IRの世界では、ガバナンス、ガバナンスとかまびすしい。しかし、どうもまともに理解している向きは少ないように思います。ガバナンスとは不祥事を防ぐこと、という誤解が最も一般的ですが、株主の意向を反映させること、というのもあります。会社中がトップの言うことを聞く、あるいは聞くように経営することがガバナンスだと思っている人も多いようです。そいういうことならば、命令をしなくても下の者がトップの意向を忖度する現政権のガバナンスが理想的ということになるのかもしれません。それは違うでしょう。
東証のガバナンスコードの定義は、「会社が、株主をはじめ顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえた上で、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味する」というもので、それはごもっともだけど、経営者も従業員も社会の構成員も、それぞれ精神的に自立していて、自由に物が言える環境にあることが大前提です。
しばしば遭遇するのは、社長のいる場では何も発言しない社員たちの姿です。下手なことを言えば左遷されるかもしれない、給料が上がらないかもしれないとみな怖れています。そのような場に何十年も身をおいたので、これは他人事ではありません。
あらためてガバナンスと何かなあと、最近のニュースを見ながら考えます。結論は得られておりません。
いま浦島
IRとPRの距離
自民党が総選挙に勝ったことで株価が上がっています。これまでにない金融緩和が行われるだろうという期待感からだそうですが、簡単に言ってしまえば、お金が金融市場にあふれることを期待しているわけで、そのことと生活者が豊かに、幸福になることとは直接リンクしてはいません。
インベスター・リレーションズ(IR)はコーポレート・コミュニケーションズ(広報)の一部分というのが長年の持論です。ですが、金融市場と一般社会が同じ原理で動いているなどと考えているわけではありません。むしろ乖離がより激しくなっていることが気がかりです。
IRは金融市場をその対話の相手とし、パブリック・リレーションズ(PR)は生活者をもって構成される実社会を対話の相手とします。両者が連動して変化するなら、そもそもIRもPRも区別する必要はないわけですが、どんどん距離が離れて行くとなると、この二つは一体どのようになってしまうのか・・・来年の課題としたいと思います。
よいお年をお迎えください。 〈kimi〉
広報パーソンに何ができるか
東日本大震災の被災地には多くのボランティアが訪れているようです。がれきの撤去を手伝う人、避難所でカレーをつくる人、被災者の心のケアをする臨床心理士、歌手、タレント、スポーツ選手、被災者のの話を聞くボランティアもいるそうです。体力のある人はそれだけで役に立つでしょうし、医師やコメディカルなどの資格を持っている人は歓迎されるでしょう。人気者はその人が現れるだけで喜んでもらえます。
それでは広報を仕事にしている人には何ができるのでしょう。たとえば私に何ができるかと考えたら、途方に暮れてしまいました。体力にはまったく自信がありません。現地のご迷惑になるばかりです。役立ちそうな資格や特技もありません。壁新聞つくりのお手伝いくらいはできそうですが、壁新聞は被災した地方紙の記者さんがすでにやっておられると聞きました。そんなわけで、何か手を貸したいと思いつつも歯がゆい思いをしております。
企業の広報担当者だったら何ができるでしょう。その専門性を活かそうと思うなら、やはりコミュニケーションで役に立ちたいものです。
企業がしなければならないことは、言うまでもなく本業をできるだけ早く軌道に乗せることです。復旧状況を取引先ばかりでなく、株主、投資家、顧客など社会全体に知らせ、情報を共有する。これは、現下の社会・経済状況においては非常に重要な企業活動と言えるでしょう。東証の適時開示情報閲覧サービス(TDnet)には、多くの上場企業から震災による影響や被害の復旧状況が開示されています。上場企業でなくても、これは必要なことと考えられます。広報やIRの担当者でなければできない震災対応業務の一つかもしれません。〈kimi〉
取引上の関係について
医薬品や医療機器のビジネスに、他の業界から入った人たちが等しく感じることは、顧客である医師との関係が、一般の取引関係とは明らかに異なっているということです。売り手と買い手の間に立場の違いがあるのは当然ですが、社会的地位の違い、ときには人間の価値の違いまで想起させるような極端な上下関係は、やはり奇異なことと言ってよいでしょう。
少なくとも1960年代まで、製薬会社の営業社員(当時はプロパーと呼ばれていました)が開業医の奥さんから買い物を頼まれることは決して珍しくありませんでした。そんな名残がいまに続いていて、MR(医薬情報担当者と呼ばれる営業社員をいまはMedical Representativeと呼びます)を一度でも経験したことのある人は、医師の前では無意識に揉み手をして頭が下がってしまう。そんな光景を実際に何度も目撃しています。
さて、最近気づいたのは、PR会社と取引先との関係です。これが隣接分野であるIRの支援会社と取引先との関係に比べて少々違いがあるようなのです。
端的に言ってしまえば、多くの企業はIR支援会社にはアドバイスを求めるのに対して、PR会社には指示をする、というカンジです。
資本市場というのは、一般の事業会社には理解しにくいところがあります。アナリストはどのような考え方をするのか。ファンドマネージャーはどんな企業を評価するのか。上手にIRをするにはどうしたらよいのか。それやこれや、IR支援会社の意見を求めることが多いようです。それを受けて「こういう発表に仕方はよろしくありません」といった助言が日常的に行われています。
それに対してPR会社には、新製品のパブリシティの提案を持ってくるように、とか、○月○日に発表を行うから用意をするように、といったご注文が多いように思います。これはアドバイスを求めているということではありません。PR会社の方から「御社のそういうやり方はマズイですよ」なんて、なかなか言いにくいのがPRの世界です。実際、そのようなアドバイスを差し上げて、仕事がなくなってしまったことがあります。
このような相違が生じたことにはPR会社の方にも責任があるようです。日本にPR会社が生まれてからこの方、しっかりと企業にアドバイスできるだけの専門性をどこまで蓄積してきたか、ということです。もちろんソリューションで成果を挙げておられるPR会社も存在しますが、まだまだ少数派です。
広報のコンサルテーションを掲げる弊社としても、自戒を込めて今後の課題にしたいと思います。〈kimi〉
講師の現実
今日で、某ビジネススクールの今
講義をするに当たっては、持って
これで、約1年にわたって名刺に
ここで、一つ誤解を解いておきた
これが日本の教育現場の現実かと
日米リリース事情
外資系企業では、海外の本社で原
医薬品や医療機器の分野に関して
だからといって、海外からの情報
ところが、ちょっと困ったことが
一例を挙げれば、英文のリリース
「術直後の嫌気性菌性腹膜炎患者
こんなコメントをリリースに書き
日本で記事にしたいなら、徹底的
さて、どうしたものか。翻訳リリ
エラ過ぎる人をトレーニングできるか
メディアとコンタクトする可能性のあるエスタブリッシュメントの方にはぜひメディアトレーニングを受けていただきたい(カタカナばかりでゴメンナサイ)。このような地位にある方々はスピーチをなさる機会も多いので、スピーチのトレーニングも必要でしょう。
ココノッツでは企業の皆様を対象にメディアトレーニングを行っていますが、一番エライ人、カリスマ経営者、オーナー社長などにトレーニングしてほしいというご依頼はほとんどありません。仰ぎ見るような地位に君臨し、周囲にオーラをまき散らしているようなエラい方に向かって、部下が「トレーニングを受けてください」とはとても言えないのでしょう。その気持、よ~くわかります。
ところが、そのような方ほど話がお上手ではないケースがしばしば見られます。エラ過ぎる人は、どんな回りくどい話し方をしても、どんな非論理的な話をしても、どんな飛躍の多い話をしても、どんな不遜な話し方をしても、周囲の人たちはかしこまって聞いてくれます。だからご本人は「それでイイノダ~」と天才バカボンのパパ状態になってしまいます。
なんとかアドバイスをして差し上げたいと、広報コンサルタントとしては歯がゆい思いをすることが少なくありません。部下の方ではとても言えないアドバイスが、外部のコンンサルタントならできる場合もあります・・・と、セールスプロモーションみたいなことを書いてしまいましたが、誰がアブナイって、一番エラい人が一番アブナイんですから。某政党の例をみればよくわかりますね。〈kimi〉
社内の理解
私が広報の仕事をメインにし始めた頃、広報の世界の先輩たちが「会社が広報をちっとも理解していない」、「社内で広報活動を理解してもらえない」と悲憤慷慨されている声を何度となく耳にしました。それから20年、それらは改善しているのでしょうか。
その後、日本の多くの大企業に広報セクションが設けられ、強化されてきたのは間違いのない事実です。その意味では改善されていると言えるでしょう。しかし、それらの企業においても、社員の一人ひとりにまでパブリックリレーションズの理解が及んでいるとはとても言えない状況です。
実際現在においても、広報を仕事をしている人たちの間では、同じような嘆きを聞くことが度々ありますし、あきらめにも似た気分さえ漂っているように思います。
「わかっちゃいねえなあ」などと、広報に無理解な幹部や社員をののしっていても仕方がありません。このような広報やIRに対する無理解には構造的な問題があると、私は考えています。
サラリーマンという存在は、本質的に企業(全体)としての利害より、自己ないし所属部門(部分)の利害を優先するものです。現業部門は、自部門や自分に与えられた売上げと利益目標だけに責任を持たされています。スタッフ部門でも、評価は「自分の仕事の成果」に対して与えられます。だから、自分の業務外の仕事に時間やエネルギーをとられたくない、というのが本音なのです。当然、広報に協力して自分たちにどんな得があるの?という疑問も生じます。
ところが、広報やIRは本質的に全体に奉仕する仕事です。だから、広報と社内各セクションの間で、全体対部分という図式の対立が生じやすいのです。広報と他のセクションが協力してやって行こうというプロジェクトでも、自部門の予算がそれに使われることには拒否反応が出たりもします。自分のものは自分のものなんです。国益よりも省益などと言われるのも、根は同じことでしょう。
また、広報やIRの仕事に協力することは、自分の仕事を公の場にさらけ出すという一面があります。すると、思わぬミスや隠し事が表に出るかもしれません。そのようなリスクをサラリーマンたちは本能的に感じとるので、できればそれを避けたいという思いが強くなります。触らぬ神に祟りなしです。できるだけ情報公開はやめておきましょう、という結論にもなりがちです。
これらの本質的な解決は、経営者の強いリーダーシップなくしてはあり得ませんが、そのようなリーダーには滅多に出会えません。
幾多の障害要因を突き抜けくぐり抜け、うまく回避しつつ目標を達成する。それが広報やIRに携わる人たちのやり甲斐です。どんな仕事にも困難はつきものだし、問題解決することこそ「仕事」というものですからね。〈kimi〉
スーツにネクタイ
梅雨が明けたんだか、明けていな
私、夏が大嫌いなんです。その理
しかし、その場に合わせた服装と