あの外山さんが・・・

9月18日のこのブログに、弊社のAは実にこまめにノートをとっているが、私はほとんどノートやメモをとらない、と書きました。メモをとっても、まず読み返すことがない。読み返さないなら書く必要がない。セミナーでもノートをとるよりも、講師の言葉に触発されながら頭を動かす方がよほど面白い。頭に残らなかった部分は、たいした内容じゃなかったと思うことにした、という趣旨でした。もっとも必要な時はちゃんとメモをとっている、とも書き添えました。
これに、弊社のAのご親族たる女子大生から大顰蹙を買ってしまいました(と聞きました)。どうやら「最後はただの自慢話じゃないの!」というお怒りらしい。それは大きな誤解というもので、要点だけはメモをすると書いたのは、このブログをお読みになったお客様に無用なご心配をおかけしないための営業上の配慮であります。
ま、そんなことは、今日のところはどうでもよいのであって、たまたま帰りの電車の中で読んでいた外山滋比古氏の「思考の整理学」に、以下の一文を発見したことをぜひご報告しておきたい。
「昔、ある大学者が、訪ねてきた同郷の後輩の大学生に、一字一字教授のことばをノートにとるのは愚だと訓えた。(中略)全部ノートするのは結局頭によく入らないという点に気付いていたらしい。大事な数字のほかは、ごく要点だけをノートに記入する。その方がずっとよく印象に残るというのである。字を書いていると、そちらに気をとられて、内容がおるすになりやすい。そう言えばかつて、講演をききに来た女性は、きそって、メモを書いた。(中略)そういうメモをあとになって読み返すことはまずない。それだのに、字を書いていて話の流れを見失ってしまう。どちらもだめになってしまう。講演をきいてメモをとるのは賢明でない。(中略)もっぱら耳を傾けていた方が、話はよく頭に入るのである」(ちくま文庫版p.92~93)
外山さんの著作は以前にも1、2冊読んだことがありますが、この「思考の整理学」は、近頃大学生の間で評判になっているという噂を聞いて、どれどれと初めて手にとったものです。世の中には、同じようなことを考えている人がいるもんですねえ。それもあの名エッセイストがです。なんてことを書いていると、また「自慢してる~」と女子大生に叱られそうなので、このへんでやめておきます。〈kimi〉

“あの外山さんが・・・” への1件の返信

  1. A氏のコメント
    「ノートをとっている = 相手の話を一字一字書き取っている」と考える外山氏が愚のような気もしますが、、、。
    A氏も実はK氏同様、学生の頃はノートをとらない学生でした。
    話を聞くことに集中し、その内容について思考を巡らせていることの方が価値があると考えていたからでした。そのころ、読んだ誰のエッセイだったかに、授業中は先生の話に集中し、テストの前には、奇麗にノートをとっている友人のノートを見せてもらって、頭を整理するのが一番だ、というのがありました。ちょっとずるいやり方のような気がしますが、試験対策としては一番です。
    最近、「東大生のノート」なる本が、学生のみならず、サラリーマンにも売れているそうです。曰く、東大に受かる学生のノートは皆美しい! 思わず、本を買ってしまいましたが、自分なりの参考書として、様々な工夫をしています。系統だって、その背景などが整理されており、授業をそのままノートにしたというようなものではありません。これだけ、自分で考えてまとめられれば、その記憶は知識となって残るでしょう。
    ノートの取り方にもいろいろあります。
    昔、いろいろな習い事をしたなかで、英文速記をならったことがあります。速記は相手の行ったことを一字一句漏らさないように書く訓練をします。性格的にはあまり好きではありませんでしたが、これは早く書く技術と、相手の言葉を記憶しつつ、手と耳と頭が別の作業をするという訓練になりました。
    さて、現在のノートの取り方ですが、、、相手の言うことをノートにとることもありますが、相手の話を聞いて湧いてくるアイデア、聞いてみたいこと、その話の要点などを同時に色違いで書いていきます。(でも参考書のような奇麗なノートではないので、他の人がみても分かるようなものでもありません、とお断りしておきましょう。)
    こうしておくと、後でプロファイリングをするのが容易になります。
    でも、実は、最近自分の記憶力がたよりにならないので、外部媒体に記憶させようという魂胆だったりもします。
    ま、そんなこんなで、私はノートをとることをお勧めしますよ。
    ノートをとるのも訓練ですぞ。

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