスしたらよいか、学生はどんなことに興味を持っているのか、結局手探り状態のまま終わってしまったような気がします。学生のみなさんには誠に申し訳ない気持です。企業においてコミュニケーションがいかに重要かということをちょっぴりでも理解していただけたのなら、うれしいのですが。
講義をするに当たっては、持っている知識を総ざらえし、虫干しをし、新たな知識も仕入れました。私自身にとっても大きな勉強の機会が得られたことになります。また、若い人たちとの交流はよい刺激になりました。感謝しなければなりません。
これで、約1年にわたって名刺に刷り込んでいた「講師」の肩書きをいったん消すことになります。「講師」の肩書きに何の経済効果も期待できませんが、学校側は広告効果を期待しているようでしたし、学生を引率して企業を訪問するときなどには、「何の売り込み?」などと訝しげな顔をされないですむという効用を確認できました。しかし、仕事の上で初対面の方から「先生」と呼ばれたりして、面映ゆいやら恐縮するやら、という経験もしました。「先生」は来年の秋までいったんお休みです
ここで、一つ誤解を解いておきたいことがあります。ときに「講師料もいただけていいですね」と言われることがあります。誤解です。時給で計算すると派遣労働者とほぼ同水準。90分授業を月に4回ですから、ご想像ください。準備に要した莫大な時間や必要な情報や知識を手に入れるために使った費用まで考えたら、かなり割の合わない仕事です。いっそのこと「ボランティアでお願いします」と言われた方が、「将来の有能なビジネスパーソンを育てるために一肌脱いでやろうか」と、こちらもやる気が高まろうというもの。毎月律儀に送られてくる給与支給明細書の数字を見ながら、「自分の価値」なんて言葉も頭をよぎったのであります。
これが日本の教育現場の現実かと、妙な勉強もさせていただいた講師稼業(稼いではいませんが)でした。〈kimi〉

怠け者の言い訳

ずいぶんブログを怠けてしまいました。
間隔が空くと、その言い訳を書かなくてはなりません(そんな法律はないと思うけど)。ということは「書くネタができた」ということでもあります。
世に多いブロガーたちも書くネタには困るようで、彼らにネタを提供するというビジネスが成立しています。そのネタモトはもちろん企業であって、こんな類のことも広報の仕事の一部になろうとしています。
この土日に、日本広報学会の研究発表大会が埼玉県の某大学で開催されました。そこでの発表にもブログに関するテーマがいくつか出されていて、いずれこのような仕事が広報のメインストリームになる日が来ることを予感させました。
さて、私がブログを怠けていたのはネタ切れのためではありません。あえて言えば、脳味噌のキャパシティがなくなっていたのです。ここんところ、なんだかとっても忙しい(≠儲かっている)。あちこち行ったり、あれこれ考えたり、あっちの仕事こっちの作業、それに頼まれ講義などが重なってくると、すっかり余裕がなくなって、言葉が枯れてしまいました。才能の問題でしょうが、どうにも文章が出て来ない。
そんなわけで怠けておりましたが、ようやくいくらか落ち着きました(=儲からない)。またボチボチと書いてまいります。以上、怠け者の言い訳でした。〈kimi〉

ビジネスマンの狭い世界

今日の産経新聞に、「広告主による番組評価」という記事が出ていました。大手企業や研究機関で組織する「優良放送番組推進会議」が投票による番組評価をしたら、視聴率ランキングとはずいぶん違った結果になった、という内容です。投票したのは参加企業の社員とのことです。
その記事によると、報道番組で最も票を集めたのは、テレビ東京系の「ワールドビジネスサテライト(WBS)」、以下NHK「クローズアップ現代」、同「週刊こどもニュース」、TBS系「サンデーモーニング」の順で、視聴率では一番の「NHKニュース7」は5位にとどまったそうです。
「広告の費用対効果について新たな物差しを広告主自身が生みだそうという試み」だそうですが、この順位はまさしくビジネスマンの尺度です。
ぜひこの発表の内容をWBSで取り上げてもらいたい、といった声を企業の幹部から聞くことがあります。ビジネスネタに特化したユニークな報道内容を評価してのことだとは思いますが、一方では、自分自身が毎晩見ている番組で取り上げてもらいたい、という気持も含まれているように推測します。
忙しいビジネスマンはどうしても帰りが遅くなるものです。とくにエリートは帰りが遅い。9時のNHK「ニュースウオッチ9」に間に合うかどうか。10時のテレビ朝日系「ニュースステーション」は好みの分かれるところ。となると、自然に11時からのWBSということになります。「NHKニュース7」への投票数が少なかったのは、評価が低いというよりも、見ることができないためでしょう。「週刊こどもニュース」も「サンデーモーニング」も土日の番組です。
ビジネス視点からの番組評価にも一定の意味は認めますが、それがすべてとは決して考えてほしくない、というのが私の気持です。
仕事をしないで数ヶ月家でブラブラしていたことがあります。そのとき住宅地を巡回する昼下がりのバスに乗って驚きました。乗客のほぼ全員がバス料金を支払わないのです。車内を見回したら、高齢者パスか障害者パスをお持ちの方々ばかり。そんな現実があることを、毎朝7時の電車で出勤し、昼間はビジネス街で行動し、8時過ぎの電車で帰ってくる生活をしていた私はまったく知りませんでした。
ビジネスマンは、自分たちが身を置く世界だけがすべてだと勘違いしがちです。しかし、それは本当に限られた、狭い狭い世界なのだということを認識する必要があります。〈kimi〉

のの字

のの字
エグゼクティブの服装戦略やイメージコンサルティングを手がけておられるFさんはおっしゃいます。どんな筆記具を使っているかで、他人はその人を評価する、と。
私は上着の内ポケットに、シャープペンシルと黒・青・赤ボールペンが使い分けられる4能ペン(と言うのかしら)を刺していました。安物です。そもそも3能とか4能といった姑息な筆記具が他人様からの評価に耐えられるとは思っておりませんが、私は機能優先。長らく愛用しておりました。
その4能ペンが先日、急に不調になってしまいました。シャープを使いたいのに青ボールペンが出る。黒を出そうとすると赤が出る。買い換えなくちゃなあ、と思ったときに思い出したのが冒頭のFさんのお言葉です。それならいっそのこと「高級」万年筆にしてみようか。
そこで初めて知りました。「高級」万年筆には調整が必要らしいのです。名人の手による調整済みの万年筆というものを売っている店もあって、買った直後からヌラヌラとなめらかに書ける、とあちこちのウェブサイトで絶賛されていました。ということは、メーカーから出荷されたばかりの「高級」万年筆は欠陥品か未完成品ということになります。そんなことって、あるのでしょうか。
調整済みの方は正価、またはそれより少し高い値段です。未調整ならネットで半額です。迷いますね、こういうの。価格差は心地よさと安心感を得るための必要経費と考えるべきなのでしょうが、それに倍額を支払う価値があるのかどうか。こんなことに悩むのは私がエグゼクティブでない証拠ですが、さらにそれを決定づけたのは、お値段半額の方を買ってしまったことです。
日本人はカタチのあるものには金を払うが、広報のような抽象的な技術やノウハウには金を払わない、と常々批判しているにもかかわらず、名人の手による調整というintangibleな価値にはついに身銭を切る決心がつきませんでした。
しかし、よく考えてみれば靴だってジーンズだって、買った直後は必ず違和感があるもの。それを我慢しながら身につけていると、いつの間にか身体にピッタリなじんで来るじゃありませんか。同じことが万年筆にも起こるのではないか、というのが、半額の魅力に負けた私の負け惜しみです。
そんなわけで、このところ毎日ペン慣らしに励んでおります。失敗コピーの裏面に何枚も何枚も「の」の字を書き続け、ペン先をなじませております。数日の努力の結果、はっきり変化が自覚できたのは、手がくたびれて来た、ということだけですが。〈kimi〉

スーツにネクタイ

学生時代の私の夢は、総理大臣になることでも大会社の社長になることでもありませんでした。ネクタイを締めなくてもよい仕事に就くこと、それだけです。なんとささやかな・・・。
しかし就職したのは製薬会社。外資系といえども当時の社員はスーツにネクタイ。ジャケット姿もありましたが、全員ネクタイを締めていました。その後に転職した日本の会社は全員背広に白ワイシャツという典型的なドブネズミスタイル(その時代の流行語)でした。その上、広報担当ともなれば、なおのことスーツにネクタイから離られなくなってしまいました。
で、今朝なんですが、電車の中で何気なく周囲を見回したら、視界の範囲内でネクタイをしている人が一人もいない。座席の人も吊革の人も合わせて7~8人がブレザーにノーネクタイでした。クールビズの季節はとっくに終わっています。日本のビジネス界のドレスコードに、大きな変革が起きているのかもしれません。
かくいう私も、今日はそのような服装で出社しております。見事、学生時代の夢を実現しているわけですが、感激はまったくありません。
よくよく考えてみれば時間帯にもよるのでしょう。会社勤めのときは、始業時間の30分以上前に出社していました。いま毎朝乗っている電車は、それより1時間ほど遅いのです。早朝出勤する保守的な企業のサラリーマンはいまもスーツにネクタイ。フレックスタイムなどが導入されている進歩的な企業のサラリーマンはノーネクタイになっているのかもしれません。この点については、今後さらに研究の余地がありそうです。〈kimi〉

エラ過ぎる人をトレーニングできるか

メディアとコンタクトする可能性のあるエスタブリッシュメントの方にはぜひメディアトレーニングを受けていただきたい(カタカナばかりでゴメンナサイ)。このような地位にある方々はスピーチをなさる機会も多いので、スピーチのトレーニングも必要でしょう。
ココノッツでは企業の皆様を対象にメディアトレーニングを行っていますが、一番エライ人、カリスマ経営者、オーナー社長などにトレーニングしてほしいというご依頼はほとんどありません。仰ぎ見るような地位に君臨し、周囲にオーラをまき散らしているようなエラい方に向かって、部下が「トレーニングを受けてください」とはとても言えないのでしょう。その気持、よ~くわかります。
ところが、そのような方ほど話がお上手ではないケースがしばしば見られます。エラ過ぎる人は、どんな回りくどい話し方をしても、どんな非論理的な話をしても、どんな飛躍の多い話をしても、どんな不遜な話し方をしても、周囲の人たちはかしこまって聞いてくれます。だからご本人は「それでイイノダ~」と天才バカボンのパパ状態になってしまいます。
なんとかアドバイスをして差し上げたいと、広報コンサルタントとしては歯がゆい思いをすることが少なくありません。部下の方ではとても言えないアドバイスが、外部のコンンサルタントならできる場合もあります・・・と、セールスプロモーションみたいなことを書いてしまいましたが、誰がアブナイって、一番エラい人が一番アブナイんですから。某政党の例をみればよくわかりますね。〈kimi〉

礼!

麻生首相が記者会見の演台に上がるとき、軽く一礼するのにお気づきですか。
プロ野球の選手でバッターボックスに入るときに一礼する人がいます。高校野球では必ず審判に「お願いします」と頭を下げるのが慣習になっているようで、プロになってもその習慣が抜けないのでしょう。柔道家も畳に上るときには必ず一礼します。サッカー選手の場合は、フィールドを出るときに、わざわざ振り返って一礼する姿をよく見かけますが、これは日本選手に限られるようです。戦ったフィールドとサポーターに対する敬意なのでしょう。悪いことではありません
さて、麻生首相ですが、彼は一体何に頭を下げているのでしょう。会見場には国旗が掲げられていることが多いので、国旗に対してだろうと思っていたら、赤い緞帳を背にした解散時の記者会見では、国旗がなくても一礼して演台に上がっていました。こうなると解釈が難しい。スポーツ選手のように記者会見という神聖な勝負の場に対して敬意を表している、とも考えられますが、日頃の首相の言動を拝見している限り、どうもそうではなさそうです。
ある企業経営者は、社員を集めたセレモニーの場で、麻生さん同様、演台に上がるときに深々と一礼をします。演台のバックには国旗ではなく社旗が掲げられています。つまり社旗に頭を下げているわけですが、これって、ちょっと変ではありませんか。社旗って、ロゴマークを刺繍したただの旗です。そこに何か「神聖」っぽい意味づけをしようとしているとしたら、いかにも日本的な風景と言えます。
首相が一礼すべきは国民に対してであって、経営者が一礼すべきは業績を支えている社員に対してではないか。私は、そう思うのですがね。〈kimi〉